緩歩のあしあと
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わたしは見たの。 目の前のあの子が、一度死んで、生き返るところ。 同じ病室の向かい側の彼。 ―――遷延性意識障害?ことばはよくわからないけど、 ずっと彼には意識が無かった。 それでついこの間、彼の病状は急変した。 彼は死んだって。お医者さんも、両親も、みんな彼の周りに集まって、 ざわざわして、 お葬式の話とか、手続きの話だとか、そんなことを話してた。 ・・・でもその晩。 わたしは見たの。彼が命を吹き返すのを。 彼のベッドごと何かよくわからないもやもやした光に包まれて、 気づいたら光の中に女の人がいた。 そこだけ昼間のように明るいの。 でも窓辺に置いてある花瓶の影は、どこにもできてなかった。 だからきっと、あれは光に見えるけど、実際の光じゃない何か。 長い長い時間その光景を見てたと思ったら、 光が無くなって真っ暗になってたことに気づいて、 今までの光景は夢だったのかなって思っちゃった。 怖かったけど、スリッパを履いて、そのベッドに近づいてみたの。 そしたら・・。 彼がぼうっと瞼を開いてて、私と目が合った。 その日はそれっきり。 だってどうしていいかわからなかったんだもん。 夜中だったし。 自分のベッドにもどって、ばっと白いお布団をかぶってそのまま寝ちゃったの。 でも次の日ね、その子のお母さんとかが来て、 みんな驚いて、大騒ぎしてた。泣いてる人もいたよ。 しばらくその子は喋れなくて、ただ周りの人を見ているだけだった。 喋れるようになったのはあれから1週間後ぐらいかな? わたしとっても驚いたのよ! だって彼。・・彼。・・・・性格が変わっていたんですもの! 本当に、どうしたのかと思っちゃった。 前はむっつりして何も喋ってくれなかったし、 紙飛行機を折って飛ばしたら、迷惑そうに睨みつけられたのよ。 なのに、今はどう?彼ってば別人みたい! からからと楽しそうに笑いながらわたしに挨拶してきたのよ! 本当、ウソみたいな話! まるで一度死んで違う誰かと入れ替わっちゃったみたい! そうでもなければ何?悪いものを天国に置いてきちゃったから、 あんなに明るくなったのかなぁ? ほんと~うに、へんなの!こんなことってある? わたしってばその光景があまりに可笑しく思えて、毎日彼を眺めちゃうの。 そしたら「どうしたの?」って、軽やかで楽しそうな声で話しかけてくるの。 本当に、ふしぎ!こんなことってあるのね? 彼ってとってもお兄ちゃんで、わたしとは歳が離れてるけど、 ちょっぴり彼のこと、好きになっちゃいそうかも! だって何かわるいものがとれたみたいに、軽やかで明るくて、いつも楽しそうなんだもの! わたし、元気な日は病院内を探検するのが好きだけど、 病院中探しまわっても、あんなに素敵にからからと笑う人はいないわ。 いつか彼に肩ぐるましてもらうんだから。彼がそのくらい元気になったらって話! ―――――女の子の心の声が空間を伝わり、天使に伝わり、その情報は、やがて天界へ達する。 女の子が見た奇跡は、やがて彼女にも伝わった。 「・・・なんですって!?生き返った?あの人間が!?」 少女は息も吸わずにわっと大声で喋ったあと、近くにあった空中に浮かぶチェアにどさっともたれかかる。 「あ~~ァ~~ア~~、まったく意味がわかんないわ。なんだっていうの?」 こめかみをつつん、と左手でつっついて、目を細めて項垂れる。 「Nさん、だからこれは、不確かな情報よ。ある人間の女の子の声を守護天使が報告してくれただけなのよ。」 「あなた特殊部隊の人間じゃないでしょ、ちゃんとノルディって呼んで頂戴ね。」 「あ、うん、そうするわ。」 「なんかほ~んと、スッとしない事件ばっかり。何か他に情報ないかしら?」 「そうねぇ・・、ワタシの手元にあるのはそのくらいだけど、ただ・・」 「・・ただ?」 「生き返ったっていう彼、今までと性格ががらっと変わってしまったらしいのよ。」 「・・・・・なにそれ・・。管轄の守護天使が監視してたでしょ、そっちの報告はどうなってるの?」 「・・・・それが・・。」 「・・・んん?」 「よくわからないらしいわ。」 「・・・・はぁ・・?」 ノルディは再びごろんともたれかかり、両手で顔を覆う。 「もぉ~~~、何なのよ!」 そう言って唸り声にも似た音を漏らす。 ――――どうやら全く調査は進んでいないらしかった。 いつもこうというわけではない。 むしろノルディ含め特殊部隊の天使たちは中々優秀で、 日常のあらゆる事件は速やかに解決されていた。 なのにこの件に限っては情報を探ろうとも、探ろうとも、 行きつけない穴の中に嵌り込んでいるようで、 一向に決定的なものに辿りつけないでいる気がしていた。 チェアに横たわって静止していたかと思うと、急にくるっと起き上がって、動き出す。 どうやら彼女は回復も思考の切り替えもメリハリがあって素早いらしい。 ノルディはしばらく天界に留まったまま、色々な天使に話を聞いていた。 彼女が調査中の人間、「柴谷朋弥」。 彼はノルディが突き止めた、唯一、極楽地獄を知っている人間、なのだそうだ。 そしてノルディが病室に行った時、彼の魂は既にそこには無かった。 すぐさま天界に赴いたが天界にも魂は行き着いてはいなかった。 半悪魔のヴァイオレットを遣わして、魔界にも行かせてみたが、やはりそこにも柴谷朋弥はいなかった。 「柴谷朋弥は、極楽地獄を見た人間は世界の何処からも消えた。」 そう彼女は感じた。 何か大きなものの存在を感じた。自分たち天使ですら触れられないもの、犯せないもの。そんな大きな存在。 それが何かはわからなかったが、その存在があまりに大きすぎて、 私たち天使がいくら調査しても、その真相に辿りつけないのだということを、 ノルディは天使なりの勘で、なんとなくわかっていた。 「今の天界の混乱に乗じて、この任務無くならないかしら・・」 ぼそっとそんなことを考えたりもした。 今は天界が混乱に見舞われている時期。 レナシーと名乗る少女が神に仇なそうとし、複数の天使失踪という不可解な事件を招いた。 失踪した天使の一人、ルーミネイトの代役として、上級天使フェルメイが臨時に役目を果たす中、 果たしてこの極楽地獄調査の任務はどれほどの緊急性と必要性があるというのだろう。 「・・・・ん。」 急に立ち止まるノルディ。 「そういえば・・・人間界の私のアジトに・・あの紫クンを放置したままだっけ?」 人間界に置いてきたままのヴァイオレットを思い出し、 急に足をそわそわと上下に小刻みに動かし始める。 「あ~~~、もうしょうがない、ついでに見てくるかな、ついでついで、柴谷朋弥の様子を直接探りに行くついで。」 きゅっと方向転換したかと思うとそのまま勢い良く動き出すノルディ。 ―――――向かう先は、・・もちろん、人間界。 「そうだ、ごんべえ!ごんべえなんてどうでしょ!」 「・・・ごんべえ?」 「お坊さん名前が無いんですよねー、じゃあ名無しの・・権兵衛さん!」 坊主頭の男と半天使半悪魔のヴァイオレットは、魔界の辺境を進んでいた。 「とても、いいお名前ですね。どうもありがとう。」 にっこり笑ってそう言ってくれた男を見てヴァイオレットもほっこりと心が温かくなる。 「にしても・・ジルメリアの情報も、あの嫌味~~な悪魔のこども、 パトリでしたっけ、あの悪魔の所在もまったくわからないんですよねぇ・・。」 ヴァイオレットはジルメリアの情報を探して魔界をうろついていた。 瘴気満ちる魔界で唯一身を守ってくれていた大天使の紋章が消えたのに、何故かヴァイオレットは無事に、この魔界で存在出来ている。 「ねえごんべえさん。」 「・・うん?」 「さっきから連れてる、その・・ヤギ?みたいな生き物は何なんですか・・?」 男はいつの間にかお供にヤギを連れていた。 僕がジルメリアの情報を色々と聞きに行っていた隙に、だ。 (・・あれ・・?・・そういえばこのヤギなんでこんなにボロボロなんだろう・・) ・・そういえばこの男の身なりも、そしてこのヤギも、ボロボロだった。 ヤギは傷だらけで、大きい傷跡から血が出て固まった跡や、皮を剥ぎ取られようとした惨たらしい跡が無数にあり、 見ているだけで痛ましく、そして見窄らしいことこの上なかった。 「とてもうつくしいヤギでしょう。」 「・・・・え?」 男は拝むようにしてそう呟いた。 一瞬何を言い出すのかと思ったが、そう言われて見ると、確かに姿は見るも無残なボロボロの姿だが、 一歩後ろに引いて目を細めて見ると、なるほど確かに、風格があって、格調高く清麗さを纏っているような。 でもそれは、ぼんやり見たらって話で、やっぱり普通に眺めていると、ボロボロのヤギにしか見えてこない。 「貴方のような瑰麗な生命をお持ちの方とここでもお会いできて光栄です。」 (・・・・) ・・・んん?なんだかごんべえさん、ヤギと会話してるような・・気がしなくもないけど、 でも何を言ってるのかさっぱりわからない。 「私がここにいるとご存知だったのですか。」 (・・・・・) やっぱり何か会話しているようだが、全く聞き取れない。 しばらく坊主頭のごんべえと名付けた男とヤギは意思疎通をしていたようだが、 それをぼーっと眺めていて、ヴァイオレットは急に、自分が蚊帳の外であることが嫌になってきた。 ヴァイオレットは、そういった立場の自分に気づくと、ひどく卑屈な気持ちになってくるのである。 天界などでそういう立場になった時、心を閉ざし、口もきかなくなる。その場から逃げ出すこともあった。 でも、今回はそうはならなかった。 僕が卑屈な気持ちを思い出しそうになった時、ごんべえがすかさず、ヴァイオレットの腰のあたりをつっついたのである。 「はわっっ!?」 ビックリして変な声をあげてしまったヴァイオレット、そのことに恥ずかしくなり、しきりに辺りを見回す素振りをする。 男は声を出して笑っていた。 特に取り繕うこともなく、なぜ急につついたかなど、そういったことに触れることもなく、 ただ子供がちょっかいを出すようにつっついて、そして笑っている。 あまりに拘泥無いカラカラとした笑い声なので、僕も何か、 ヘンに孤独ぶったり、恥ずかしがったりするのが、なんだかバカらしくなってきて、 それでなんか、ちょっとだけ笑ってしまった。 ・・楽しいなぁ。・・・楽しい空気。こんな明るくて軽い世界があるんだなぁ。 何も悪いことを考えなくて済みそうな、こんな軽やかな世界。 ・・・・いいなぁ、心地良い。僕、ずっとごんべえさんと一緒にいたら、もっと陽気な天使になれるかなぁ・・? 坊主がヤギと変な踊りを舞い、スキップしたりしている奇妙な光景。 そんなものを目の前にして、ヴァイオレットはなんとなくそう思った。 あとで聞いた話だが、あのヤギは、はるか昔、とある儀式の生贄になり、殺されてしまったヤギだという。 神の怒りを沈めるだとか、飢饉を救うためだとかで、神が所望した白いヤギが必要だったという。 ごんべえは悲しそうにこう言っていた。 「皆を愛し生かし続けることこそが最大の喜びである神という存在が、 命が奪われることを望むなど、そんなことがあると思いますか。」 ―――――僕は正直神という存在がよくわからない、見たこともないし会ったことも無いから。 僕がのた打ち回っていても助けてくれたこともないし、助けてって、何度も叫んでも、助けてもらった覚えなんか一度もないし、 神様ってのがいたとして、そいつが悪いやつなのか、善いやつなのかなんてわかるわけない。 ただ思うことは、神様ってのがいるなら、ごんべえの言うような 僕達を愛してくれて、命が奪われることをとても悲しむ、そんな存在ならいいなって、そう思った。 ―――でも、ぼくは、本当に神様とかがいたら、僕を、見放さずに、・・助けて欲しかった。 悲しみの表情を浮かべる坊主頭と紫頭の人間と天使が2人。それぞれの想いが空に吸い込まれて消えていった。 |
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