緩歩のあしあと
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そして、あの、極楽地獄に、辿り着いた。 あれは全部夢だったのかもしれないし、何もかもが現実と違っていて、今ではあの体験が奇妙に思えてならないが、 ただ、記憶は妙に鮮明で、あの時のことはすべて覚えている。 極楽地獄で自分と出会い、初めて自分の心を知った。 俺が、本当は、寂しくて、悲しくて、そして虚しかったこと。 それを初めて知った。俺が、本当の俺がこんなに悲鳴をあげていただなんて、 絶対ふつうに生きていたら気づくことなんてなかっただろう。 これまでだって俺はこれほどの壮絶で痛切な悲鳴に、わずか1ミリほども気づくことが出来なかったんだから。 過去の俺にアドバイスするならこうだ。 何かむしゃくしゃするんなら、他人とか、世間を責める前に、自分がなんでそんなにむしゃくしゃすんのか、 それを考えてみろよ。 ・・そんなのわかりっこないって? でもむしゃくしゃしてんのは俺自身なんだから、どうしてむしゃくしゃしてるかなんて、俺にしかわからないんだぜ。 俺が一瞬でもいいから、俺自身の悲鳴に気づいてやれてたなら、こんなに事は大きくならなかったし、 大勢の人間を不幸にしたりさ、挫折や死に追い込むことも無かったんじゃねぇか? 人間ってのは、本当の自分を取り戻した後で初めて後悔するもんだ。 ああ、あの時は、あの頃は、かつての自分は、相当酷いことを、周りの連中にやってきたんだな。 むしゃくしゃしてたからしょうがなかったとか、そんなんじゃなくてさ、 俺がただ、未熟だったというか、俺が幼稚だったんだなって、後になって初めてわかる。 いや、ふつうに生きてたらこんなこともわからなかった。 あの塔で、過去の自分を全部見さされたんだ。なんか嫌だった。俺がなんか、極悪人に見えたりもした。 こんなもん見たくないって思った。俺はどこかで俺がしてきたことをなんとなくわかってたし。 でもここまで酷かったとは知らなかった。 俺は直接人は殺してないが、人の心は何度も殺してきた。 それがあの今までの自分の記憶を、ありのままの過去を鮮明に見さされて初めてわかった。 ちょっと恐ろしくなった。罪の意識みたいなのが芽生えて、なんか報復とか、そういうものも恐れたし、 何かが怖くなった。 自分のしてきたことの重大さを初めて知って、なにか恐ろしくなったんだ。 目に見えないものが俺を見てる気がするっていうか、なんか、何かが猛烈に怖くなってきて、俺は気が付いたら誰かに許しを請うていたんだ。 本当自分でもビックリだ。 こんなことするなんてな。 だって誰も見てないし誰も知らないと思ってきた自分がやってきたことが、 ありありと、まざまざと、鮮明に、目の前で見さされるんだぜ?怖いよな、フツー。 ―――――俺が知ってたんだ。 俺は俺のしてきたことの、何もかもを知っていた。 誰も見てないし誰も知らないと思ってきた俺のしてきたこと、 それを誰よりも近くで見ていたのは、俺自身だった。 俺のしてきたことは、俺自身が誰よりもよく知っていた。 でも俺はそのことに長らく気付かなかった。 何もかもにフタをして生きてきたから。 もうやめようと思った。 こんな人生は、こんな生き方はもうやめようと。 俺はしばらく、何かに怯えていて、何かに必死で許しを請うていたけど、 そうしているうち、だんだんと、悲しみとか、憎しみとか、そういった感情を全部取り除いたような、 すごいきれいな、ありのままの俺が俺に近づいてきたんだ。 俺は、そいつと出会って、初めて本当の俺に戻った気がした。 なんか安心して、ちょっとあたたかい気分になって、むしゃくしゃしてた気持ちとか、 荒ぶって、イライラしてたものがなくなってきた。 俺は俺を偽って生きてきたんだと、ホンモノの俺と出会って初めてわかった。 自分の心を、感情を見ようともしなかったし、ごまかしていたし、無関心だった。 だからイライラして、ムカついて、世の中の何もかもがうざったく思えていたんだ。 本当の俺の心がわかった瞬間、すっと心は落ち着き、苛立ちは止まり、なんか世の中の真実っぽいものとか、 ありのままの自分とか、ありのままの世界の姿が見えるようになってきた。 世の中ってのは、俺が思ってるより悪くなくて、それでいて、世の中は、良くも悪くも、どんな角度からでも見えるんだ。 見たいように見えるんだ。 世界ってのは、俺が見たいように見える。こんな自由なもんだとは夢にも思わなかった。 世界が綺麗で良いもんだって思えば、そのような世界を見せてくれるし、世界の綺麗で良いところを沢山見つけ出せるようになる。 悪いって思えばそのように世界が見えてくる。 俺が歩く世界は、俺が決めていたんだ。俺が形作っていた。 俺が世界の有り様を決めていたなんてな。 俺はきっと、今まで目を閉じて歩いていたんだろうな。 なんにも、世の中にあるものを、なんにもみないで、目を閉じて歩いて、批判だけしてた。 だから世界がこんなにくだらなかったんだ。 俺は世界がこんなに光り輝いてて綺麗でスゴイってこと知らなかったな。 それでいて奥深いんだ、なんか探求しても探求しても、尽きない何かがあるっつーかさ、 それぐらい、奥深い何かがあって、すごい重厚さとか、大きさとか広さを感じるんだ。 生きるって楽しいもんなんだな。 たとえ病室のベッドにいてもさ。 見つけようと思えば見つけられる楽しい事なんて山ほどあった。 そのうえ、向かい側の女の子はいつも元気でさ、俺を楽しませてくれるんだ。 ほんとうに笑うことが尽きないな。 人間、楽しいと、例え転んで怪我しても楽しいもんだよな。 食事が不味くてもなんか楽しいんだよな。不思議だな。 それどころか、俺のことを悪くいうやつがいても、可哀想だな、ぐらいにしか思わないんだ。 過去の俺みたいにさ、何かに囚われて、縛られてそこから抜け出せないまま生きてるからああいう態度になるんだ。 ちょっと同情するよ。 俺みたいに笑えばいいのにな。何もかもが明るくなるし、楽しくなるのに。 きっとそれが、そいつにはわからない。ずっとわからないんだ。可哀想だよな。 せめて俺が楽しくしてやろう。ちょっとそいつが面白がることでも言ってさ、 なんか笑わせてやろう。そうすりゃそいつだってちょっとは陽気になるかもしれね。 そいつが笑えばもっとここも明るくなるしな。 この病室が明るくなれば、この病院全体が明るくなるしな。 そうやって楽しさってのは広がってくんだろうな。 ああ愉快だ。 もっと人を笑わせてやろう。もっと楽しませてやれ。暗いやつ見つけてな! はははははは!面白そうだ。考えるだけで笑っちまう!あははははははは! みんな笑っとけよ!人間笑ってるときが一番楽しいんだぜ。 とりあえず笑ってようぜ! ―――――ポクン。ポクン。ポクン。 何かが生まれては消えていく、そんな音。 それは生き物のようで、それは光のようで、それは・・。 降り注ぐ光の中に、少女はいた。 そこは天井が崩れ落ちた廃墟の教会のような場所。 神聖な空気が漂っていて人気がない。 古びた異空間の隙間から神界からの光が零れ落ちる。ひらひら。はらはら。 ここにいるとこの独特の世界に取り込まれてしまいそう、 溶けて、やがてこの空間と一体になってしまいそう。 ・・・・ここは天界?誰もいない。 ―――――そう、ここは天界。神の力が及びにくい場所。 ふと、そう、誰かが答えた気がした。咄嗟に訊き返す。 ・・あなたは誰? ―――――わたしは記憶。ここに蓄積された記憶。 ・・記憶? 星であり、粒子であり、宇宙を構成するもの。天界の記憶を持つもの。 多くの悲しみのエネルギー。多くの喜びのエネルギー。 人々の営みと、世の流れ、すべてを見てきた。私は世界。ひとつ。あなたとひとつ。 私と? たくさん悲しんだわね。あなたはりんご。今はそんな名前。 私のことを知っているの? 知っている。遥か昔から、私たちはひとつ。この行く先も、私たちは一つ。 やがて融合を果たすあなたとわたし。わたしの愛しいりんご。あなたはどうして自分を愛さないの? ・・私が私を愛する? あなたは私を愛することを忘れてしまった。あなたを思い出すことを忘れてしまった。 この世界に生きる多くのいのちたちと同じように。 ・・・多くの、いのち。 私の声を聞いて。思い出して。ささやいて。私を見て。 ・・・悲しい。わたし・・ずっと多くの時を悲しみで過ごしてきた。 そう、そう、だからりんご、あなたはりんご。そうしてりんごは生きてきた。 ・・私はどうすれば良い? りんごは、りんごが思うとおりにすれば良い。私を見て、世界を見てくれさえすれば、 あなたの望みは叶う。ちゃんと目を見開いて、私を失わないで。 私はあらゆる記憶と叡智をあなたに与えることが出来るのよ。 わたしを、忘れないで。りんご。 ・・・・・・・。 光がどんどん小さくなる。消えて、何も、見えなくなっていく。 ・・・・・・・・・・。 |
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