天と地の迫間
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ヴァイオレットの心に影が落ち、彼は男から目を逸らす。 男はそんなヴァイオレットの目の曇りを見逃さなかった。 「綺麗な子よ」 男がそっと僕の方を見て呟いたみたいだったが、何を呟いたのか、最初は全くわからなかった。 何故って、そんな言葉を一度たりとも誰かから言われたことなんて無かったからだ。 もう一度男が呟く。 「どうしてそんなに恥じ入る必要があるのだろう。」 男は切なそうな、少し悲しそうな表情を浮かべる。 芳しい花の香に虫たちが惹きつけられるかのように、そのふんわりとした芳しい声色によって、 ヴァイオレットは気づけば男のほうを再び見ていた。 しかし男を見た途端、また恥ずかしさが込み上げてくる。 徐々に取り乱される感情が増幅される。 「ぼ・・・、ぼくはっ、僕は汚れた存在ですから。」 何故だろう。何故かはわからないが、ぼくはしきりに何かそんなことを言い放ち、男から逃げようとした、 そして出口らしきところを探し、外に出た・・・つもりなのだったが・・。 そこは見知らぬところだった。まさに異世界。いやここは魔界のはずなのだが・・。 僕が知っている魔界とは随分景色が違う。 まるでこう、水彩絵の具を子供が天の川銀河の瞬く夜空に散りばめて、 夜空が絵の具のグラデーションによって色とりどりに遊んでいるかのような、ちょっと不思議で面白い景色が広がっていたのだ。 呆然と辺りの景色を眺めて立ちすくんでいると、そっと男は以前よりもすこし距離を置いて僕の横にいた。 僕がこの独特の景色に夢中になっていて気づかなかっただけなのかもしれないが、 男が突然僕の左側に出現したような感じがして非常に驚いた。 一定以上の距離を詰めると恥じらうヴァイオレットの態度を見たからか、男は妙な間隔をとってそこに立っていた。 ヴァイオレットは相変わらずどきどきしながらちらちらと男のほうを伺ってみたが、この距離感がやや安堵感を与えた。 男がヴァイオレットの方を見ずに、天を見上げていたから余計にホッとしたのかもしれない。 魔界には似つかわしくないその穏やかな暗い場所で、僕たちはその独特の空気感に感じ入っていた。 が、ふと、あることに気づく。 「そういえば・・」 ヴァイオレットは躊躇いながらそっと男のほうを見た、男の目は直接見ずに、ちょっと視線を逸らした感じにして。 男も同じように、ヴァイオレットの方を直接見ずに、少し斜め下を見た。 「・・そういえば、僕を治してくれた悪魔って・・誰だったんですか・・?」 ・・そうなのだ。ヴァイオレットが目覚めた時には、この坊主頭の人間しかいなかったのだ。 治癒魔法を使える悪魔なんて、聞いたことがない、もしそんな悪魔がいるなら見てみたい。 ヴァイオレットはそんな悪魔の存在に深い疑念を抱いていた。 それを聞いて、男はにっこりと笑った。 「とても偉大な方ですよ。」 ほっこりとした満面の笑顔であっさりとそう答えられた。 なんか納得がいかない。それなのにこの男の柔らかさの力のせいか、どうも厳しく追及する気になれない。 結局おずおずと口ごもりながらちっちゃな声で聞いてみることになった。 「い・・偉大な方・・・・って・・?」 男は小さく笑い、そして自分の手を天に翳して言った。 「私に力を貸して下さった方です。彼が私の願いの手助けをしてくれたお陰で、私はここに在ることができます。」 男は目を輝かせながら続けた。 「こんな面白いことはないでしょう。ここに来て、私の願いが叶うなど。なんと面白く、喜ばしいことよ!」 男はボロ布を揺らし、楽しそうにその場で小さく回って見せた。 「私には手があり、耳があり、目があり、皮膚があり、無数の細胞がある。こんなに喜ばしくて面白いことがどこにあるだろう。」 男はやけに喜んでいるようだったが、ヴァイオレットは男の気持ちが全くつかめなかった。 「人間が・・・そんなにいいものなんですか・・?」 男とは真逆の低いテンションでヴァイオレットはそう質問してみる。 「貴方も同じでしょう。存在は違えども、笑う心、悲しみの心、憎しみ、恐怖、安堵、嘆き、そして喜びの心を持つ。」 「はぁ・・。」 いまいち男の言おうとしていることがわからない。そして男が笑う意味も全く理解できない。 「貴方がたはよく迷子になり、私は孤独だと言うね。君の悲鳴もとても深い。 しかしあらゆる者は貴方に永久の時を刻む間寄り添っており、そしてこれからも変わらない。 今は私が君に寄り添うことが出来る。貴方が私を求めれば、私はいつだって貴方の側にいよう。」 安堵感を齎すやわらかい声色で、男はすっと立ち、その溢れそうな感情を目に抱きながらヴァイオレットを真っ直ぐ見つめた。 恋人たちが発するような甘いその言葉。 そんな言葉を僕に向けられたこと自体非常に疑わしいことで、僕の耳が都合のいい聞き間違いをしたんじゃないかと思わざるをえない。 それにまさか、男の人、人間の男の人にそんなことを言われるなんて、なんだか変な感じ。 そういう言葉は恋人同士が囁くセリフとばかり思っていたから、 僕は本当に、この人は一体何を言っているのだろうと、只管そういう想いが頭をぐるぐると何十回転もしていた。 「この世界の誰もが、全ての繋がりから切り離されて孤独の時を味わう時代がある。 自分のことを不幸だと思うのだろうか。自分に人徳が無いのだと。自分は嫌われものなのだと勘違いをするのだろうか。 時に周りのすべてを恨み、去っていった人を憎むかもしれないが、それはよく出来たつくり話だと思わないかい?」 「・・え?」 やっぱりこの人、何言ってるのかさっぱりわかんない・・。 「まるで図っていたかのように、同時期に大勢の人間が自分のもとを去るだなんて、偶然にしては面白い話だ。 出来事というのはとても面白い。去らねばならぬ時期に、すっと人が去り、また巡りあう時には図ったように相応しい人間と出会う。 すべてはよく出来たつくり話のようで、よくよく観察してみると、何故その時期に人が離れ、そして再び人と巡り会ったのか。 何故不幸が起き、幸福が起きたのか。すべてが絶妙なトリックのようだね。」 「・・・え・・・・。」 うー・・・んと、つまり、なんかこう、人生はこう、仕組まれてる・・、宿命的なものだって言いたいのかな・・? イマイチ理解できていないといった風なヴァイオレットを見、男は更に付け加えた。 「貴方を見ていると、まるで自分を暗い暗い、深い闇に閉じ込めて動けなくしてしまっているようだ。 何か悲しい出来事が起きたとして、それは本当にすべて貴方のせいなのですか。」 ・・・なるほど、つまり出来事にはすべて原因があって、僕のせいじゃないかもしれないよって、励ましてくれてるのかな?? 「で・・、でも、僕の・・、僕のせい以外に考えられないです。」 暗くて深い闇の中、悲しい出来事・・、男が言おうとしているものは、きっと、 僕が天界から追放されたんじゃないかって思ってる恐怖。 それで真実を知ることが怖い僕の心のことを言っているような気がする。 でもそれは、僕が半天使だから。それ自体が異端で、問題視すべき罪深い存在だから。 「貴方は深い深い絡み合った因果を見たことがあるでしょうか、それはとても捉えにくいもの、人の私も、そして貴方も。 一見自分が原因に思えるものがあったとしても、もっとその根は別のところにあるのかもしれません。」 ・・・ど、どういうこと??僕以外に原因があるって・・??一体どんな??? 「貴方は、ご自分のその存在を変えられるのですか?貴方は全ての問題を愛おしいご自分の存在のせいになさるのですか?」 はっと気づいた時には、男はいつの間にかヴァイオレットのすぐ近くにいた。 ゆっくりと優しい男の挙動に、ヴァイオレットはすっかりと警戒を緩めていた。 ヴァイオレットがいつの間にか近くにいた男の存在に気づき、急にたじろぎ始めると、男はその優しい眼差しをすっと逸らして頭を垂れた。 予想外の行動にまたもや動揺するヴァイオレット。 「どうか私に怯えないで。私は貴方という輝かしい存在に、最大の配慮と敬意を尽くしたいと思っています。」 目の前で男に深々と頭を下げられている状況に、ヴァイオレットはすぐには返答の言葉が見つけられない。 「えっと、・・・じゃあ、その・・。僕、ちょっと、目を直接見られるのが・・その。」 頭を垂れたままの男からは表情が読み取れなかったが、男がいつものような穏やかな表情で微笑んでいるのだと雰囲気で感じ取れる。 「ええ・・、貴方の満月のように綺麗な金の瞳を拝見出来ないのはとても残念ですが、私は貴方の愛おしい足元を眺めるだけでも、十分に心地良い。」 ・・なんだろう、この男。 こういうタイプの人間は見たことがないし、天使でもこんなことを言う天使はいただろうか。 とにかく、予想外の行動をとられるので、いちいちしどろもどろしてしまう。 でも物腰がとてもやわらかなその男は、とても上品な立ち振舞で、見ていてとても穏やかな気分になるのだった。 ・・最近の女の人には無い上品さだよなぁ~。あっ、でもローザ先輩も品があって可愛らしいんですけど、 でもなんかローザ先輩は活動的なんですよね・・、 僕よりずっと積極的で、たまにぼく、うじうじしてるとローザ先輩におしりひっぱ叩かれるっていうか、 行ってこい!って強烈に後押しされるから、つい勢いで色んな任務引き受けちゃったり、たまにトラブルも起こしちゃったり・・。 ヴァイオレットはそんなことを考えながら、目の前の坊主頭のてっぺんを眺めていると、 その坊主頭の男はゆっくりと上半身を起こし、にっこりと再び微笑んだが、 視線はちゃんと、僕と目が合わないようにしてくれているのがわかった。 ・・なんだか悪いことを言っちゃった気がする。 ヴァイオレットはちょっと気の毒になりながら、こんなことを聞いてみた。 「そういえば、お坊さん人間なんですよね?・・お名前って聞いてもいいですか?」 男は笑いながらちょっと困った顔をした。 「名前・・ですか、私はどうとでも、呼びやすい名をつけて呼んでくだされば構いません。」 「・・名無しさん・・?」 咄嗟にそうヴァイオレットに返されて苦笑する男。 「フフッ、そうですね、そう呼ばれていたこともあります。」 なんだろうこの人、親とかはいないのかな? ヴァイオレットはそう思いつつも、プライベートなことを聞くのは気が引けて、そこには触れないでおいた。 「名無しさん・・・・・。・・・は、ちょっと可哀想だし・・。うーん・・。」 ぶつぶつと小声で呟いているヴァイオレット。 真剣に自分の名前を考えてくれているヴァイオレットを見て男は嬉しそうにしていた。 「まぁなんと、優しい存在なのでしょうね、貴方という方は。」 男はほくそ笑みながら言う。 さっきまで唸りながら真剣に考えていたため、不意にそう言われて何のことかわからずきょとんとして顔を見上げる。 不意に男の方を向いたため、男の顔をまじまじと見てしまった。 男は身に纏った泥だらけのボロ布に似合わず、顔立ちが案外整っていて、年齢も想像より若そうだった。 お坊さんっていうと、もうちょっと年齢がいってるのかと思っていたが。 しかしこのお坊さん、いやお坊さんなのかも不明なのだ、ついつい坊主頭が珍しくて、お坊さんって言ってしまっているだけで。 「このつるっぱげが、そんなに面白いですか?」 男は子供のように目を丸めて生き生きとした表情でその坊主頭をきゅっきゅとこすってみせる。 茶目っ気があって、ひょうきんさも持った、面白いお坊さんみたいだ。 「僕もそんな頭になったら、えらくなれますか!!?」 男のつるっぱげ頭に心を動かされて、思わずそんなことを聞いてしまうヴァイオレット。 「私、えらそうに見えるかい?」 「い・・いえ・・・」 思わず否定してしまったが、賛同した方が良かったかな!!? ヴァイオレットは自分の意見をあまり持たない。とにかくその存在故に、相手に合わせてしまうことを覚えてしまっているのだ。 男はニッカリと笑い、こう言う。 「貴方はそのままで十分偉い。」 男は笑いながらしゃがんで僕にそう言った。 何故だろう、この男といると、僕は暗い気持ちになって塞ぎこむのを阻止される。 ころころっとした、朗らかで明るいこの男の独特の笑いは周りの空気を陽気にさせ、 まるで全世界のあらゆる存在が心底笑って楽しんで存在しているかのような印象を受ける。 ・・・なんだか、ずっとこの場所に留まっていたい・・。 あまりに穏やかなその雰囲気は、天界ですらも感じたことがない。 ここが僕の、安らぎの場所―――。 ヴァイオレットは自分の中のあらゆる負の衝動が沈められ、穏やかになっていくのを感じながら ゆったりとその空気に身を委ねていた。 ケタケタケタケタケタケタ・・・ ふいに、魔界の外で小さな小さな音が聞こえてきた。 小さな存在の悪魔たちが音を鳴らしている。僕はこの小さな悪魔たちの存在をよく知らないが、 魔界にいる小人とか、妖精とか、きっとそういう存在なのだと思う。 そしてその独特の音は、この和やかな空気をぶち破って侵入し、僕にある重大なことを思い出させた。 ・・・・ジルメリア・・・、 ・・そうだ、ジルメリアを探しにいかなければ・・。 すっかりこの居心地の良い空間に居座ってしまっていた。 目的も忘れ、何もかも忘れ去って、こんな心地よい笑顔と楽しさに満ちたところにいられたら、どれだけしあわせなのだろうか。 きっとこういうところが、天国と人は言うんだろう。 ・・天国、皮肉にも魔界であるここでそんな言葉が出るなんて・・。 僕は天界にいつもいたけど、決して幸せじゃなかった。 僕にとってあそこは天国じゃ無かったってことなのかな。 じゃあ僕の天国は一体何処に・・・? ・・天国か。僕の天国。そんなものを探すなんて無謀なことかもしれない。 だって僕は生まれつきどこにも居場所がない存在のはずだし・・。 それに今、僕は天界に戻れない。 でも、なぜだろう、僕は今一番天国に近いところにいる気がするんだ。 常に暖かくて穏やかな理想郷の楽園、そんなものをうっすらと感じられる気がする。 誰かの笑顔、歓喜の心。 ああなんだか、僕の居場所が、僕の安らぎの場所が無性に欲しくなってきた。 あらゆる命を汚し究極のどん底まで貶めるといわれた最大の負の魔窟である魔界。 そんな魔界にこんなにも穏やかな場所があるのならば、未だ見ぬ数多くの世界にどこか僕の天国が見つかるかもしれない。 この男の横にいて感じられるような、こんな穏やかで楽しそうな場所。 こんなものが世界に存在するだなんて知らなかった。 僕にもそんな場所が存在するだなんて知らなかった。 ・・・探したい。僕だけの、天国を。 天界でも魔界でもない、僕だけの場所を。 ――――――探そう。 僕はこれから、自分の天国を、探しに行こう。 ジルメリアを探しながら、僕の理想郷を、どこかにあるかもしれない僕の安らぎの場所を。 未だ嘗て踏み入れたことの無い地に、僕の心の家を建てよう。 僕は生まれつき永遠の放浪者かもしれないが、それでも僕は、自分の大地を探しに行こう。 隠れ家を探し、そこに根を生やしてみたい、そこを僕の理想郷に。 そこを僕にとっての天国にしよう。 僕にとっての天国は、これから僕が、僕自身の手で作ろう。 男はそんなヴァイオレットの決意をそっと横で、微笑を浮かべながら いつまでもいつまでも見つめていた。 |
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