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[1]ヴァイオレットエンジェル

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 呼んでいる…………。

 僕は怠惰な胎盤のような魔方陣の中で、くるくると右上下左と回りながら、魔方陣の外の声に耳を澄ませた。

 こっち…………。

 笑ってる…………?

 くすくす。くすくす。

 虹色に交錯する魔法の声。柔らかに撫でては離れる甘い感触。

 ヴァイオレットは睫を震わせてうすく金色の瞳を開いた。

 砕けて消えるダイヤモンド・ダスト。広げた両端の翼がしなやかに撓んだ。

 こっちよ…………。

 知りもしない生まれた時の記憶を思い出しそうな。

 母性の声。

 僕は柔らかな光を溢れさせる時空の切れ目に手をかけて、ふわりと外に舞い降りた。

 そこは、無限に広がる花畑だった。すみれだったり、天国の白い花だったり、花の、甘い匂いに満ちていた。

 僕は、白い上空にはなびらが舞っていること、永遠と続く花畑が……
 天国の、あの天使の残骸を積もらせる場所に……似ている、と思った。

 デジャ・ヴ。

 僕はぱふっと花畑に座り込んで、ごそごそとポケットをさぐった。

 中には、アイポッドが入っている。

 自分のものではない。先ほど本橋繭という人間のところからこっそり拝借してきたのだ。

 使い方は知っている。天国にも地獄にも、似たようなものがある。
 耳の中に機械を押し込んで聞く、超小型タイプだが……。

「何が入ってるのかな…………」

 僕は電源を入れて、適当に再生ボタンを押した。

 優しい、旋律。

 一瞬クラシックかな?と思ったけど、しばらくすると、女の人のソプラノが聞こえてきた。



 腕を 抱いて

 瞳を閉じるの

 そこには何もないけれど

 背後に貴方がいる気がするの

 甘い錯覚



「知らないな……」

 呟やくと、ふわっとあこがれの人の香りがした。ピンク色の髪が舞って……。

 僕は、目を擦った。

 甘い 錯覚。

 そこには、ローザがいた。

 目を閉じて僕に顔を寄せている。じっと耳をすませている。
 淡く色づいた少女の頬。濡れた紅いくちびる。うすむらさきのフリルがついたワンピース。
 鼓動が早まって、甘い香りに息が触れてしまわないようにどきどきして、
 僕は、抱き寄せたいのを、ぎゅっと我慢したんだ。

 じっと目を閉じているとなんだか顔のあたりに視線を感じて、
 目をそろそろ開けると、ばちんと視線がかちあった。和む柔らかな視線。

「何聴いてるの……?」

「……えっと」

 まさか知らないとはいえない。

「友人に借りたんです。でも、何の曲か分からない」

「友人って、今回の任務の人間?もう友達になったんだ」

 えっと…………。

「その……まだ」

 ごにょごにょ。

 僕は仕方なく半ば脅して五人の傍にいることを白状した。
 付け加えると、ちょっぴり険悪なムードであることも、だ。

「そうなんだ……」

 ローザはうーんと可愛らしく腕を組んだ。

「よし、私が協力してあげる!!」

「な、何をですか?」

「五人と仲良くなれるように、協力してあげる!」

「ローザ先輩。その……別に仲良くなる必要はないんじゃ……」

「何いってるの?ヴァイオっちの仕事は五人がいい行いをしたことを記録することでしょ?
仲良くならきゃ、なかなか人のいいところって見えてこないと思うわ」

 うっ…………。

 すごい説得力だ……さすが先輩………。

「ね?私が協力してあげるから。頼んでないとかいわな〜〜いの」と、人差し指を立てる。

「何ですかその最期のやつ」

「今はまってる芸人よ」

「……………」

「さ、そうと決まればいくわよ」

「は、はい!」

「とりあえず……誰のところにいこうかしらね」

「えっとですね……」

 僕は書類を出してがさがさとめくった。しかし、ばっと風が吹いてそれは風に吹き飛ばされた。

「わーっ」

「拾って拾って!」

 二人で慌てて書類を集める。最期の一枚に手を伸ばそうとすると、ローザの白い手と重なった。

 ぎくっと手をひっこめる。ローザはそんな僕に気付きもしないでもう、とかいいながら最期の書類を拾った。

「で、まずどの人のところにいくの」

「えっと…………」

 僕は一番上に来ていた本橋繭の書類をめくる。下のページは、篠原和実だ。

「この人です」

 僕は書類を渡す。

「ふうん……キレイな人間ね。でも男だか女だかよく分からないわね」

「あ、男の人らしいです」

 ちょっとむっとした。

じゃあいきましょうか。ローザがくるっと人差し指を回す。

 次の瞬間、僕らは薄汚い路地裏に立っていた。先ほどの花畑とは雲泥の差である。

 ローザはきょろきょろする。怪しいネオンがちかちかと点滅し、黒猫がぴょんと横切った。

 ここに飛んだということは篠原和実は近くにいるはずだ。
 しかし、なんて危なそうなところなんだ。他の国でいうとスラム街、といったところか?

 いざとなったら僕がローザを守らなくちゃ。

 僕は心に誓った。

「あ、来たわ」

 僕はローザが指差した方向を見た。柔らかな茶色い髪を軽くはねさせて、
 白いジャケットにブーツ姿の篠原和実が、明らかに商売女と分かる
 派手ないでたちの女性と腕を組んで歩いてくるのが見えた。
 僕は反射的に電柱の影に隠れた。

「何で隠れるのよ」

 といいつつも、ローザも僕の後ろにさっと隠れた。

「だって、今会ったらなんか気まずいですよ」

「何言ってるのよ。篠原和実の本当の姿が見れるかもしれないじゃない」

「そ、それは見ちゃいけないんじゃ…………」

 二人はピンク色のお城のようなところに入っていった。
 なんとローザは行くわよ!とか言って走り出そうとした。
 僕は慌ててローザの細い腕を掴んだ。

「何するのよ!いいところが見れるかもしれないじゃない!」

「いいところの意味が違いますよ!!」

 ローザはどうやら僕より年上なのに、人間のことには、特にこういうことにはうといらしい。
ローザは僕の頬をつついた。

「真っ赤よ?」

「そりゃそうですよう……」

 僕は泣きそうになった。

 二時間後、篠原和実は出てきた。一緒に入った女性は一緒ではない。

 僕らは後ろからついていきながら、それにしても、と思った。

 先輩とはいえ女の子連れで任務にあたっていいものだろうか?

 表通りに出るとくるっと篠原和美は振り返った。

 僕らは隠れる間もなく篠原和実の視線を受け止める羽目になった。
 篠原和実はちょっと垂れ目の目をにっこりとさせて、つかつかと歩いてきた。
 僕よりちょっと背が低いくらいだ。

「どこから見てたの?」

 僕は目をそらすのもなんだか半分天使のプライドを壊すような気がして、
 じっと篠原和美の茶色い目を見据えた。篠原和美は口元を吊り上げたまま、
 すっと流れるような動きで僕の耳元に顔を寄せ、呟いた。

「私があのあばずれとファックしてるところから、見てたのかって訊いてるんだよ」

 濃厚なヴィヴィアン・ウエストウッドの香り。僕はかっと頬が熱くなるのを感じた。
 ちょっと顔を離して、にやにやと好色そうな笑みを浮かべ、篠原和実は僕を見つめる。
 ニ、三秒。ふっと飽きたように視線を外して、今度は上から下までローザを眺め始めた。
 僕はばっとローザの前に立ちはだかった。

「へえ……いい女連れてるじゃん」

 僕はめらめらと自分の中に敵意が芽生えるのを感じた。
 こんなクズは消してしまいたい。誰のためにもならないんだから。

 僕の思いが通じたのか、後ろからローザが僕の腕をそっと押さえた。

「駄目よ…………」

 篠原和実も、ようやく僕を怒らせたことに気付いたらしい。

 あちゃー、とかなんとかいって。ごめんね、と舌を出した。

「あんた怒らせても私が消されるだけかぁ……でも、いいよ、消しちゃいなよ」

「きゃ…………」

 一瞬何が起こったのか分からなかった。
 篠原和実はほとんど目にも止まらぬ素早さでローザの腕を引いて、
 ローザのくちびるをくちびるでかすめとった。

 その瞬間、自分の心の中から得体の知れない、否、自分の中の悪魔の部分がずるずると顔を出して、
僕に、コロシテシマエ、と囁いた。

 僕が振り上げた手に気付いたローザが叫ぶ。

「駄目!!!」

 渾身の打撃。けれど、それを受け止めたのは奴ではなかった。
 ローザが花のような髪をなびかせてゆっくりと地面に倒れる。誰かの悲鳴が、した。
 僕は肩のあたりを押さえて蹲る彼女を、ぼんやりと見下ろすことしかできなかった。

 自分の息遣いが聞こえた。ふてぶてしい無表情で佇む篠原和実の胸倉を掴み、僕は何か叫んだ。

「だ……めよ」

 僕はぎくりとした。ローザが虫の息で立ち上がって、僕に背を向けた。

「……帰るわ……」

「ロ……ローザ…………」

 ローザは軽く胸を喘がせながら、振り返って優しく微笑んだ。

「駄目よ。貴方は、人間に優しくしてあげなくちゃ駄目」

 ふっと、ローザの存在が薄れて、消えた。それは、ローザが天国に還ったことを告げていた。

 僕はしばらくローザの名残りがする空気を感じていたけれど、やがてふっと下を向いた。
 篠原和実は、ちょっと伸ばした爪の甘皮をいじりながらぼうっと立っていた。
 僕は無言で彼の胸倉を掴んだ。

「一発殴らせろ」

「あの女を打ったのはあんただ」

 篠原和実が冷たい声で言う。僕は黙って彼の頬を殴った。勿論、人間がする程度の強さでだ。

 篠原和実はよろけて、けれど倒れずに中腰で少し血を吐くと、ジャケットの袖で口を拭いた。
そして家とは反対の方向に歩き出した。僕はしばらくぼうっと立っていたけれど、
やがてそうしていてもしょうがないと思い始めて、五人の家のほうへ歩き出した。




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