title:『

ヴァイオレットエンジェル


文字数:29166文字(28418)
行数:2539行・段落:1270
原稿用紙:73枚分(400文字詰)
1章:VV   ★2章:帆翔   ★3章:産声   ★4章:迫間   ★5章:緩歩   ★6章:墜地   ★7章:うばう   ★8章:狂想   ★9章:二つは一つ   ☆→writing

ヴァイオレットエンジェル:第一部

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ヴァイオレットエンジェル 《もくじ》
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 それは、舞い落ちる雪のようだった。

 天上からふわふわと舞って、右へ、左へ、下へ――

 その、先へ。

 ふっとひらめかせる右の掌。掠めてこぼれる羽。伏せて塵を積もらせる睫。

 光溢れる天上へ――天使の翼と悪魔の翼で、半分の禁忌を犯して――舞い上がって――。

 薄紫の長いワンピースのような服。ふわふわして温かい――暖められる必要はない魔性の身体――なのに。

 僕はふっと自分の頬を掠める羽を捕まえた。

 それは天使たちの残骸だ。

 抜け落ちた、天に召された天使たちの亡骸。

 天使たちの命日。今日は、天に召された天使たちの死を弔う日だ。
 この秘密の場所では、誰もいない。雲が永遠に足元を漂っていて、地平線になっている。
 空は――空の上の、空は――まるで陽だまりのようで、ぬくぬくと光を溢れさせている。

 ふわっと、地を蹴って、雲の中に倒れこむ。

 以前、十年ぐらい前に観た映画で、こんなシーンがあった。

 少女が雪のような塵に包まれていくシーン。

 まるで少女のようだといわれる自分の丸い頬を撫でて、僕は目を閉じた。

 雲の下にはむせ返るように白い羽毛が層になっている。

 ラッパが聞こえる。

 いつまでもこうしていたかった。

 だが、夜と昼とが飽和した天上界ではもう日付が変わりそうで、
 休日の今日が終わったら、勤め人の僕は、出勤しなくてはならない。

 ああ―――。

「憂鬱だあ……」

 ぼくは立ち上がって、新たな仕事を言い渡されるであろう明日に、思いを馳せるのだった。









 聳え立つ白亜の城。豪奢で、立派で、傲慢で。

 鋭塔が連なったそれが皮肉にも地獄の城の形状に似ていることを、皮肉にも、嫌われ者の僕だけが知っている。

 嫌われ者――。

 そう、それは城に一歩足を踏み入れ、天使たちの視線にさらされるときに、現れる。

 まるで鳥肌が皮膚をぞわりと多い尽くすかのように、視線は僕の全面を覆う。

 せめて、ぼくは異端の印である悪魔の片方の翼を背中に仕舞う。天使の羽も、両方だ。

 ひそひそ。

 ひそひそ。

 僕はちょっと猫背になって、とぼとぼ歩く。

 

 あれが、悪魔の――。

 そう、血が混じった――。

 ――なんて――

“汚らわしい”



「ヴァイオっち。休日はどうだった?」

 ひょこっと顔を見せたのは、仕事の上では先輩にあたるローザだ。

 僕はちょっと涙目になってたのがばれたのではないかと、ぱっと顔を背けた。

 ローザはピンク色の髪に蒼色の瞳をもった、翼を持たない種族の人だ。

 といっても彼女は空を飛べる。何故翼がないのか、何者なのかは誰も知らない。

 僕は、知りたいとも思わない。僕が悪魔の血を引いていて、
 なおかつ地獄とも行き来している異端の存在であることも、
 何も気にせず接してくれる、彼女を、とても素敵に思っている。それだけだ。

 僕が背けた顔の頬を突っついて、ローザと同じく青い制服に水色のネクタイをつん、つん、つん、とつっついて、
 最期に男女共のデザインであるむき出しの腹の、おへそのあたりをちょん、とつっついた。

「あうっ!」

「何ふくれてんの、ヴァイオっち」

「ヴァイオっちって呼ばないでください……」

「む」

 そんなに無意味に顔を近づけないでほしい。
 ふんわりした甘いニオイが漂ってきて、僕はくらくらする。

「タイムカード、ぶぶー、時間切れ」

 僕ははっとして慌てて出勤すると押すことになっているタイムカードのところに走っていった。

 間一髪。朝の八時半までに押さなければならないタイムカードは、29分で押すことができた。

 ローザが後ろからゆっくりついてきて、フリルのついた青いミニスカートに手を当てる。
 ちぇっ、と唇を尖らせる。

「いじわる……」

「何ですって?」

 にっこりとローザが微笑んで、僕の紫色の髪をひっぱる。

 それにしても髪が紫だからヴァイオレットだなんて、一体誰がつけたんだろう。

 天使にも悪魔にも親はいない。気がつけば一人で生きている。

 生まれた記憶も死んでいく記憶も、ない。

 一人ぼっちだけれど。

 だから、近しい人の傍にいたい、と、僕は思う。

 僕はローザと別れて直属の上司の下へ向かった。4階の突き当たり。
 壁も、階段も、手すりも、何もかもが白くて、地獄にいった後は、僕はその色彩の違いにくらくらする。

 こんこん、とノック。入れ。と中から声がして、僕はドアを開ける。

 そこにいたのは、長髪の金髪碧眼の天使だった。

 床につきそうなくらい波打った髪。長い睫。

 もう、THE天使といってもいいくらいの、典型的な天使の容姿、美貌。

 僕はぺこりと頭を下げて、対照的に短い自分の髪をちょいとつまんだ。

 伸ばそうかな……。

 上司・ルーミネイトには特別憧れてるわけではないけれど、
 もう、典型的な天使に近い容姿になれば、ちょっとはいじめられなくなるかな、なんて……。

 あ、そしたら地獄で悪魔にいじめられるのか。

 むう……。

「どうした?」

 中世的な声。これも天使らしい。人間のいう男らしい、女らしい、という記号にも似た、
 絶対的な“らしさ”がこの人にはある。

「いえ……」

 僕はちょっと微笑む。微笑みって便利だ。無意味に安心を引き出す力が、あるような気がするのだ。

「そうか」

 ルーミネイトはまた手元に視線を落とす。書類の山。無関心な、けれども優しげな。天使のような。天使のような。

 沈黙。

 僕は窓の外に目をやって、ルーミネイトは書類をめくって、ぱら、ぱらと規則的な音がする。

 ぱたん。

 ファイルを閉じる音。僕はルーミネイトの仕事がひと段落したことを悟って、
 ゆっくり、ふっと、窓からルーミネイトに視線を移す。彼は、彼女は?口元に手をあてている。
僕を見ている。

 笑っている?ううん。観察してる。僕のこと。

 僕は、視線を彷徨わせて、なんとなく靴のつま先を見た。
 僕はきこえないようにそっと咳払いをした。けれどそれは乾いて響いた。

 1分……2分……。

 それとも、もっと短い?

 沈黙。

 僕がぼんやりと沈黙に叱責の響きを感じ始めた頃、ルーミネイトは立ち上がった。

 起伏とも平坦ともとれない胸部に視線をやって、ちろりとルーミネイトの顔を見る。

 ルーミネイトは窓の方に目をやって、君は、といった。

「いろいろな意味で、ここでは特別だよ」

 仕事もね。

 そういった。

 僕が天使でもあり悪魔でもあるという事実。

 善行と、そして悪行を地獄と天国のお偉方に報告する役目を持つこと。

 文章にしてしまえばそれだけの。

 けれど、あまりに象徴の羽に重くのしかかる事実。

「そんな君に、うってつけの仕事だ」

 ルーミネイトがこちらを向いた。瞳は、空色の目は、ひどく優しげだった。
 いたわられているような気がして、僕はちょっと傷ついた。

 ローザなら、そんな扱いはきっと受けない。

 そう思うと、僕はひどく心もとない気がした。

 僕はローザのことが好きだけど、それ以前に、先輩と後輩であるとはいえ、対等でありたかった。

 ルーミネイトはかつ、かつ、とブーツを鳴らしてこちらに歩いてきた。
 白い手袋をひらめかせると、ふっ、と書類の束が現れる。

 それをぴっと僕に差し出す。僕はそれを受け取る。書類には顔写真がついていた。

 人間だ。人外の、そして人より上だという天使にとっての常識という本能が、僕にそう告げた。

 一番上の書類に貼ってある写真に写っていたのは、あどけない顔の少女だった。
 ひどく無愛想で、とても可愛らしい部類に入る女の子。

 艶のある黒髪と濡れた瞳、赤いくちびるが鮮明に焼きついた。

「全部で五人いる」

 ルーミネイトはそういった。僕はぺらりと書類をめくる。チワワみたいに瞳が大きな金髪の少年。
とびきり元気な笑顔を浮かべる少年。ギリシャ彫刻のように美しい青年。茶色い波打った髪をもつ垂れ目の、中性的な人物。

 個性に富んだ人物たち、という印象を受けたが、それ以外の、つまりルーミネイトの真意が分からなかった。

「彼らには共通点がある」

 ルーミネイトは言葉を切った。こちらを見ている。

「彼らは共同生活を営んでいるということ、もうひとつは」

 沈黙。

「極楽地獄、にアクセスしているということだ」

「極楽地獄……?」

 うむ……。

 ルーミネイトは椅子に座り、長い金髪をさらりとはらった。

「オッフェンバックの天国と地獄をモチーフにしているとかしてないとか……
正体不明の管理人二人が運営しているホームページだ」

 僕はごくりと喉を鳴らした。天国と地獄。それは僕の羽の象徴。

「なんてことはない、そんなに閲覧者もいない、ホームページだが……」

 ここからは秘密だ。という合図。ルーミネイトが秘密を話すときにする、ペンを弄ぶ仕草。

「上級の魔法使いが、このホームページに魔法をかけたんだ」

「そんなことができるんですか……?」

「うむ」

「……一体どんな魔法を?」

「それがだな……」

 ルーミネイトはたっぷりと勿体をつけて、目を伏せた。

「見えるんだよ」

「何がですか……?」

「私たちが」

 天使が!?

 僕の息を呑んだ様子が伝わったのか、ルーミネイトが付け足した。

「このホームページを訪れた全員が見えるわけじゃない。この五人だけなんだ。
それも、ある条件を満たした者だけが見えるようになる」

「条件……!?一体どんな……」

 ルーミネイトはまた勿体をつけた。僕はちょっといらいらした。

「一体、どんな条件を満たせば僕らが見えるようになるって言うんですか!?教えてください!」

「書き込みだ」

「書き込み!?」

「そうだ……ホームページのどこかに一定以上書き込みをしたら、見えるようになるんだ……」

「書き込み……」

「書き込み」

 ルーミネイトは頷いた。僕は唖然とした。

 しばらく沈黙が続いた。僕はしばらく黙って、ようやくいった。

「それで……何故僕に?僕に何をしろっていうんですか?」

「うむ……彼らには、天使が見える。だが、悪魔は見えない。
天使と悪魔の血が入り混じった君なら、もしかしたら姿が見えないかもしれない。
彼らの善行を記録する役割を、君が担ってほしい。それと」

 ルーミネイトはしばらく考えこんだ。

「観察役……だな。様子を、見て、事細かに報告するんだ」

「は、はい!!」

 僕は身がひきしまる思いがした。

 

















 宮崎愁は、買い物にきていた。

 この前までアルバイトをしていた彼。だが、わけあって彼はここ数ヶ月仕事を持っていなかった。

 それもこれも…………。

 宮崎愁は、目深に被った明るい色のぼうし、サングラス、
 Tシャツにカーゴパンツという全身をわなわなと震わせて、きっと後ろを振り返った。

 彼の目には見えていた。不審そうに自分を見るほかの買い物客の背後に、
 きゃっといわんばかりに隠れた鳥のような羽の持ち主たち……。

「見えてるんだよ……」

 どくろが描かれたTシャツを陳列棚に戻して、愁はつかつかと喫茶店に向かった。

 先ほど彼の元にはメールが届いていた。同居人の篠原和実からだ。

 今日の夕食の件だ。喫茶店にはピンク色のワンピースを着た篠原和実がメロンソーダを飲んでいた。

 携帯をいじっている。自分にメールが来るかもしれない、と思って愁は自分の携帯を見た。
 だが携帯はメールの受信を知らせなかった。別ごとをしているらしい。

 篠原和実は男だが、好んで女性の格好をする。男の格好もする。

 和実は愁に気付くとひらひらと白い手を振って、にっこりと微笑んだ。

 和実は愁が席に座ると、喫茶店の入り口にちらりと目をやって、また視線を戻した。

「今日の夕飯……何にしよう」

「今日の当番は部長でしょ。部長が決めてよ」

 愁は和実が作っていた天体観測研究部という部の部員だった。
 だから今でも、彼のことを部長と呼ぶ。

「冷蔵庫に何があるか忘れちゃったんだよ……やきそばでいいかな」

「またやきそば!?ぼくいやになっちゃう」

 和実はメロンソーダをすすってピンク色に塗った唇をむっとさせた。

「それにしても……」

「ん?」

「最近愁外でないね。どうしたの」

「部長こそ……」

 沈黙が二人の下に訪れた。いらっしゃいませー。ありがとうございましたー。
 単調な決まり文句が喫茶店の中に響く。

「今日は珍しく外に出たと思ったら、何その格好……」

 びっと和実が愁の格好をきれいな指で指さす。べっつにぃ~~~?
 愁はそういってきょろりとあらぬ方向を見る。

「ご注文お決まりですかー?」

 ウエイターが愁のもとに注文を聞きにくる。にこにことメモ帳にペンを走らせる。

「えっと、コーヒー……ホットで」

「私はあんみつ追加」

「かしこまりました」

 ウエイターは踵を返して、ぼそりと呟いた。

「見えてやがる……」

「え?」

「部長なんかいった?」

「何にも……」

 二人はきょろきょろする。二人はそれからそれぞれ携帯をいじりはじめたが、
 待てども待てどもコーヒーとあんみつは運ばれてこなかった。

「出ようか」

「そだね」

 愁と和実はそれからやきそばの材料を買って帰路についた。

 家では水野弘樹がタンクトップに短パンでアイスを食べていた。もう夏も近い。

「おかえりー」

 弘樹が大きな瞳を瞬かせてにやっと笑う。和実がさっとエプロンに着替えて台所に立った。

「弘樹、今日も家にいたの?仕事は?」

 愁がぼうしを脱ぎながら弘樹に尋ねる。弘樹はアイスから口を離して、おお、まあな、といった。

「あれだ。モライモノってやつだな」

「……モラトリアム?」

「そうそれ!」

 ははは。

 弘樹が笑って足をぴしゃぴしゃ叩く。上機嫌だ。

「香夜と繭は?」

 愁が尋ねる。

「今日も部屋にいるぜ」

「ひきこもってるんだよね」

 同居人のあと二人も、ここ数週間は特に家にいた。
 そのことを、なんとなく愁は気にしていた。

 ピンポーン。

「はーい」

 愁はなんだろ、といいながら外に出た。外にはぼうしを目深に被った郵便配達人が立っていた。

「お届け物です」

「はいはい」

 愁はサインを書こうとした。が、郵便配達人は箱をぐいっと差し出すとくるりと踵を返してすたすた去っていった。

「変な人……」

 愁が箱を持って台所に入っていくと、なんだそれ、といって弘樹が寄ってきた。愁がさあ、といって二階に声をかける。

「ねえ、誰かなんか頼んだーー!?」

 しばらくしてがたがたと二階から物音がして、香夜と繭が降りてきた。
 二人とも部屋着でなんとも情けない。

 繭ははたから見れば外着と変わらないが、黒いコーデュロイのパンツに
 柔らかい生地のコットンのシャツ、という装いは部屋着であることを、同居人の四人だけが知っている。

 香夜は黒いワンピース姿だが、ずっと同じ姿勢でいたのかやや皺が寄っている。

「なんだ?」

「何?」

 二人はいささか不機嫌だった。まるで今まで何かに熱中してたのを邪魔されたかのようだった。

「郵便物がきた。誰か通販で何か頼んだ?」

 二人は否定した。

 誰にも身に覚えがない郵便物。

「開けない方がいい」

 という繭の制止も意に介さず、四人は面白そうだから開けようといいだした。

「せめて差出人を見たほうがいい」

 冷静な口調で繭は言った。愁が書いてないよう、と応じる。

 和実がカッターナイフをもってきて豪快にばりばりと箱を開けた。

 愁はうわあ、と声をあげた。

「ちょ……これ……」

 なんと、中には喫茶店で注文したコーヒーとあんみつが入っていた。
 コーヒーはスターバックスのそれのように密封されていて、あんみつは透明な容器に入っている。

「なにこれ」

 香夜が不審そうに黒い瞳をくるりと回すので和実と愁は
 今日喫茶店でコーヒーとあんみつを注文したが結局来なかったことを三人に説明した。

「どういうことだ?」

 弘樹が頭をかく。

 繭が某探偵のように口元に手をあて、ようするに、といった。

「そのウエイターと配達人は同一人物だったのではないか?」

「それがどうしたんだよ。来なかったら言えばいいじゃねえか」

 ひっかかることがあったら黙っておけない弘樹がむっとした口調でいう。

「だって……どうでもよかったんだもん」

 愁が眉を寄せる。

「大体同一人物って時点でおかしいでしょ」と香夜。

「これを今!届けるって時点でおかしいんだよ!」と愁。

 五人は箱を取り囲んで沈黙した。

「どうでもいいじゃん。ご飯にしようよ」

 和実がエプロンをほどきながら言った。

「ちょっと待て……」

 繭が額に手を当てて考え込みながら言う。

 繭はこの中では一番の年長者だ。といってもまだ21だが。
 彼らは高校時代からの付き合いで、繭は一番成績が悪かったが、一番冷静で思慮深い。
 なのに何故テストの点はとれないのかと、繭とは昔からの幼馴染である和実は思う。

 数秒間、四人は繭の意見を仰ぐために待った。しかし繭はん?と顔をあげて四つの顔を見回す。

「いや……立ちくらみがな……」

「もー繭!?ふざけないでよ」

 和実がぷりぷりしながらやきそばをよそいはじめる。全員なんだ、という表情で椅子に座った。

 やきそばをよそい終わった和実が無防備にあんみつに手を伸ばすので、
 さすがにそれはやめておいたほうがいいと繭が止めた。

「そんなに神経質にならなくても大丈夫だって」

 和実があんみつを食べ始めると、全員黙ってやきそばを食べ始めた。

 繭はひとくちやきそばを食べただけで黙ってお茶を飲み始めた。多分、と繭がいう。

「おそらく、その人物はまた俺たちに接触してくると思う」

「だったら、外に出なきゃいいんだよ」

 愁が冷めた声で言う。

「そういうわけにはいかねえだろ。食べ物だって買いに行かなきゃならねえし」

 弘樹が口元のソースを拭う。

「大体、何が目的なのかしらね」

 香夜が背もたれにもたれる。

「普通に考えると、俺たちに用がある、ということだな」

「全然普通じゃないよ」

 和実が言う。

「なあ……」

 弘樹がやきそばを食べ終わって煙草に火をつけかけ、繭のほうを見てやめる。

 繭は身体が弱いからだ。

「いっそこっちからいくってのはどうだ?」

 誰も何もいわない。

「何で俺たちがこそこそしなきゃならねんだよ。そいつ喫茶店にいるんだろ?
こっちから話つけにいこうぜ」

「いこうぜ」

 愁が弘樹の口調を真似て失笑を買う。弘樹が顔を紅くして愁の頭を叩いた。

「どうよ、繭」和実が繭におうかがいを立てる。

「危険がなければな」

「何、危険って」

 香夜が繭のほうを向く。

「…………。」

 繭は何もいわなかった。

 結局、その場はそれでお開きになった。











 弘樹は部屋でベッドに横になっていた。

 気のせいか部屋が男臭い気がする。

 最近ずっと部屋にいたからな……。

 弘樹は最近柄にも似合わず買ったパソコンに目をやった。

 電源はついていない。パソコンを触る気にもなれない。頭がもやもやした。
 窓を開けて、換気をしようとした。外気がなだれこんでくる。
 弘樹はぼうっと空を見上げてため息をついた。その時、何かがちらりと光った。
 道路に人影が。あいつだ。弘樹は思った。窓に足をかけ、

 とうっ!!!

 と、飛び降りる。久しぶりの二階からのダイブだったが、うまく着地した。
 人影は慌てて逃げようとする。弘樹は全速力で走った。
 人影は足が遅く、途中でわき腹を押さえて道路に倒れこんだ。
 こいつ運動不足か?と思いながら羽交い絞めにする。紫色の髪が弘樹の鼻を掠めた。
 仰向けにすると、人にあらざる金色の目が飛び込んできて、弘樹はびくっと手をひっこめた。
その人物はじりじりと後ずさる。

「君は……」

 ごくり。

 弘樹は肌があわ立つのが分かった。

「僕が見えるの?」

「な、何いって……」

「弘樹!!」

 繭が二人のほうへ走ってくる。紫色の人物はばっと起き上がって走り去った。
 弘樹は追うのも忘れてその姿を見つめた。
 曲がり角を曲がって見えなくなった途端、巨大な鳥が曲がり角から飛び上がっていった。
 弘樹にはそれが、人の姿に見えた。

 呆然と座り込む弘樹の前に、繭が仁王立ちをする。
 しなやかな手を振り上げて、弘樹の幼いシルエットの頬にばしんと手を振り下ろした。

「何かあったらどうするんだ!!」

 激した口調で繭が叫ぶ。弘樹が唇を引き結ぶ。

「ご、ごめん……」

 ため息。

 どちらが?

「帰るぞ……」

 繭が家のほうに歩き出す。逃げた人物の髪は紫色で、それはともかく、目が金色だったこと。
それを弘樹は繭に言い出せずにいた。

 翌日。

 弘樹は腫れてしまった頬を今更冷やしながら、ぼうっとしていた。

 目は金色だったが、あれはコンタクトレンズだったのではないか?

 という結論に弘樹は達していた。そうだ、きっとそうに違いない。
 弘樹は一人でうんうんと頷き、アイスノンを握り締めた。

 では。

 では、あの巨大な影はなんだ?

 鳥ではない。あの大きさは。

 いや、鳥なのかもしれない。

 弘樹はむんむんと唸りながらパソコンの前に座った。
 電源を入れて、お気に入りからとあるページに飛ぶ。

 極楽地獄。

 白い羽のある壁紙にそんな字が躍っている。
 閲覧者1000人を、ようやく突破したところという小さなページだ。

 弘樹はなれない手つきで下にスクロールしていく。

 目指すは掲示板だ。

 たまに管理人二人がやっている日記も見てみるが、
 どうやら女性であるらしいというほかはよくわからない。

 なにやら今日はものすごくよく寝たとか、体重の変動とか、落書きとか、
 そんなものばかり載せてある。

 弘樹はあまり興味がなかった。

 掲示板でのささやかな交流が、今の弘樹にとってはちょっとした社会とのつながりでもある。
掲示板では、見知らぬ他人とひと時の交流が楽しめる。

 勿論、他の星の数ほどある掲示板となんら遜色はない。
 ない、が、ちょっと変わった書き込みがあるのだ。



 HN 天使

 今日も貴方の行動を見ています。

 貴方は天使40%悪魔60%。

 他の利用者は荒らしだと思って無視しているが、弘樹はこの書き込みがどうしても気になった。
パーセンテージが異なる別の書き込みも幾つかあって、弘樹はちょっかいを出すような気持ちで
天使にコメントを残してみたが、反応は返ってこなかった。

 なんだろうなあ……。

 弘樹はぼうっと考えた。

 こうして気になってしまうのも、外に出ると、不思議な視線を感じるからだ。
 見られているような気がして振り返っても、誰もいない。
 視線があった場所に戻ってみると、鳥にしては大きな白い羽が残されているばかり。
 だからといって、天使……?馬鹿げている。

弘樹は何故この馬鹿げた書き込みが気になるのか、考えた。

 こんこん。

「あー……」

 ドアが開いた。ひょこっと愁が顔を覗かせる。唇をきゅっとさせて、
 む~~~~っとした顔でこちらを見ている。

「何だよ……」

「暇だあ……家いるのもう飽きた……」

「外に行け」

「嫌だよう……」

 愁がとことこと部屋に入ってきて、ぽふんとベッドに座る。

「煙草くさーい」

「うるせっ」

 弘樹は、昨日あったことを愁に話そうかと考えた。
 外に出ると、誰かに見られている気がすることも話そうかと思った。
 パソコンに向かったまま、弘樹は頬杖をついてぼうっと考えた。

 何故誰も外に出ないのか。昨日の……不審人物のことがあったからか?

「きぎゃああああ!!!」

 ばっと愁と弘樹は顔を見合わせた。今の微妙な叫び声は……。

「「部長だ!!」」

「いやーーーーーーっ」

 がたんがたんと騒々しい物音。愁と弘樹は階段を駆け下りた。
 台所に行くと、和実が紫色の君をエプロン姿でげしげしと蹴りながらきゃーきゃー叫んでいた。

「ああっ、愁!弘樹!変態がっ、変態がっ!!」

「どっちかっていうと変態は部長のほうじゃ……」

「何を言うんだ!とにかくこいつ縛ってくれ!!」

「ほら、やっぱりへんた……」

「愁、馬鹿言ってないでとにかくこいつ縛るぞ」

 三人はわいわい言いながら謎の紫色の人物を後ろ手に縛り上げた。
 紫色の人物はしょんぼりとうなだれて、されるがままになっていた。

「で……何があったんだ?」

 弘樹が腕組して言う。和実がそれがね、と前起きした。

「ここでお昼ご飯作ってたら、こいつがいきなり闖入してきて……」

「ちゃんと玄関から入りました……」

 ぼそぼそと紫色の頭が言う。愁が耳を近づけた。

「おじゃましますって……いったもん……僕悪くないもん……」

「なんかいってるよこの人」

「そんなのどうでもいいじゃねえか。さっさと警察呼ぼうぜ」

「無駄です」

 きっと頭を上げて、紫頭はいった。

「僕は他の人からは見えないんです。警察を呼んでも無駄です」

 三人は顔を見合わせた。

「こんなこと言ってるよ……」

「変な子だ……」

 その時、上から繭と香夜が降りてきた。紫頭を見ると、目を大きくした。

 弘樹は紫頭が家に入ってきたと説明した。

「僕は他の人には見えないんです」

 繭は黙って紫頭を見つめた。

「君、名前は?」

「ヴァイオレット」

 弘樹がヴァイオレットの目を覗き込んで指で触れた。

「痛い痛い痛い!!」

「これコンタクトじゃねえぞ」

「何ですかコンタクトって」

「…………」

「とにかく、誰か呼ぼうよ。不審者なんだから」

 愁がそう言って電話をプッシュした。しかししばらく経ってから来た警察は、
 不審そうにヴァイオレットから少しずれた位置を見て、

「どこにいるんですか……?」

 といった。五人は顔を見合わせた。

 警察官が帰ったあと、五人はヴァイオレットを交えて緊急会議を開いた。

 和実が全員の前に飲み物を置いて、ヴァイオレットには頭から水をかけた。

「何するんですか!」

「いや何となく……」

 ヴァイオレットはむっとした顔で、ぱらりと縄を解いた。

「あっ、てめー逃げる気だな!」

「ナイフを隠し持ってるんだ!!」

 弘樹と愁がぎゃーぎゃー騒いだ。繭が方膝を立てて冷めた目でヴァイオレットを見ている。
 香夜も大人しくコーヒーを飲んでいる。和実はお菓子を出してきて食べ始めた。

「……わざと捕まった……というわけだね」

 繭が静かに言った。ヴァイオレットはにっこり微笑む。

「僕が何者か、貴方がたに見せておく必要があるらしいですね……」

 ふわりとヴァイオレットの服の裾が舞って、ばっと部屋一杯に悪魔の羽と天使の羽が広がった。

 舞う羽、黒い波紋……。それらは六人の周りでひらりと泳いで消えた。

 すうっと羽が消えていく。五人はそれを息を呑んで見守った。

「僕は、貴方がたとは異質の存在、強大な“力”を持つ者」

 ヴァイオレットの人差し指からヴンと小さな魔方陣が発生する。
 それはくるくると回って、ヴァイオレットの紫の髪を揺らした。

「僕が人差し指をひとふりするだけで、人一人消滅する。
そして、どんな人間にもそれに抗う力はない……おわかりですか?」

 極上の笑み。悪魔のような……。弘樹は戦慄した。
 それは、少なからず他の四人も同じようだった。全員が凍りついたまま動けない。
 ヴァイオレットは手を下ろして、こほん、と咳払いをした。

「ですが……僕は貴方たちを消しに来たわけではありません……」

「何か要求がある……そういうことだな」

 繭がひくい声でいった。

「そう……頭のいい方よ。僕としては、そう……貴方がたの“行動”を見させてもらえれば十分ですよ」

「行動……?」

 香夜が不審そうに言う。

「そう、貴方がたの、善行!を僕は記録しに来たのです」

 ヴァイオレットがにこにこする。愁が唇を尖らせた。

「というのもですね。貴方がたにはここ最近、天使が見えるようになっている。
だから普段姿が見えない天使も、貴方たちにかかれば全部見えてしまう……」

 そうなの!?といわんばかりに愁がきょろきょろする。これには全員驚いた。
 というのも、それぞれが謎の羽の生えた生物を見るようになったのは自分だけだと思っていたからだ。

「それでですね、天使としては非常にやりづらいわけです。
姿が見えてはいけない。けれどこのままほうっておけば、貴方がたの悪行ばかり悪魔が記録して、
結果的に貴方がたは地獄行きになってしまうのです」

 がーん。

 地獄!!

 弘樹は仰天した。それ困るぅ。と和実が言った。

「まあ天国にいけるとは思ってないけどさ……」

 愁がぼそりといった。

「それでですね!僕は貴方がたが天国に行く可能性が出るように、善行を記録しに来たってわけです!」

 ヴァイオレットがはりきった口調でいう。

「でも貴方も姿が見えるんなら他の天使と一緒じゃないの?」

 香夜がずばりと言った。ヴァイオレットがうっと胸を押さえた。

「そうだそうだ!」

「帰れ帰れ!!」

 弘樹と愁がやいやいとはやしたてる。ヴァイオレットはううっ、と呻いてきっと二人を睨んだ。

「知りませんよ!そんなのルー様に言ってください!」

「ルンバ!?」

 愁がきょとんとする。

 そんなわけで、

 五人は半ばヴァイオレットに脅される形で、この展開を受け入れることになったのだった。











「……………」

「……………」

 かたかた、かたかたとタイプを打つ音が響く。

 ヴァイオレットはごろんとベッドに寝転がった。

「ねーねー」

「……………」

 灰色のベッド。清涼なニオイのする部屋にヴァイオレットは鼻をひくひくさせた。

「ねーおにーさん。何してるのー?」

「………………」

「この部屋すっごくこう、爽やかな匂いがしますね……」

「………………」

「人間の男の人の部屋ってもっとこうむさくるしいって聞いてたけど…………」

 ヴァイオレットはちらっと青色のカーテンや黒い椅子、
 何も飾っていない棚やクラシックのCDが並ぶ壁に視線をやった。

「ここってなんかこう、高尚な……爽やかなかんじがするなあ……」

 ヴァイオレットはむくっと起き上がってぴょこんと繭の背中からパソコン画面を覗き込んだ。

 じっ……とモニターを見て、ずばり、とヴァイオレットはいった。

「おにーさん、好きな人がいるでしょ」

「………………」

「フフフ…………隠さなくてもいいよ」

 ヴァイオレットは部屋をうろうろと歩き回りながら、それにしても塵一つ落ちてないなー、とか、
うわ、すごい難しそうな本、とか言いながら呟いた。

「で、なんかいいことしないの?」

「………………」

「ねーーねーー、あくまで無視するの?僕がせっかく親しげに話しかけてるのにさー」

「………………」

「知ってる!それ極楽地獄っていうんでしょ!?」

 繭にぽんっとのしかかってぐいーっと前に前屈した。
 重い……繭はそう思った。ヴァイオレットは小柄なほうだが、思いっきり体重をかけると勿論重い。

 繭は横目にさらさらと紫色の髪が零れてくるのを見て、むっとした。
 繭はとても神経質だ。基本的に身体的な接触を嫌う。

「ねー、何かいいことしたほうがいいよー。僕がばっちり記録してあげるからー」

「…………………」

 ぎしぎしと椅子が鳴る。ヴァイオレットはまるで駄々っこみたいに繭の首に手をまわしてむーーん、と唸った。

「ねーねーおにーさんなんか喋ってよー。さっきは結構喋ってたのにさー」

「…………………」

 ヴァイオレットはモニターを見つめた。昨日の午後五時、天使、の書き込みがある。
 ヴァイオレットはにやりと笑った。

「それ、書き込んだの僕だよー」

「……何?」

 ヴァイオレットはにっこりした。

「ほんと♪」

「これは誰の記録だ?」

「秘密」

 僕とお喋りしたら分かるかもよ?

 ヴァイオレットはにこにこする。繭は長い脚を組んでヴァイオレットを見据えた。

 沈黙。

 繭は黙って床を見ている。ヴァイオレットはむー、と唸ってえーと、といった。

「何で外に出ないの?」

「君の言う、天使がいるからだ」

「見られるのは不愉快?」

「なんとなく身の危険を感じる」

「外に出て、いいことしたら?」

「君の言う善行、を定義せよ」

「うーん……おばあさんの荷物を持ったりとか……困ってる迷子に道を教えたりとか」

 繭は不審そうな顔をした。

「同居人を思いやるってのでもいいと思うよ♪」

 繭は腕を組んだ。

「おいしい料理を作ってあげてびっくりさせるとか」

「料理はするなと言われている」

「何で?」

 繭は肩をすくめた。

「あまり、一般的じゃないんだろう」

「ふうん……じゃあさ、えっと、花を飾ってみたりとか」

「アレルギーだ」

「……………」

「他には?」

 えっと……。

 ヴァイオレットは首を傾げた。

「そうだなあ……おにーさんが好きな子に、優しくしてあげるとか」

「普段からしてる」

「えー」

 やらしー。ヴァイオレットはちょっと恥ずかしそうにした。
 そしてメモ帳にかりかりと何か書き込んだ。

「名前は?」

「名前?本橋繭だ」

「おにーさんのじゃなくて、相手の」

「それは…………」

 ふっ。

 肩をすくめて繭はそっぽを向いた。

「あ、秘密?やっぱりぃ……」

「いや、君には刺激が強そうだから……」

「えー、何それ何それ」

 ぶーぶー。

 ヴァイオレットは不満そうな顔をした。

「同居人にも隠してある」

「そうなんだ……じゃーいいや」

 ぱたんとメモ帳を閉じてヴァイオレットはベッドを降りた。

「……何故あんなものを届けた?」

「あんなものって?」

「コーヒーとあんみつだ」

「何かおかしかった?」

 ヴァイオレットはきょとんとした。

 繭はしばらく黙って床を見つめて、そうか。といった。

「君にとってはおかしくはないわけだ」

「そうだよ……だってあの二人が注文したんだもの」

 ヴァイオレットはにこにこした。

 そのとき、ヴッと壁に魔方陣が飛び出して、ヴァイオレットはそちらを向いた。

「呼んでる……」

 ヴァイオレットはふっとその中に飛び込んで、部屋から消えた。

 繭は肩をすくめて再びパソコンの前に座った。













 呼んでいる…………。

 僕は怠惰な胎盤のような魔方陣の中で、くるくると右上下左と回りながら、魔方陣の外の声に耳を澄ませた。

 こっち…………。

 笑ってる…………?

 くすくす。くすくす。

 虹色に交錯する魔法の声。柔らかに撫でては離れる甘い感触。

 ヴァイオレットは睫を震わせてうすく金色の瞳を開いた。

 砕けて消えるダイヤモンド・ダスト。広げた両端の翼がしなやかに撓んだ。

 こっちよ…………。

 知りもしない生まれた時の記憶を思い出しそうな。

 母性の声。

 僕は柔らかな光を溢れさせる時空の切れ目に手をかけて、ふわりと外に舞い降りた。

 そこは、無限に広がる花畑だった。すみれだったり、天国の白い花だったり、花の、甘い匂いに満ちていた。

 僕は、白い上空にはなびらが舞っていること、永遠と続く花畑が……
 天国の、あの天使の残骸を積もらせる場所に……似ている、と思った。

 デジャ・ヴ。

 僕はぱふっと花畑に座り込んで、ごそごそとポケットをさぐった。

 中には、アイポッドが入っている。

 自分のものではない。先ほど本橋繭という人間のところからこっそり拝借してきたのだ。

 使い方は知っている。天国にも地獄にも、似たようなものがある。
 耳の中に機械を押し込んで聞く、超小型タイプだが……。

「何が入ってるのかな…………」

 僕は電源を入れて、適当に再生ボタンを押した。

 優しい、旋律。

 一瞬クラシックかな?と思ったけど、しばらくすると、女の人のソプラノが聞こえてきた。



 腕を 抱いて

 瞳を閉じるの

 そこには何もないけれど

 背後に貴方がいる気がするの

 甘い錯覚



「知らないな……」

 呟やくと、ふわっとあこがれの人の香りがした。ピンク色の髪が舞って……。

 僕は、目を擦った。

 甘い 錯覚。

 そこには、ローザがいた。

 目を閉じて僕に顔を寄せている。じっと耳をすませている。
 淡く色づいた少女の頬。濡れた紅いくちびる。うすむらさきのフリルがついたワンピース。
 鼓動が早まって、甘い香りに息が触れてしまわないようにどきどきして、
 僕は、抱き寄せたいのを、ぎゅっと我慢したんだ。

 じっと目を閉じているとなんだか顔のあたりに視線を感じて、
 目をそろそろ開けると、ばちんと視線がかちあった。和む柔らかな視線。

「何聴いてるの……?」

「……えっと」

 まさか知らないとはいえない。

「友人に借りたんです。でも、何の曲か分からない」

「友人って、今回の任務の人間?もう友達になったんだ」

 えっと…………。

「その……まだ」

 ごにょごにょ。

 僕は仕方なく半ば脅して五人の傍にいることを白状した。
 付け加えると、ちょっぴり険悪なムードであることも、だ。

「そうなんだ……」

 ローザはうーんと可愛らしく腕を組んだ。

「よし、私が協力してあげる!!」

「な、何をですか?」

「五人と仲良くなれるように、協力してあげる!」

「ローザ先輩。その……別に仲良くなる必要はないんじゃ……」

「何いってるの?ヴァイオっちの仕事は五人がいい行いをしたことを記録することでしょ?
仲良くならきゃ、なかなか人のいいところって見えてこないと思うわ」

 うっ…………。

 すごい説得力だ……さすが先輩………。

「ね?私が協力してあげるから。頼んでないとかいわな~~いの」と、人差し指を立てる。

「何ですかその最期のやつ」

「今はまってる芸人よ」

「……………」

「さ、そうと決まればいくわよ」

「は、はい!」

「とりあえず……誰のところにいこうかしらね」

「えっとですね……」

 僕は書類を出してがさがさとめくった。しかし、ばっと風が吹いてそれは風に吹き飛ばされた。

「わーっ」

「拾って拾って!」

 二人で慌てて書類を集める。最期の一枚に手を伸ばそうとすると、ローザの白い手と重なった。

 ぎくっと手をひっこめる。ローザはそんな僕に気付きもしないでもう、とかいいながら最期の書類を拾った。

「で、まずどの人のところにいくの」

「えっと…………」

 僕は一番上に来ていた本橋繭の書類をめくる。下のページは、篠原和実だ。

「この人です」

 僕は書類を渡す。

「ふうん……キレイな人間ね。でも男だか女だかよく分からないわね」

「あ、男の人らしいです」

 ちょっとむっとした。

じゃあいきましょうか。ローザがくるっと人差し指を回す。

 次の瞬間、僕らは薄汚い路地裏に立っていた。先ほどの花畑とは雲泥の差である。

 ローザはきょろきょろする。怪しいネオンがちかちかと点滅し、黒猫がぴょんと横切った。

 ここに飛んだということは篠原和実は近くにいるはずだ。
 しかし、なんて危なそうなところなんだ。他の国でいうとスラム街、といったところか?

 いざとなったら僕がローザを守らなくちゃ。

 僕は心に誓った。

「あ、来たわ」

 僕はローザが指差した方向を見た。柔らかな茶色い髪を軽くはねさせて、
 白いジャケットにブーツ姿の篠原和実が、明らかに商売女と分かる
 派手ないでたちの女性と腕を組んで歩いてくるのが見えた。
 僕は反射的に電柱の影に隠れた。

「何で隠れるのよ」

 といいつつも、ローザも僕の後ろにさっと隠れた。

「だって、今会ったらなんか気まずいですよ」

「何言ってるのよ。篠原和実の本当の姿が見れるかもしれないじゃない」

「そ、それは見ちゃいけないんじゃ…………」

 二人はピンク色のお城のようなところに入っていった。
 なんとローザは行くわよ!とか言って走り出そうとした。
 僕は慌ててローザの細い腕を掴んだ。

「何するのよ!いいところが見れるかもしれないじゃない!」

「いいところの意味が違いますよ!!」

 ローザはどうやら僕より年上なのに、人間のことには、特にこういうことにはうといらしい。
ローザは僕の頬をつついた。

「真っ赤よ?」

「そりゃそうですよう……」

 僕は泣きそうになった。

 二時間後、篠原和実は出てきた。一緒に入った女性は一緒ではない。

 僕らは後ろからついていきながら、それにしても、と思った。

 先輩とはいえ女の子連れで任務にあたっていいものだろうか?

 表通りに出るとくるっと篠原和美は振り返った。

 僕らは隠れる間もなく篠原和実の視線を受け止める羽目になった。
 篠原和実はちょっと垂れ目の目をにっこりとさせて、つかつかと歩いてきた。
 僕よりちょっと背が低いくらいだ。

「どこから見てたの?」

 僕は目をそらすのもなんだか半分天使のプライドを壊すような気がして、
 じっと篠原和美の茶色い目を見据えた。篠原和美は口元を吊り上げたまま、
 すっと流れるような動きで僕の耳元に顔を寄せ、呟いた。

「私があのあばずれとファックしてるところから、見てたのかって訊いてるんだよ」

 濃厚なヴィヴィアン・ウエストウッドの香り。僕はかっと頬が熱くなるのを感じた。
 ちょっと顔を離して、にやにやと好色そうな笑みを浮かべ、篠原和実は僕を見つめる。
 ニ、三秒。ふっと飽きたように視線を外して、今度は上から下までローザを眺め始めた。
 僕はばっとローザの前に立ちはだかった。

「へえ……いい女連れてるじゃん」

 僕はめらめらと自分の中に敵意が芽生えるのを感じた。
 こんなクズは消してしまいたい。誰のためにもならないんだから。

 僕の思いが通じたのか、後ろからローザが僕の腕をそっと押さえた。

「駄目よ…………」

 篠原和実も、ようやく僕を怒らせたことに気付いたらしい。

 あちゃー、とかなんとかいって。ごめんね、と舌を出した。

「あんた怒らせても私が消されるだけかぁ……でも、いいよ、消しちゃいなよ」

「きゃ…………」

 一瞬何が起こったのか分からなかった。
 篠原和実はほとんど目にも止まらぬ素早さでローザの腕を引いて、
 ローザのくちびるをくちびるでかすめとった。

 その瞬間、自分の心の中から得体の知れない、否、自分の中の悪魔の部分がずるずると顔を出して、
僕に、コロシテシマエ、と囁いた。

 僕が振り上げた手に気付いたローザが叫ぶ。

「駄目!!!」

 渾身の打撃。けれど、それを受け止めたのは奴ではなかった。
 ローザが花のような髪をなびかせてゆっくりと地面に倒れる。誰かの悲鳴が、した。
 僕は肩のあたりを押さえて蹲る彼女を、ぼんやりと見下ろすことしかできなかった。

 自分の息遣いが聞こえた。ふてぶてしい無表情で佇む篠原和実の胸倉を掴み、僕は何か叫んだ。

「だ……めよ」

 僕はぎくりとした。ローザが虫の息で立ち上がって、僕に背を向けた。

「……帰るわ……」

「ロ……ローザ…………」

 ローザは軽く胸を喘がせながら、振り返って優しく微笑んだ。

「駄目よ。貴方は、人間に優しくしてあげなくちゃ駄目」

 ふっと、ローザの存在が薄れて、消えた。それは、ローザが天国に還ったことを告げていた。

 僕はしばらくローザの名残りがする空気を感じていたけれど、やがてふっと下を向いた。
 篠原和実は、ちょっと伸ばした爪の甘皮をいじりながらぼうっと立っていた。
 僕は無言で彼の胸倉を掴んだ。

「一発殴らせろ」

「あの女を打ったのはあんただ」

 篠原和実が冷たい声で言う。僕は黙って彼の頬を殴った。勿論、人間がする程度の強さでだ。

 篠原和実はよろけて、けれど倒れずに中腰で少し血を吐くと、ジャケットの袖で口を拭いた。
そして家とは反対の方向に歩き出した。僕はしばらくぼうっと立っていたけれど、
やがてそうしていてもしょうがないと思い始めて、五人の家のほうへ歩き出した。

 











 身律香夜は風呂に入っていた。

 夕食前の入浴を、彼女は好む。

 今日の夕飯は何にしようかしら…………。

 豊満な胸に浮いた水滴を見つめながら、香夜は考えた。
 年をとると肌を水滴がはじかなくなるというが、本当だろうか。

 ざばりと湯船から上がって、ざっと身体に湯をかける。
 しなやかに反った背骨を、白い胸の間からへそにかけて、そして足の間をお湯が流れ落ちていく。
 彼女は脱衣所に出て体にバスタオルを滑らせ、下着を身に付けた。
 しかし、パジャマが見当たらなかった。

 香夜は湯に温められた熱い吐息を吐いて、がらりと脱衣所のドアを開けた。 

 ぺたぺたと冷蔵庫の前まで歩いて、牛乳をコップに注ぐ。台所の椅子に座る。

 正面には、机に突っ伏したヴァイオレットがいた。
 紫色の髪が電気に照らされてつやつやと輝いている。

 香夜はごくごくと牛乳を飲んだ。滴った雫がショーツに少しかかる。
 髪から流れた雫が肌理の細かい肌を濡らした。

 ヴァイオレットがのろのろと顔を上げる。机、コップ、と視線が上がってきて、
 ばん、と香夜の胸に目が留まった途端がたっと後ろに仰け反った。

「な、なんで裸なんですか!?」

「下着は履いてる」

「な、何か着てください」

 わたわたとヴァイオレットが自分の目を隠す。
 香夜はおもしろそうにヴァイオレットの反応を見つめた。

「へえ……天使でもそんな反応するんだ」

「悪魔の血も入ってるんですけど……」

「聞いた」

 香夜が牛乳のついたくちびるをなめる。牛乳パックから牛乳を注ぎ足した。

「うちの男共の中では、弘樹くらいしかそんな反応見られないから……」

 面白いわ。

 にやっと香夜は笑う。

 あううう。ヴァイオレットは意味不明なうめき声を発して再びぱたんと机に突っ伏した。

「きっと繭なら、どうした、少年。とか言うわね」

「……………」

「どうした、少年」

 ごそごそと冷蔵庫からいちごを取り出して、はぷ。
 と香夜はかぶりつく。ヴァイオレットは机に突っ伏したままぽつ、ぽつ、と
 今日の出来事を話はじめた。香夜は相槌ひとつ打たなかった。

 話し終わる頃、上からがたんと音がして、警戒に階段を下りてくる足音がして、
 繭が台所に顔を出した。香夜が下着姿のまま立ち上がってばちんと繭とハイタッチした。

 香夜のいた席に座ると、それで?と先を促す。

「聞いてたのは香夜さんでは……?」

「今のバトンタッチで総てが伝わった」

 繭はにこりともせずに言う。

「馬鹿にしないで下さい!」

「ああ、最初から話してくれ」

「…………」

 ヴァイオレットはしぶしぶもう一度今日あったことを話しはじめた。
 繭はひくい声で相槌を打ちながらアイスコーヒーを二人分入れた。

「そうか……和実が迷惑をかけたようで、悪かったな」

 代わりに謝る。

 繭はちっとも悪くなさそうな顔で言った。

 ヴァイオレットは憮然とした顔でぐっとコーヒーを煽り、ぶーっと噴出した。

「何コレ、苦いっ」

 げほげほとむせながらヴァイオレットは口を押さえた。
 繭は顔色ひとつ変えず雑巾で拭い始めた。

「す、すいません」

「気にしなくていい」

「ああー……」

 ヴァイオレットはぴらっとべちょべちょになった服をつまんだ。繭はそれを見て、

「魔法……とかで代えられるのではないか?」

「それが……服、だけは出せないんですよ……」

 ほう。繭は腰に手を当てた。

「俺の服はサイズが合わないから……愁か弘樹に借りるか」

 繭の身長は180近い。対して、ヴァイオレットの身長は167センチだ。

「い、いいです。そんな……。僕は風邪とかひきませんから」

「何を言ってる」

 繭はわからないくらい、微妙に口元を上げた。

「ローザ嬢の言う、仲良くなるチャンス、ってやつだろ?」

 ヴァイオレットはうっすら目を見開いた。

「繭さん……もしかしてわざとコーヒー出しました?」

「馬鹿を言うな」

 繭はすたすたと二階に上がり始めた。ヴァイオレットは首をかしげながら後ろからついていった。

 こんこん。

 弘樹の部屋からは激しいロックが漏れ聞こえてくる。日本語か英語かすらよくわからない。
 イエーー!!とシャウトするオーディオからの声がする絶妙のタイミングで、繭はドアを開けた。
ヴァイオレットが後ろで耳を塞いだ。

 ダダダダダダダ………。ドラムの連打が聞こえる。部屋は雑誌やらギターやら服で溢れかえっていた。
弘樹はどくろ柄のベッドに突っ伏して、まるで天使のような寝顔で眠っている。

 繭がヴァイオレットの耳元で叫ぶ。

「ほら!!親睦のしるしに、君が弘樹を起こすんだ!!」

「なんですってーー!?」

「肩を叩いて起こすんだ!!」

「ええええ!?」

 ヴァイオレットは叫んだ。わ、わかりました……と小声で言って、おもいっきり、弘樹の尻をぶっ叩いた。

「ぎゃーーーー!!!」

 弘樹は身体を折り曲げて丸くなった。繭がぷちりとオーディオを切った。

「てっ……てめえ……」

 ぶるぶると震えながら弘樹が起き上がる。ヴァイオレットが半笑いで口元を押さえた。

「す、すいません……」

「全然悪いと思ってねえだろ!この糞ガキャア!!」

「弘樹、ちょっとこの部屋汚いんじゃないか?」

 繭が床に落ちていた弘樹のトランクスを拾って呟いた。ぎゃー!といって弘樹がそれをひったくった。

 つー、とむき出しのCDの表面の埃を人差し指で拭って、それをじっと検分する。

「な、何しに来たんだよ繭!」

「ふむ……それがだな。このとおりだ」

 ぽん、とヴァイオレットの両肩に手を置く。弘樹がヴァイオレットの服を見て、ああ、といった。

「繭がうっかりこぼしたんだろ?」

「…………」

「困ったもんだよな。待ってろ、なんか貸してやっから……」

 クローゼットをがさがさと漁る弘樹が、ちらっと振り返った。繭がてきぱきと雑誌を本棚に納めている。

「繭……そういうお袋みたいなことしなくていいから……」

「衛生的ではない」

「いいんだよ!男なんだからちょっとくらい汚くても!」

「どう思う」

 と繭がヴァイオレットに聞く。

「偏見ですね」

「うるせーーー!!」

 ヴァイオレットがはっとして弘樹を指差した。

「が、害虫が!!」

「誰が害虫だコラ!」

 弘樹が怒って眉を吊り上げる。弘樹の後ろからぶーん、とゴキブリが飛んできた。

「ほら、衛生的にしないから……」

「ちょっと黙ってろ繭!」

 弘樹が雑誌を丸めてごきぶりを殺そうとした。繭がヴァイオレットに尋ねる。

「魔法でなんとかできないのか……?」

「ちょっとやってみますね……」

 ヴァイオレットが目を閉じた。

 沈黙。

 ヴァイオレットが目を開けた。

「推定……この家に五十匹はいますね……」

「…………」

「うん。常識ってやつだな」

 しばらくゴキブリを探して、いないので弘樹がまず着替えだといいだした。

「いや、まず環境の改善だ」

「それ今じゃなくてもいいだろ繭!さっさと服を探してやろうぜ」

「うむ……似合うやつを頼む」

「似合うやつなあ……」

 ごそごそと再び弘樹がクローゼットを探し始めた。

「これ……福袋に入ってたやつだけど……」

 ハート柄におっさんの顔が描いてあるTシャツを出してきた。
 ヴァイオレットがいきなりくちびるをすぼめた。

「ヴァイオっちが嫌がってる!畜生……なんかねーのか」

「ちょっとどいてくれ」

 繭がクローゼットを探し始めた。

「繭、あんまり自分の趣味に走るなよ。黒づくめとか」

「心配するな。ここに俺の趣味の服はない」

「…………」

「む」

 繭が黒いTシャツを取り出した。

「ほら黒じゃねえか!」

「うるさい!この柄がいいと言ってるんだ」

「ま、繭にうるさいって言われた……」

 がーん、と口で言って弘樹が顔の両側を押さえた。

 Tシャツの背中には羽が描いてある。

「あ、これいいかもな」

「あ、できればへそが開いてるほうが……」

「へそが!?すげえ大胆だな」

「そんなものあるのか?」

「そんなものっていうな繭!うーん。そんなものあったかな……」

 繭が少し考え込んだ。

「じゃあ……明日買い物にいかないか?」

「おーー!それいいじゃん繭!行こうぜ行こうぜ!」

「ふむ……じゃあこの場は片付けることにしてだな……」

「えーー!!」

 というわけで、三人は弘樹の部屋を片付けることになった。
 脱ぎ捨てたライダースをハンガーに吊りながら、繭は細い腰に手を当てた。

「……いけない本が出てきそうだな」

「そんなのねえよ!!」

 弘樹が顔を真っ赤にする。つられてヴァイオレットも真っ赤になった。
 繭が床に落ちたティッシュをくずごに捨てながらふふん、と無表情で言う。

「まあ……健全じゃないか」

「ないっていってるだろ!ちょっと繭部長化してきてるぜ!?」

「部長って誰ですか」

「和実だよ」と弘樹。

 途端にヴァイオレットがむすっとした顔になった。弘樹が不思議そうな顔をして繭を見る。

「あの人……嫌いです」

 短くそういって、掃除機をかけはじめる。その場はちょっと微妙な雰囲気のまま終わった。











 翌日…………。

 愁と香夜を交えた五人で、買い物に出かけることになった。
 ちなみにヴァイオレットは昨日弘樹から借りた黒いTシャツを着ていた。

「何で香夜がくるんだよ」

 ふてくされた顔で弘樹が言う。弘樹は香夜が苦手だ。

「女の子の視点があったほうが、服が選びやすいでしょ」

「どうせ女の人が書いてるから意味ないんじゃ……」

 愁の意見は無視された。

 というわけで、レディースもメンズも置いてある店に入ろうということになり、
 カジュアル系の店に足を踏み入れた。

「何でレディースもあるとこにするんだよ」

 弘樹の膝の裏側を香夜が蹴った。

「いてえっ!お前のことじゃねえよ、ヴァイオっちの服を選ぶのに何でレディースもあるところに行くんだよ!

「ヴァイオレっちの体型だと、メンズの、特に人間の服はぶかぶかすぎるんじゃない?」

 ボクもそうだからね。

 愁がにっこりした。

「特にへそ出しとなると……一般のメンズにはあまり見当たらないだろうな」

 繭が言う。

「だからってレディースでもあんまり見ないわよ」

 と香夜。

「デザインが限られてるだろ、へそ出しって……」

 弘樹が水色のパンツの足を組み替えながら言う。

「ちなみにヴァイオっちはどんなのがいいの?へそ出し以外に、色とか」

「そうですね……そんなのがいいです」

 ヴァイオレットは水色の弘樹のパンツを指差した。俺?と弘樹が自分の下半身を見る。

「こんな色で、しかもへそ出し?」

 うーーーーん……。

 四人は黙り込んだ。ヴァイオレットは何故かにこにこしている。

「皆さんも似合うと思いますよ」

「へ?」

「へそ出し」

 四人は一斉に自分がへそ出しの服を着ている様を思い浮かべた。香夜が噴出した。

「し、愁はともかく……弘樹や繭はないんじゃない?」

「でも、皆さん結構そういうのが似合いそうな部類に入ると思うんですけどね……」

「あっ、一着あったぞ、へそ出し!」

 店内をうろうろしていた弘樹が声を上げた。四人はどやどやと弘樹のいるところにいった。

 弘樹が手にしていたのはオレンジ色の襟がついたへそ出しの服だった。
 ちなみにレディースの、Lだった。

「どう?ヴァイオりん」

「ヴァイオりん!?えー……と、オレンジはあまり……」

「あっそう。じゃあ見つけた人が着ることにしようか」

 愁が満面の笑みを浮かべた。弘樹がへっ?と自分の顔を指差す。

「ほらほら、ヴァイオりんが見たがってるじゃーん」

「すっごく似合うと思いますよ!」

 ヴァイオレットがきらきらの笑顔で言った。弘樹が顔を真っ赤にした。

「断る!!」

「でも弘樹、ずーーっと前のライブで、一度へそ出し着てたじゃん」

「あれは白色で、半ば無理やり着せられたんだ!!オレンジは……」

「おい、付属のネクタイがあったぞ」

 繭がにこにこした店員から小さなネクタイをもらってきた。

「着ーろ♪着ーろ♪」

 愁が手を叩きながら歌い始めた。香夜が便乗して歌い始める。

「着ーろ♪着ーろ♪」

 繭が手だけ叩き始めた。なんだなんだ、と他の客が集まってきた。
 ヴァイオレットがおろおろしていたが、愁にわき腹をつつかれてちょいちょいと手を叩き始めた。

「うっ……うっ……うわーーっ!!!」

 弘樹がさっと試着室のカーテンを閉めた。四人はわーっと盛り上がった。

「よかったねヴァイオっち!へそ出しが見れるよ!」

 愁がいえーっと両手を上げた。ヴァイオレットがはてな、と首を傾げる。
 後ろから繭がヴァイオレットの手を掴んで、愁の手にぱちんと合わせた。

「弘樹、開けるわよー」

 香夜が試着室のカーテンを掴む。
 カーテンを開けると、弘樹がオレンジのへそ出しの服を着て体育すわりで両足の間に顔を埋めていた。
愁に腕をひっぱられると顔だけ上げて、さっとまたもとの体勢に戻った。

「ほらほら、立ち上がってよ弘樹♪よく見せて♪」

 香夜が弘樹を羽交い絞めにして、両腕を広げる格好で前に連れ出した。
 弘樹は力なくされるがままになっている。

「びみょーに腹筋が割れてるね♪」

「でも肌が白いから似合ってるぞ」

「適当なこと言うな繭!」

「よし、それを買ってやろう」

「ぎゃー余計なことすんなー!!」

 香夜とヴァイオレットが大笑いし始めた。
 弘樹がその格好のまま繭の腕にしがみついたものの、繭はカードであっさり支払いをすませてしまったのだった。

「さー出ようか」と愁。

「弘樹、そのまま外に出なよ」と香夜。

「お客様」

 にこにこと先ほどネクタイを持ってきた店員が言う。

「同色のパンツはいかがでしょうか?こちらショートパンツとなっていて大変可愛らしく……」

「それ下さい」と繭。

「ぎゃーーーーーーーー!!!」

 弘樹の絶叫が響き渡った。





「よかったじゃん弘樹」

「尻が小さいから似合うわよ」

 香夜がにやにやした。

 さすがにその場でのショートパンツの試着はまぬがれたものの、
 その問題の服が入った袋は弘樹の手に重く、重くのしかかっている。

「さて……次はどの店に入るか……」

「今度こそヴァイオりんの服を選ばなきゃねー」

「ねえねえ、見て、あれ」

 香夜が一軒の店を指差した。信号を渡って、ショーウインドウの前にぞろぞろ歩いていく。

「へえ、こんなの出来てたんだ」

 ユニセックス(男女どちらでも着れる服)の服ばかりを取り扱った店で、
 香夜が指差しているのは、ディスプレイしてある服だ。

 目が冴えるような青色の、ノースリーブにタートルネックのぴったりした服。
 上腕部から指までを覆い隠す袖、緩い太目の光沢のある黒いベルトに、膝丈の細身の黒いパンツ。

「あれ、すっごく似合いそうじゃない?」

「香夜の趣味がすごく入ってるね」

 香夜が愁の尻を蹴った。

「ビジュアル系だな」

 弘樹がぼそりと言った。

「あはは。そんなかんじだよね」

「あの……でも……」

 ヴァイオレットがもじもじした。香夜が何、とヴァイオレットに近づく。
 ヴァイオレットは問題の服の足元に置いてあるプレートを指差した。

「ものすごく高いんですけど……」

 なんと、プレートには0が大量に並んでいた。
 しかし、繭は無言で、しかもプレートを見ずに店に入っていった。

「ちょ……入っちゃいましたよ!?」

「いいんだよ、繭の実家すごい大金持ちだから、甘えておけば」

 愁がヴァイオレットの肩を叩いた。

「え、えええ!?」

「一番年上だしね」

 香夜が言うと同時に、繭が紙袋を持った店員から袋を受け取って戻ってきた。

「Mでいいな」

「だよねー、ヴァイオりんすごくMっぽいもん」

「色んな含みがあるな」と弘樹

「ちょ……ちょっと待ってください。僕そんな……」

 繭が無言でヴァイオレットの手に紙袋を押し付ける。そのまますたすたと歩き出した。

「まあ、繭ポンはクールだから」

 と愁。

「どうせなら店で着替えたらよかったじゃない。それ、あんまり似合ってないわ」

 香夜がヴァイオレットが借りているTシャツを指差した。

「あ、繭足疲れたんだ。喫茶店に入っていくよ」

「じゃあ、喫茶店のトイレで着替えたらいいじゃねえか」

 へそ出しじゃねえけど。

 弘樹が苦々しげに呟いた。

「俺のと交換するか、ヴァイオ」

「もー行くよ弘樹!?」

 というわけで、五人は喫茶店に入った。コーヒーを五人分注文すると、
 ヴァイオレットはばっと紙袋を繭に突き出した。

「すいません…………僕、そんなつもりじゃなくて……これ、お返しします!」

「そんなもの俺、もらっても着れないんだけど」

 愁が大笑いした。

「あ、じゃあ僕返してきます……」

 とヴァイオレットは立ち上がりかけた。まあまあ、と香夜がヴァイオレットをなだめる。

「それにしても、金持ってたのか?ヴァイオ」

 弘樹がぽつりと言った。

 ヴァイオレットがぽとりと紙袋を落とした。

「奢らせる気だったんだ……!!」

「怖い子……!」

「確信犯だな」

 弘樹と香夜と愁が頭を寄せてぼそぼそと囁きあった。ヴァイオレットが泣きそうな顔をした。

「でも俺たちもよく繭に奢ってもらってるしな」

「さすがにこんなに高いものは奢ってももらわないけどね」

 ぐさっと香夜の一言にヴァイオレットがよろけた。

「おい、香夜!」

 弘樹が鋭い口調でたしなめる。ヴァイオレットが細い顎を震わせて、ばっと店の外に飛び出していった。

「ああっ、もう香夜のせいだよ!」

 愁がぷりぷりした。弘樹が追いかけようとして、無駄だ、と繭に止められた。

「今頃あの羽か魔法でどこかに行ってしまっているだろう」

 調度、コーヒーが運ばれてきた。コーヒーは、四つしかなかった。

 それは、ヴァイオレットが四人とは異質な存在であることを、明確に告げていた。











 帰ろう……。

 僕のいるべき、あの場所へ。

 僕は白い霧の立ちこめる天上で、ローザのことを考えた。

 ローザはあのけがをどうしただろう。気がつくと僕はローザのことばかり考えていた。
 地上での暮らしが、嫌になったのかもしれない。
 人間と関わっていくことに、うんざりしたのかも。

 僕はローザの家を訪ねた。ローザは、年老いた祖父と一緒に暮らしている。
 老いて、縮んで、ベッドと同化しそうなほどにくたびれた老人と。

 ドアを二、三度叩いても、返事はなかった。僕はそっとドアノブを回してみた。
 白い、他の家と変わらない四角い建物は抵抗もなく僕の侵入を許した。

 簡素なキッチン、白い廊下。
 僕はローザの姿を探して、白いカーテンが入り乱れる家の中を、カーテンをかきわけながら進んだ。
天蓋つきのローザのベッド。薄い花びらが投影されたかのような……。
 花弁のようなレースを開くと、薄紅色のローザの姿が見えた。
 姿見に映し出された彼女の姿。白い長いローブ。胸に落ちた髪を梳く白い手。光沢を放ちながら揺れる髪。
鏡越しに僕らの視線が合う。彼女の目は一度僕を捉えて、ふっと足元に落ちた。

 ローザ。

 ローザ。

 僕は喉がひきつれるほど、彼女の名を呼びたくてたまらなかった。
 でも、その言葉の響きに滲む恋慕が怖くて、何も言い出せない。

 代わりに、ローザは僕の名を呼んだ。僕は返事をした。

「怪我の具合はどう……?」

 ごめんね。

 それはローザに聞こえたかどうかはわからなかった。

「ルーミ様に治してもらっちゃった。回復魔法で」

 負傷したはずの肩を軽くすくめてみせ、ローザは舌を出した。

 ローザはこちらを振り返って、手を髪にからませたまま……微笑んだ。

「どう、あの人たちとは……?」

「ローザ、駄目だよ、僕……」

 僕は結局、人間界から逃げ出したいきさつを話した。だんだん顔が赤らんでくるのもわかった。
なんて、青臭いことをしてしまったんだろう。ローザはくすりと笑った。

「すごく、よくしてもらったのね」

「え?」

「だって皆でわざわざ貴方の服を選んでくれたんでしょう?その人たち、十分いいことをしたと思うわ」

「…………」

 じゃあ、あの篠原和実って人は?

 僕は小さな声で言った。

 ローザはゆっくりと近づいてきて、ぎゅっと小さな手で、僕の手を握った。同じ高さで、交差する視線。

「人間のいいところを引き出すのが、天使の仕事でしょ……?」

「僕は天使じゃないですよ」

 悪魔の部分もあるから、彼の悪い部分を引き出した?

 僕らは、黙りあった。

 ローザがゆっくりと眉をひそめる。

「私には分かるの。彼、きっと傷ついてるのよ」

「ローザ先輩……?」

「傷ついてるから、過剰に防衛してしまう。傷つけてしまう」

 何を根拠にそんなことを言うんだろう。

 彼の、側に立つなんて。

「ローザ先輩はあの人間の何を知っているんですか」

「人間の外側にいるから、分かることもあるわ。貴方は分からない?」

 傷ついた獣は、よけい凶暴になるわ。

 ひどく、獰猛な感じがする。

 響きの、言葉だった。

「でも、だったら、どうすればいいんでしょう」

 どうやって彼のきれいな部分をすくいだせば?

 ローザは人差し指を僕の前に持ってきて、つん、と鼻にあてた。

「注意深く観察して……そして、自分でうんと考えることね」

 私が手伝ってあげられるのはここまで。

 ローザは目を閉じた。

「さあ、行って。貴方ならきっとできるわ」

「……はい!」

 僕は人差し指を頭上に上げて、くるん、とまわした。その途端、僕はあの家の居間にいた。
 台所の机の上には、皆が僕のために選んでくれた服が置いてある。
 中を覗き込むと、ヴァイオっちへ、と書かれた紙が入っていた。



 ヴァイオっちへ。



 人の親切は素直に受け取るべきだぞ。

 それと、香夜りんのことは気にするな!



    和実除く、一同。



 僕はくすっと笑って、それをいただいておいた。
 ついでに向こうでへそだしの制服に着替えてきたので、今度着させてもらおうと思った。

 さて…………。

 僕は、そうっと二階に上がって、かずりんと書いてあるプレートの部屋の前まで移動した。

 ノックをするべきか否かと迷って、ええい、と、しかしあくまでもそうっとドアを開けた。
 篠原和実は、小さな机にうつぶせになってすやすや眠っていた。
 僕は物音を立てないように近づいて、顔を覗き込んでみた。

「ウフフ……やだなあ……大胆なんだから」

 くすくす……。

 なんだかいい夢を見ているらしかった。ちょっと気味が悪かったがほうっておくことにした。

 僕は部屋を見回した。男の子と女の子の要素が混在した部屋。
 くまの大きなぬいぐるみが置いてあるかと思えば、男物のジャケットが吊ってあったり、
 何故かマラカスが置いてあったり、フリルのついたティッシュボックスがあるかと思えば、
 男物の整髪料や香水が置いてあったり。

 むう……何かいいものはないものか。

 この鬼畜野郎……いやいや、そんなことを思ってはいけない。の、何かいいところ……。

 そうだ!他の人に聞けばいいんだ!!

 僕はぽんっと手を打った。

 どうして気がつかなかったんだ!

 同居人がいるんだからいくらでも引き出せるじゃないか!!

 というわけで、僕は篠原和実の部屋を出た。さて、誰に聞こう。
 玄関の靴を見てみたけれど、どれが誰のものかわからなかったので、適当にドアを叩いていくことにした。

 まず水野弘樹の部屋だ。

 ドアを叩くと、おーーー……と、頼りない声がする。
 ちょっとドアを開けると、なんだよ愁……といいながら、ごろりとベッドで寝返りを打った。

「ヴァイオです」

「へ……?ああ……飯?」

 むにゃむにゃと枕にしがみつきながら、薄目を開ける。
 仔犬のような黒目ばっかりの目をきょろりと僕のほうに向けて、おお、ヴァイオ。
 とちょっぴり目覚めた。

 けれどおきてくれない。
 目をぱちぱちさせながら五分丈のパンツの足を閉じたり開いたりと無意味な動作を繰り返す。

「あれ、気に入ったか?」

「あ、ええ……」

 僕は笑った。

「敬語なんかで話さなくていいぜ。っと、ちょっと言うのがおせえな」

 もうぼちぼち終わりだしな。

 水野弘樹はつまらないことを言った。

 目を閉じて、また眠りの世界にいってしまいそうな弘樹の服の袖をついついとひっぱる。
 それでもうとうとしているので、耳元でわっ!!と叫んだ。

「なんだよ!?何すんだよ!!」

「篠原和実のいいところってどこですか!?」

「はあ!?」

「ぼくは人のいいところを探さなくちゃいけないんです!!」

 そういや善行がどうとか言ってたな……。

 水野弘樹はベッドに腰掛けて唸った。

「でもそれちょー難しいぜヴァイオっち……」

「何でですか?」

「何でって、お前見てて気付かなかったのか?部長はあの性格だぜ」

「別に地獄行きでもぼかぁいいですよー」

「そんなこと言うな!!」

 あ、そうそう。

 僕はひらん、と人差し指を振った。

「これ、お返しします」

 Tシャツを差し出す。

 水野弘樹はいつでもよかったのに、といって、それをぽい、と床に放った。

「マイナス10点!」

 びしっと指差す。

「何が!?」

「せっかく片付けたのに!!」

「別にいいだろ俺の部屋なんだから!」

「片付けたのは三人です!」

「っつーかこれだけで10点ってひどくね!?」

 どういう単位!?

 水野弘樹がくちびるを尖らせて、こまどりみたいな顔になった。

「まさか……これだけで俺の善行……」

「マイナス10です」

 水野弘樹がぷるぷると顎を震わせて、Tシャツを拾った。
 クローゼットに仕舞って、それで、と言った。

「部長の善行……いいところ?」

「そうです」

「外見とか」

「それは、皆さん同じくらいいいと思いますよ」

「そうか?」

 水野弘樹が腕を組んだ。

「繭に聞いたほうがいいかもな」

 繭は部長と幼馴染だから。

「へえ、そうなんですか。じゃあちょっと聞いてきますね」

 それにしても何故皆揃いも揃って寝ているのだろう……。

 僕はちょっと不思議に思った。

 本橋繭の部屋をノックする。返事はなかった。
 ちょっとドアを開けてみて、パソコンに向かいあっている本橋繭を発見する。

「あの、今ちょっといいですか?」

 返事はない。何かに熱中しているようだ。読めない人だ。

 ベッドに座って、本橋繭の様子を観察する。
 篠原和実以外の4人はサーチ済みだ。改めて観察するまでもない。
 僕はベッドにごろりと横になった。デジャ・ヴ。僕はちょっとうとうとした。

 椅子が軋む音ではっとする。気がつくと本橋繭がこちらを向いてじっと僕を観察していた。
 これも、前と同じ。用件は?と言わんばかりの態度。

「えっと……あのですね。篠原和美のいいところを教えてほしい、です」

「君はちょっと自分でものを考えたらどうだ」

 ぴしゃりと本橋繭は言い放った。僕はぎくっとした。

「でも、繭さんは篠原和実と幼馴染なんですよね。どこかいいところを知ってるんじゃないですか?」

「そんなものはいちいち考えない」

 本橋繭の様子は少し違っていた。極楽地獄から怪電波でもでているのかもしれない。

 しかし、僕は正直言って篠原和実にあまり関わりあいたくなかった。

 人間の、悪の素質に出会うとき。

 僕の悪魔の部分が、顔を出すのだ。

 それはどろりとしていて、ひどくひやりとしている。

 けれど、間違いなく、僕自身の、目を背けたい、けれどひどく愛おしい、僕の中の、僕自身なんだ。

「お時間をとらせてすみません。失礼します」

 僕は部屋を出た。ドアの外には水野弘樹が立っていて、僕がドアを開けると、うわっと言ってよろけた。

「悪い。うっかりしてた。繭ちょっと機嫌が悪いんだよ。体調が悪いのかも」

 それとも、部長のことかも。

 水野弘樹は言葉を濁した。

「でも俺手伝うぜ。部長のいいとこなんてわかんねえけど、探すぞ」

「ボクも手伝うっ」

 宮崎愁がぴょこっと現れた。ぴっかぴかの笑顔で何を?という。

「二人とも……僕に恩を売ろうとしてません?」

 ぎっくー!

 愁が口で言って胸を押さえた。

「俺は違うぜ!だってヴァイオっち、ダチじゃねーか!」

「何がダチだよ!そんなものこの世にはないね!」

 愁が鋭い口調で言う。水野弘樹がみるみるかなしそうな顔になった。

「だってボク、地獄行きなんて嫌だもん。普段悪い子だから、この機会にためておかないと!」

 水野弘樹が愁の両頬をがしっと掴んで左右にひっぱった。ちょっと涙目になっている。

「ひひゃいひひゃい!ひぇーーーーん」

 水野弘樹の手から逃れると、宮崎愁は頬を押さえた。

「でも部長もボクと同じこと考えてると思うな。きっと恩を売りにくると思うよ」

「地獄いきでもいいし、殺されてもいいとか言ってましたよ」

「あちゃー」

 宮崎愁はぺちんと額を叩いた。

 その時、人間で言う携帯……みたいなものが僕に知らせた。上司が僕を呼んでいる。

僕は三人に別れを告げて、天上界……天国に帰った。

 ルーミネイトはあっさりと僕に告げた。

「君に極楽地獄、の件から降りてもらおうと思う。もう君があれに関わる必要はない。

「そんな……僕のことはまだ見えてるみたいでしたよ?それにまだ何も……」

「時間がかかりすぎている。あれは他のものに任せようと思う」

「なっ……誰なんですかそれは!」

 僕は食い下がった。こんな中途半端なことは納得できない。

「それと君は、篠原和実に深入りしてはいけないよ」

「どうしてですか!?」

「彼は、危険なんだ」

 ルーミネイトはドアに目をやった。
 その瞬間、どーーん、と音がして、緑色の髪をなびかせた女の子が飛び込んできた。
 きらきらしたオレンジの睫、赤い瞳。ちょっぴりセクシーに胸元の開いた、光沢のある黒い服。
ふわっと髪がなびいて、僕ににっと笑いかける。

「N」

 かつかつとヒールを鳴らして、僕に近寄ってくる。

「N……。彼女が、新たに任務を担当することになる」

 適任だ。

 Nはじっと僕の顔を見つめ、ちゅっと頬にキスしてきた。

「よろしくね!」

 ぼくは頬を押さえてよろけた。ルーミネイトにも近寄っていって、ちゅっとキスをする。







僕の波乱は、まだまだ続きそうなのであった………。



The  END





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第二部:天使の帆翔へ



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