天使の帆翔 《もくじ》 [1ページ目] [2ページ目] [3ページ目] [4ページ目] [5ページ目] [6ページ目] |
――白く舞い上がる光の粒が無数に空間を漂う。 それは命で出来ているのかもしれない。 ぼくらはそれが何かということを知らない。 気にしたこともない。 僕が知っていることはただ一つ。 それが天界という所――― 紫の暗い、悲しみと嘆きを帯びた象徴のようなこの髪、 異端と背徳を思わせる、ギラギラした金色の瞳 夜になると一際この瞳が輝いてしまう、獲物を狩りに行く獣のように。 誰もいないところで、誰の目にも留まらない場所で、影となって、そのまま存在を消してしまいたい。 何度そんなことを考えたことだろう。 でもぼくの存在は、その場にいるだけで、好奇と侮蔑の目に晒された。 ヴァイオレット――、誰がつけたか、ぼくはそう呼ばれている。 親がいるのか、いないのかも、いるのだとすれば、どんな天使・・いや悪魔なのかも知れない。 ぼくは以前、ルーミネイト様から極楽地獄の調査を命じられた。 極楽地獄・・・、それは僕の存在を象徴するが如くネット世界に無数に存在するサイトの1つであった。 「落ち着かないみたいだね。」 悶々とやり場の無い虚しさを抱えていた僕に、 くりっとした目つきの天使が穏やかにその空気を転変させた。 「ぼく、もうしばらくは人間界での調査はいいって、そう言われたんです。 どうしてでしょう? ぼくが無能だから・・?」 険しい表情で目の前の黒光りする机と睨めっ子しながら、僕は自分を責め立ててみせた。 横にいた天使は、何も言わずことり、と、爽やかなミントのような香りのする、 丸い、装飾の施された明かりを置いた。 そのランプのようなものは、ジジジ・・と小さな音を立て、何かを燃やしているようだった。 光が、赤、橙、と色を映ろわせながら心地良い香りと共に温かい光を放つ。 そのランプに照らされて出来た僕の陰が、僕の半身である悪魔の羽を映し出してしまった。 そのことに気づき、綻びかけていた感情がはっと現実に引き戻される。 その拍子に、座っていた椅子がガタッと音を立てて床に倒れた。 「・・・どしたの、大丈夫?ヴァイオレット。」 側にいた天使がまんまるの瞳をさらに丸くして僕に近寄った。 「イコン、今人間界はどうなってるんでしょう、どうして僕は任務から外されたんでしょう。」 イコン・・、 そう、彼はそう呼ばれている。 丸い愛らしげのある赤い瞳、 そしてふんわりしたペットの毛並みのようなブロンドの髪。 髪の毛一本一本がふさふさで、とても柔らかい。 そこにちょこんと、小さなピン止めみないなものをいつもつけている。 いつも僕のことをくりっとした目つきで捉え、 そして穏やかに、可愛らしげのあるその容姿で微笑んでくる。 彼は書物庫からあまり出ない。 引き篭もりなんだ。 或いは何か理由があるのか、でも僕はあまりその辺の話を彼としたことがなかった。 彼は柔らかなその髪を、僕に近づけて、そっと後ろから囁いた。 「行ってみればいいじゃない、いま、人間界がどうなっているのか。」 人間界・・ その名も響きも、ひどく懐かしく思える。 気にならなくはない、でも、遠ざかっていた、 どこか、触ってはいけない腫れ物のような存在で、 触れたくない、しばらくは・・、 そう思い続けていると 気づけばしばらく時が流れてしまっていた。 「・・・見に行こうか。今の、人間界の様子・・ ・・・極楽地獄・・あれは一体何なのか・・。」 ――極楽地獄というHPに魔法がかけられている、 そして、それのどこかに一定以上の書き込みをした者は、天使が見える―― そう、昔、教えられた。 でも僕は実のところあのサイトのことをまるで知らないままだ。 僕はイコンに別れを告げた。 彼は僕のことをどうしてか、眩しそうな目で微笑みながら最後まで見つめていた・・・。 ―――人間界への嘗て閉ざされていたゲート。 天使たちが人間との交流を断絶した時代があった。 でも今天使たちは、血の涙を流しながらも、人間との共存の道を選んだ。 人を支援し、導き、サポートすることを決めた。 その証の象徴として、このゲートが使えるようになったのだろう。 人間たちはここ(天界)へ来る時、このゲートは通らない。 天界の地下深くにある、夜の海のような、船着場へ、ゴンドラに導かれてやってくる。 地平線が曖昧で、あそこにいくと永遠の幻想に囚われてしまいそうな、 天使にとってはそんなに居心地のいい場所ではない。 死と黄泉の世界が限りなく続くようなところ。 一歩外に足を踏み出せば、そこは限りなく続く幻想の迷宮が待っていそうで。 そして人の心を惑わせるように、甘い香りが脳をくらくらさせる。 自分が地上にいるのか地下にいるのか、生きているのか、死んでいるのか・・ 何者であるのかすら考えることを虚しく、無意味にさせる世界・・・。 普通の天使は立ち入ってはいけない場所だけれど、 僕は何者にもなれない自分を悟ったときいつも、その場所に行ってみたくなる。 そんなことを考えているうち、天界のゲートが僕を人間界へと誘った。 ここを通るとすごく力が安定している。 天使の魔法も行使しやすい。 今回は無断で人間界に来てしまったので、ちょっと気まずいけれど。 ダンテ―‥、僕の弟にでも見つかれば、大変なことになりそう。 彼は僕のことを目の敵にしているみたいだから・・。 コソコソと物陰に隠れながら歩いていると、 何かにどんっ、と思い切りぶつかった。 変な声が前方から聞こえた。少しキツめの言葉で怒鳴られる。 あまり関わるとマズいタイプの人にぶつかってしまったらしい。 「・・・・て、なんだぁ、ヴァイオ・・、 ・・アナタ確か、ヴァイオレットじゃなかったかな!?」 突然自分の名を呼ばれ、ギョッとしながら相手の顔を確かめた。 N・・・、そう、彼女はルーミネイト様のところにいた・・ ・・・天使だ。 豊満なバストがひときわ目立つような、 ・・そう、水着姿で彼女は住宅街のど真ん中に立っていた。 「・・・なっ・・・なにしてるんですか・・っ!!?」 そのやけに露出度の高い格好や、 いきなり天使に出くわしてしまったことに混乱したヴァイオレットは、 思わず発した声が上ずってしまう。 「あなたこそ・・、あっ、もしかして状況報告を聞きに来たの?」 そう言われて、思わずうなずいてしまった。 「なかなかわかってきたわよ、あの極楽地獄というサイトと人間界とのことが・・。」 「えっ、え、そうなんですか!?」 Nと呼ばれる天使はペロッと小悪魔的に舌を出したと思うと、 唐突にヴァイオレットの制服の首もとをつかみ、路地裏に引っ張り込んだ。 まるで拉致されんばかりの勢いだ。 連れ込まれた先は、人がもう何十年も住んでいないであろう、崩れかけた廃屋の中であった。 「こここ・・こわいんですけどここ。」 今にも落ちてきそうな天井、腐って、カビの生えた木製の柱・・。 辺りは陳臭い鼻をつく臭いが立ち込めていた。 「うわ・・この木、腐ってますよ・・キノコが生えてます!!」 そんなヴァイオレットの様子をよそ目に、 Nはそこの少し広い空間がある場所に立って、両手で長方形を描いた。 ウヴゥーイィーー‥ン…… 電子的な低い音がしたかと思うと、そこに光りで出来た画面が現れた。 わっ、とヴァイオレットが飛ぶように駆け寄った。 「…なんですか、それ。」 「ん‥、極楽地獄のことが知りたいんでしょう、ならまず、ネットにアクセスしなきゃね。 ここってけっこー良い無料のアクセスポイントになってるのよ。」 はぁ・・と、よくわかっていないヴァイオレットの生返事を気にも留めず、Nは続けた。 「まず、あたしは人間界で天使の見える人間ってのを探しまわってたわけ、 でねっ、その天使が見える人間を調査しているうちに、 たった1人だけ、極楽地獄を見たって人がいたのよね。」 「・・・極楽地獄・・を、見た、ですか? あれはHPだから、みんな見てるんじゃ・・」 「そういう意味じゃないわよ、極楽地獄の・・ 正体っていうか、本体っていうか? そういうものだと思うわ。」 「・・わ、って、ていうか近づかないでくださいっ」 意図が掴めないでいるヴァイオレットにじれったく思ったNは、ヴァイオレットに言い寄った。 ローザには無かったNの豊満な胸を近づけられ、ほんのわずかに拒絶を覚える。 「ちょっとぉ、そんな向こうに遠ざからなくてもいいじゃない。」 ぷりぷりした顔で怪訝そうにNが言う。 穏やかで気さくな茶目っ気のあるローザとは全く違ったタイプのNに、 ヴァイオレットは戸惑いの色を隠せずにいた。 「ホラ見て、これ。」 Nが画面を指さした。図・・グラフのようなものが色とりどりに、いくつも表示されている。 「‥これ何ですか?」 「天使が見える人間の極楽地獄へのアクセス履歴よ。」 「・・う-ん、見てもよくわかんないんですけど・・。」 大量のデータと文字と数字、そして変な記号が画面のあちらこちらに配置されている。 そのデータの膨大さは、Nがこれまでどれだけ熱心に多くの調査を行って来たかがうかがえる。 「ほら、ここ見てみてよ、天使が見えてる人間とそうでない人間、 明らかに違うところがあるのがわかるでしょ?」 「え・・、な、なんでしょう・・。」 「もうニブちんね、見てこのアクセスした曜日・・。」 「・・・曜日?」 グラフを見ると、そこには、 「火曜、水曜、金曜・・、土曜、火曜、金曜、日曜・・・ってなんですかこれ?」 「天使が見えてる人間のアクセスした曜日に、一定の規則性がみられるのよねー。 しかもその規則性から外れた人間は、徐々に天使が見えなくなる。」 「ええっ、ほんとですか!?」 「これでもだいぶ調査したのよ、当たってると思うわ。」 ‥僕はグラフと数字と曜日をじっと見つめてみた。 ・・・・暗号?何かの暗号だろうか? 極楽地獄にアクセスするための、パスワード・・? 「それでね、行ってみたの。」 唐突にNが話を切り出す。 「・・どこにです?」 「・・唯一、極楽地獄を見たって人間のところ。」 「えっっ! ‥そ、それで、どうだったんですか‥?」 Nはふと黙った。ほこりにまみれ、ヒビの入った古いガラスの窓の向こうを見つめる。 どんよりと曇った空・・。 積乱雲が渦を巻いて荒々しく蠢き、今にも雨が降り出しそうだ。 「なにか来そうですね。」 ヴァイオレットの言葉でふと我に返り、Nが続きを話し出した。 「いなかったのよ、どこにも。」 「・・・え?」 「極楽地獄を見たって人間、ある日突然どこにもいなくなっていた。」 「ええええっ・・ちょ・・っとなんかこわいんですけど・・。」 「・・あんた男のくせにビビりなのね。」 そう言われてちょっとムッとするヴァイオレット。 Nのことばは率直で飾り気がない。 それ故時折すっと芯をつくように入ってくるものがあった。 「あの子、極楽地獄を見たって人間、元々重い病気だったのに、 死を迎えても、天界には来なかったの。」 「・・地獄に行ったんですか?」 「あんたの弟、ダンテが人間の裁きに関わってるのは知ってる?」 「え・・あまり、ダンテの仕事のことは教えてくれないから…。」 「人間が天国へ行くか地獄へいくかは天界側が管轄している領域なの、 天界側が把握しないまま直接地獄へ行くなんてありえない。悪魔に取り憑かれてでもなきゃ。」 悪魔・・・そう聞いてふと、自分の影を見つめてしまう僕がいた。 「あんた、ヴァイオレット君なら魔界にも行けるんでしょ? なら調べてきてくれない? 魔界に極楽地獄を見た人間がいるかどうか!」 他人ごとと思ってただ何となく聞いていた話の内容が、 唐突に自分の方に降りかかり、ヴァイオレットは反応に困った。 「・・ねぇ、どうなのよ、調べてきてくれないの?」 Nに畳みかけられるように言い寄られる。 「いっ・・・行きます。」 「ほんとね?」 「・・は・・はい。」 頼りなく、限りなく小さな呟きにも近い弱々しい返事。 ヴァイオレットはNの気迫の前に、ただ頷くしかなかった。 黒々しくざわめく、天使など一瞬で消化してしまいそうな瘴気。 多くの蠢く物たち。 咽び泣く声、せせり笑う高い声、 ―――悪魔、と呼ばれるものがそこにはいる。 嘆き、嫉妬、憎しみ、あらゆる柵から離れられぬそこは、 いつも僕を惹きつけてやまない。 きっと僕を廃人のようにするまで、僕を誘惑し、堕落へと誘う。 ―――――魔界、そうここは、 世界のどこにも居場所を失った者たちが辿り着く最終駅。 迎えの列車なんてもう来ない。 永遠にここに閉じ込められる、 そのことすら愉快に、快感に思えるほど、 恍惚の境地が、全てを取り憑かせる魔力がここにあった。 「・・・あぁあ・・、またここに来てしまったなぁ・・・。」 僕を惹きつけて止まない魔界、 拒んでも、僕の中の欲望というものが、 それを求めて離そうとしない。 ここに来ると、抑圧された何かが解放されてしまう。 それが恐怖でもあり、でも何より待ち侘びていることでもある気がする。 「おかえりィ・・」 獣の唸り声にも似た 低い、低い、ガラガラの声。 黒くて、その風貌はよくわからない。 あいつはいつも、魔界の入口付近に立って、 入ってくる者たちを出迎える。 天使であれば咬み殺すのかもしれない。 僕も最初、殺されかけたことがあった。 相変わらずそいつは嬉しそうに、 何がそんなに嬉しいのかというくらい、 やけに嬉しそうに、 ニタニタニタ・・と、笑っている。 そいつは目を開いてはいない。 いつも。 殆ど目を開いたところを見たことがない。 ・・・感じて、いるのか。 目を開かずとも、誰がどのような心持ちでいるかなど お見通しだといった風だ。 「・・・・どうしたよ坊主。 天使の臓物の土産でもよこして帰ってこいよ。」 「・・・人間を探してるんです。」 「・・・・・人間? なんだお前、 あの人間どもがわんさかいる所から、人間を持ってきてくれんのカァ?」 「・・・違います、けど、ある人間を探してるんです。 柴谷朋弥、しばたにともや、っていう男の人、知らないですか。」 「ガハハッ・・ッ!・・ゲホッゲボボッッ・・・!! ・・ゴホゴホ、手ぶらで悪魔にもの尋ねるなんざ、 魔王を食らうために100億年追い回すより無駄なこった。」 ・・・今この悪魔、笑おうとして・・むせた、むせたよなぁ・・。 「ぅん、じゃあもう聞きません、さようなら。」 「・・・てオイオイオイそりゃないぜー、ここは通せないな、 今お前さんの血を通行料としてもらわねえことにはな! あぁ、それか、お前さんの友達とかいう天使を1匹・・」 「もう僕そんなことしません。」 そういうと、悪魔はすごくつまらなさそうな顔をした 呆れたような、面倒臭そうな様子で、 自分の頑丈な皮膚みたいなものをポリポリとかく。 「お前は半分悪魔なんだァよ、 だから今もこうして生きてられる・・ や、生かしてやってんだろォ?? 最初に此処へ来たとき、天使の血が宿るお前は 死ぬまでその肉体をしゃぶり尽くされる はずだったんだよゲハゲハハハ・・!!!」 そう言われて、しばらく考えてみる。 このいかにも構って欲しそうな悪魔をどう煙に巻こうかと。 「・・これ、わかります? 大天使の紋章、 …これに触ったら、悪魔だって焼け焦げて、 天国にも地獄にも行けない苦しみを味わうって。 わかったんなら僕もう行きますよ、 魔界に来る度いちいち食べ物を強請らないで下さい、 悪魔なら獲物は自分で狩ってこそでしょ。」 「けっ、しゃらくせぇな。んなモン持っ来てんじゃねぇよ。」 一気に嫌そうな顔に変わるのがわかった。 やっぱりこの紋章は結構スゴイ物らしい。 恨めしそうな形相でこちらを向いている悪魔を尻目に、 僕は人間たちがいる、魔界の最も上層部の綺麗な場所、堕人牢獄に急いだ。 ―――――極楽地獄。 ホームページ、ネットにあるサイトの1つ。 天使の羽のような模様がある、ひっそりと存在する、ただのサイト。 書き込みをして天使が見えるようになる、そんなの・・ 誰がかけた魔法だって言うんだろう。 Nさんが言ってた極楽地獄の本体、なんだろうそれは。 場所のことなのかな、本部みたいな、本拠地・・。 事務所とかあるような、そんな所? それとも、・・・・・。 そういえば、Nさんの話だと、 極楽地獄を見たという人間が言い残したキーワード。 ――――――……‥ 朱色に霞む霧の中に浮かぶ、何かの港。 そこを抜けると、鬱蒼たる場所に出て、やがて、 ―――黒い門。 大きく重々しい、 息苦しくなるほどに圧倒される、 威圧感たっぷりの門。 歓迎されているのか、拒まれているのか。 此処にいて、自分は無事なのか。 門には、まだ入れない。入る方法を知らない。 入り口がない。門のはずなのに、入れる場所が見当たらない。 門はまだ開かれていないのだろうか。 それとももう閉じてしまって、 永遠に開くことはないのだろうか。 ‥…―――――――― 僕がNさんから聞いた極楽地獄の話、 でもこれだけだと、まだ何もかもがわからないままだ。 極楽地獄を見たその人に会えば、もっと何かがわかるのかもしれない。 ・・・わかって、どうするんだろう? 好奇心? 怖いもの見たさ? Nさんに言われたから来た、だけ? 心が、奥が、どうしようもなくザワつく。 嵐が、近付いているみたいに。 真実が、見てみたい。 何があるのか、そこに何があるのか。 ルーミネイト様が言っていた、魔法をかけた存在に会えるのか・・。 僕が今歩いている魔界の肌寒い亡者の森。 真っ暗で光なんて無い。 僕の中の悪魔の勘だけが、人間の匂いの方向を教えてくれる。 下から生えているものに当たってはいけない。 天使の血を含む僕の体では、一瞬に、体液が凝固してしまう。 それは死を意味する。 中途半端な僕の存在は、いつも、どこへ行っても、 人一倍気を付けなくちゃいけない。 安心して居られる場所なんてどこにもありはしない。きっと。 ああ・・・ダンテが、うらやましい・・・。 時々そんな事を考えてしまう。 他人のやっかみというやつだろうが。 でもやはり、僕にとってのダンテは、すごく眩しかった。 どんな人とも卒なく付き合い、素早く仕事をこなし、 いろんな天使たちから認められている。 美しい羽、美しい容姿、ルーミネイト様と同じ金色の髪。 僕のことを嫌うのも当然だと思う。 完璧な彼にとって、いちばん完璧でないもの、 それが僕なんだ。 僕という存在さえいなければ、彼は完璧でいられただろう。 でももう、消えてしまおうという感情は、徐々に薄くなって来ている。 ローザ先輩が、僕を温かく包みこんでくれるからかもしれない。 居場所のない僕に、ほんの少しの安らぎを紡ぎ出してくれる。 彼女の周りにいると、風の音も雨の音も光も、植物も、 全てが楽しいリズムに変わっていく。 すべてが踊っているみたいに、全てが彼女の存在を、祝福しているかのように。 僕にとってはとても、羨ましい、それでいて、あたたかい。 いつも薄く柔らかい生地の服に 香ばしい紅茶や食べ物の匂いを染みこませて、 彼女がパンを焼くと、大勢の天使が集まってくるし、 彼女が笑うと、どんな天使の顔もほころんでくる。 そんな、僕の心をほかほか照らす、太陽。 ・・そんなあたたかい想いを巡らしていたが、 突如聞こえた悲鳴によって、その柔和な気配は掻き消された。 「あっ、ここは・・。つ、着きましたね。」 そこは地獄界の中の人間たちが住まう場所。 止むことのない狂気の声で、安眠など永遠に訪れない。 「・・人間の声って、悪魔と違って、ちょっとマトモですね。」 そんな冷静そうなことを言って、緊張と混乱を治めようとする。 しかし人間の悲鳴は、 天使の部分のヴァイオレットにとって耐え難いものであることを、 振り払っても拭っても、その悲鳴の声が 耳の奥の奥にまで残ってしまう事実が告げていた。 「・・痛い、なんか、耳鳴りがする、 なんだろうコレ。グラグラしてくる・・・。」 拒絶感が、吐き気となり、四肢の麻痺となって、神経を堕落させていく。 「・・え・・・・と、男の人、Nさんの言ってた人を、見つけなくちゃ・・」 ゴツッ・・・、 鈍い音がした。 ヴァイオレットの足が、杖のようなもので、踏みつけにされた音だった。 ――見上げると、 いかめしい顔つきで見下げる堕天使たちが一斉にこちらを向いている。 「・・・・・なんだ、お前。」 天界で聞いたことがある。 天界に忠誠を誓って自ら堕天した者たち。 魔界で任務を全うするために、 かつて、多くの上級天使たちが、 魔界に送り込まれ、そこでその身を保つため、 生き抜くため堕天したと。 無秩序な魔界では、魔界送りにされた人間たちは、 ひとたまりもなく悪魔どもの餌食になってしまう。 だから、天界は、人間たちを監視し、支配し、 そして守護するという名目で、彼ら堕天使たちを配置しているのだと・・。 堕天しても天界に絶対の忠誠を誓っているだけあって、 いかにも・・その、なんていうか・・・・ 「・・・頭が堅そう。」 「ん!? なんか言ったか!?」 「あっ、いえこっちの話です。」 素直にここを通してはもらえなさそうなので、 とりあえず僕は、Nが言っていた柴谷朋弥とかいう人間がいるか聞いてみた。 それでも相変わらずとり合ってくれなさそうなので、 今度はルーミネイト様にもらった紋章を見せてみる。 その途端、複数の堕天使の目つきが変わる。 どうやら調べてくれるみたいだ、でもあくまで僕は、 この中には入れてもらえないらしい。 複数の天使が行ったり来たり、しばらく何やら話をしてみたり、 書類のようなものをパラパラ捲ったりしていた。 その間中僕は、さっきからずっと目の前にいて、いかにも無愛想で、 僕を初めて見た時からたった一言も喋らないこの寡黙天使と一緒に ずっと沈黙を続けていなければならなかった。 ・・・何なんだろうな、さっきからずっと僕のこと見てるよ・・。 僕はこの無愛想天使に目を合わせるのがちょっと気まずく思えて、 ずっと自分の足の先を見つめていた。 時折ちらっと目の前に居る天使の顔をうかがってみるものの、 相変わらず岩のように表情を変えず、 ずっと僕のことを見ているようだった。 ・・・もうホントに何だろ、気まずいなぁ・・、 早く誰か、この変な空気を破って欲しい・・。 もしかしたらその天使はただ 前を向いて見張っているだけかも知れない、 でも僕にはその天使が、 じりじりと僕の方へ寄ってきて、 何か僕のことを悪く思わないだろうかとか、 僕が半分悪魔であることを非難されないだろうかとか、 ずっとぐるぐるそんな思考ばかりが過ぎってしまう。 ・・・・早く終わってくれないかな。もう逃げてしまおうか。 そんな時に、ふとあることに気づく。 人間の悲鳴が聞こえなくなっている。 耳を突くあの音、耳障りで、 あの残響感が僕の天使の部分を蝕んで行く、 あの感覚が、今は無かった。 沈黙・・・・、 そう、今あるのは沈黙だった。 ほかの雑音が、聞こえない。 目の前の天使に睨まれて、感覚が麻痺しちゃったのかも。 ・・・そっと、自分の前の天使を、見あげてみる。 「ああ、そこの、…ヴァイオレット、とかいう奴だったか!」 と、突然奥から戻ってきた堕天使たちが大声でその沈黙を破る。 「そのような人間は、我らがこの魔界で人間たちを預かって以来、 史上1度もこちらには来ていない。」 ピシャッと正確で厳しそうな声のトーン。 でもとても信頼が置けそうな、そんな自信に満ちた声。 「1度も・・・ですか?」 「1度もだ。」 やはりキッパリと、寸分の迷いなく即答されてしまう。 「堕天使さんたちが気づかないうちに迷い込んだとかそういうのは・・」 「断じて無い。」 また、自信に満ちた即答、余説を話し合う余地は無さそう。 ・・しょうがない、 帰るしか無さそうだ。 ぼくは堕天使たちの鋭い眼差しを背に受けながら踵を返した。 再び通って行く先ほど来た道。 しかし行きしとはその様相が異なり始めていた。 ―そう、もうすぐ夜になるのだ。 魔界の夜は、半天使の僕が 平気で生きていられるほど安全な場所では無い。 夜に徘徊する悪魔に目をつけられたら、 ひとたまりも無いんだ。 一度、瀕死になって、上級天使様に助けだされたことがあった。 こんな言い方をするのもアレだけど、 昼間の地獄と違って、 夜の地獄はまさに …地獄そのもの。 命がいくつあっても足りないし、 悪魔たちの狂喜乱舞する様は異常だった。 獰猛さも桁外れ、 夜に蠢くような悪魔は、また一段と、力を持っていた。 そろそろ帰ろう、本当に。 うん、Nさんにこのことを伝えて、僕は天界に帰らないと。 僕の中の血がざわめき始めていた。悪魔の血が、目覚め始めている。 ・・・・危ない。 僕は何より、そう、どんな凶暴な悪魔より、 僕自身が怖いのかもしれない。 はやく、早く帰ろう、鼓動が、高くなって行く、 この高鳴りは、悪魔の目覚めへの第一歩、これを許すと、次は―― ゼエゼエ、と必死でもがきながら、 心臓を左手で握り締めるように押さえながら、ゲートに急ぐ。 「・・・・おぉ~うい、えらく慌ててやがるな。」 ゲートの入り口には相変わらずあの悪魔がいる。 でも、構ってなんかいられない。 目が、血走ってきた。やばい。危ない。早く。・・・早く! ドッ、 ドッ、 ドッ、 ドッ、ドッ ドッドッドッ・・ 急速に早くなって止まらない鼓動。 掻き消される理性の中で、必死に呪文を暗唱する。 手をかざす。 どうか、天使でいられるように。 天使で‥! ローザ先輩と、 また普通に過ごせるように・・! 鼓動の高鳴りが急上昇していくのがわかった。 でももう僕には止められなかった。 魔界に夜の時がやってくる。 僕はどうなって行くのだろう。 もう、どうすることも、出来ない。 ただ目覚めたとき、天使であって欲しい。 願わくば、ローザ先輩の姿が・・・目の前に・・・・・ 遠のいていく意識。 意識が遠のいていくのか、 理性を失ってしまったのか。 僕には判別がつかない。 黒い、 黒い、 悪魔の血。 おぞましい、汚らわしい、 そして心地良く愛おしい。 そう、黒いんだ、どうしようもなく、僕は黒い。 ああ、それでも、僕は愛されたい。 僕に、微笑みかけて欲しい。 僕を、疎ましい、 恐怖と拒絶の目で見ないで・・・ 黒・・・・、黒が彩る世界。 ゴーーーン。 鐘の鈍い、お腹の底に響くような、低い、低い音。 その音が、僕を全ての黒の世界に誘った。 黒の空間に解き放たれた僕。 無・・から、静寂の空気が流れ始める。 空気感が、その肌に感じられる。 意識が、戻ったということなのか。 今まで感じたどの世界の感覚とも違う。 黒い物、黒、黒・・・、それと、黒でないもの・・白? これを白と呼ぶのかがわからない。 天界のまばゆい白さとは似ても似つかないし、 人間界の言う白とも全く違っていた。 ぼんやりと、しかしその存在は、確実に、僕の視界の奥にあった。 2つの黒い影。 建物だろうか、2つの影が見える。 痛みもない、楽しさも、 そういう感情や五感で感じる感覚のようなものはそこには無かった。 ただ、何だろうこの空気は。とてつもなく自由で、何も無い世界。 何者にも支配されない自由と宇宙の広がりのような空気。 神聖で、奥深く、噛めば噛むほど味わいの出るもののよう。 「・・・広い・・なぁ、どこまで続いてるんだろう、果てがないみたいだ。」 声を出してみても、反射しない、自分の声が、殆ど聞こえない。 広い世界に吸い込まれてしまうようだ。でも、わるくないかも。 この自由という場所で、たとえ一人でいたとしても、 ずっとこの空気に浸っているのも良いかもしれない。 そんなことを考えたその時、視界が一瞬にして途切れた。 そして間髪入れず、新しい視界が僕の中に飛び込んで来た。 ・・・ここは、家・・、 ・・・・ってあれ? ここって・・・・。 そう、ここは、人間界、 僕はどういうわけか、人間界に戻って来ていた。 しかもNさんといた廃屋の中。 Nさんの姿は見当たらなかったが、 苔の生えた床にふと目をやると、 そこにホコリを被った岩石のような物を見つけた。 赤黒い、固そうな・・、花崗岩か何かかな・・? ・・・なんだろう、変な模様。 太い線の横に寄り添い従うように描かれた細い線・・、 何かの文字だか象徴だろうか。 ぽつ、ぽつ、ぽつぽつ・・ザザザザーーーーーァー‥… 割れた硝子に水が跳ね返る音が聞こえる。 湿気を含んだ生暖かい風が、木の壁の隙間を超えて、 こちらまでやってくる。 ・・・・雨だ。 そういえばNさんとここにいた時、曇っていた。 人間界ではもう夕暮れ時になっていた。 Nは一向に帰ってくる気配がない。 僕は少し心許無さを覚えながらも、 再び手に持っていた岩をに目を落とす。 ローザ先輩と居るときとは全く違う、雨の響き。 静謐で、少し虚しく、 一人この空間、別世界にぽつん、と 置いてきぼりにされたかのような、そんな響き。 「・・よくわかんないや。」 観察と推測を諦めて、 手にあった岩石を部屋にあった棚に置いた。 ・・・・ガダンッッ・・! 「えっ・・・・」 岩石を置いてしまった衝撃でか、 その棚を支えていた木が抜け落ちた。 そしてまた、木が抜け落ちた衝撃で、 棚の上の方から何か紙切れみたいなものが落ちてくる。。 「あ・・・」 紙切れ・・・ではない、葉、 ・・何かの葉のようだけれど、 しかし雨の中の、しかも日の当たりにくい廃屋にいるせいか、 その葉の色が銀色に見えた。 「何だろうこれ・・・ この家って変なモノが置いてありますね・・」 そもそも考えるとかいうことが苦手な僕にとっては、 それらの意味不明なものは、 それなりにどうでもいい存在だった。 とりあえず思案するのを3秒で止め、 Nを探すことにした。 そもそもこのままこの廃屋に 独り取り残されているのも居た堪れない。 捨てられた子犬みたいだ。 泥だらけで、醜くて、傷ついた子犬。 その醜さ故に捨てられた。 悪臭でも放っているのかもしれない。 みんなの鼻つまみ者。 飼っていてもひとつも良いことなんて無い。 だから捨てられた。 捨てられて当然。 僕は生まれてきた途端に、 その醜さ故に捨てられた子犬と同じなんだ。 ガチャっっ・・・ 「あっ・・・・・」 「あ、いたの・・・!?」 お互いに顔を見合う。 そうNが廃屋に帰ってきたのだった。 しかも、びしょぬれだ。 すごくうざったそうなしかめ顔。 「おかえりなさい・・・。」 「あんた魔界には行ってきた?」 「あ、はい・・。」 「そう、それで・・?」 可愛らしい白地にピンクの色のタオルをどこからか出して、 Nはその長い緑色のしゅんと濡れた髪を 掻き上げながら、拭いていた。 僕は魔界にいた堕天使たちが、 極楽地獄を見たという人間、柴谷朋弥は ここには1度も来ていないと言っていたことを伝える。 「ほら、やっぱりね!」 すかさずNが張った声を発した。 「・・えっと・・?」 「やっぱりいなくなったのよ、あいつ。世界のどこにも! ・・どこに消えたのかしら・・?」 Nのその声はとてもアクティブで、ハキハキしていて、 彼女の声からやる気と好奇心が感じられた。 積極的、そんな言葉が代名詞になりそうな彼女。 僕はそんな彼女の様子に振り回されてしまいそうな ちっぽけな自分を感じていた。 「ねえ、えっと、ヴァイオだっけ、じゃあ今度は・・」 ちっぽけ、そう、すぐ周りに振り回されて、流される、 逆らえない自分・・。 Nの迫力と、人を巻き込む力は、 穏やかなローザとは勝手が違っていた。 「あの・・・」 僕は顔を俯かせて声を振り絞った。 「なによ・・」 彼女に見つめられると、彼女の気迫の前に、僕は縮こまって、 言葉が出なくなってしまう・・。 「ぼ、ぼく、」 「だからなに。」 ・・拒めない。 彼女に睨まれる、 ほんとはただ見つめられているだけかもしれない、 でも獅子に追い詰められた、子ねずみのように、 僕の体はこわばって、硬直していた。 「ぼく、任務があるんです、忙しいんです! 他にやらなくちゃいけないこととかあって! その・・」 思い切り何かを発した、 自分で何を言ったのか、よくわからない。 混乱していた。 「僕もう帰ります!」 「あ、ちょっと・・・!」 一目散に僕は逃げ出した、 Nに詰め寄られるのがこわかった。 どうにかして逃げ出してみたかった。 僕の自由というものを勝ちとってみたかった。 ただ逃げただけなのかもしれないけど。 でも僕は抗ってみたかった。 深い意味はない。 ただそれだけ。 従うしか無い僕の選択肢に、自由という選択肢を・・! で・・。でもこれからどうしよう、 Nさん怒ってるだろうな・・。 Nがどういう反応をしていたかなど見ていない。 カンカンに怒っていたかもしれない、 もしかしたら愛想を尽かされたかも。 ああ、天界で出会っちゃったら、僕はどうしよう。 ・・そわそわ。 力いっぱい逃げて来たあとで、今度は不安が襲ってくる。 でも、引き返すことも、何も出来ない自分がいる。 と、とりあえず天界へ帰ろう、そして、 そう、ローザ先輩の所へ行って・・・。 ドォーーーーンッ・・ガラガッシャーンッ・・!!!!! 「うわっっ・・・・・、な、なんだ!?」 後ろを振り向けば、凄まじい音を立て、 先ほどいた廃屋のすぐ近くの家、 小屋みたいな建物が、粉々に崩れ散っていた。 「えっ・・・!? え、えええ、な、何が起こったんですか・・!!??」 パニックの中で、僕は急いで道を引き返していた。 決して引き返すはずの無かった道を、 いともあっさりと。 散乱した瓦礫・・・、 どんどん怪しくなる空の色。 雲が轟々と音を立てて渦を巻いているようだった。 雷でも鳴りそう・・そして落ちてきそうな空の様子。 ゴロ・・・・・・ゴロゴロゴロ・・・・・ 小さい唸り声を、 雨に挟まれた激しさを増した電流が、響かせ始める。 「いやな空気・・。 ここに落ちてこないと良いけど。」 Nが向こうから駆けてきた、 すごい衝突音だった。Nも気づかないはずがない。 ・・妙に、気不味い。 「今のは何? 何かが衝突したような音だったけど」 さっきの僕の精一杯の反抗など 少しも気にかけていない様子のNは、 相変わらずの調子で、僕に話しかけてきた。 衝突・・・、何かがぶつかって、そして小屋が壊れた。 何か・・・自動車か何かが小屋に衝突したのだろうか。 ガラッ あれ・・、何か瓦礫の下で動いたような・・・。 ガラガラ・・、 ゴトッ・・・・・・・ レンガや硝子や木製の破片が入り交じった瓦礫の山が、 ゴトッと 重そうな鈍い音を立てて崩れた。 そして、崩れた中に、 黒い、ひょろんとした影・・・・。 「あれ、人じゃないの?」 人・・・? あのすごい衝撃音の中で、人が生きていた? それにしても細長い。頼りなさそうな体つき。 怪我はしていないだろうか、 ・・もしかして重症なんじゃ・・!? 咄嗟に駆け寄って、その人影の様子を覗う。 細い目、細い体、・・もやしみたい。 あまり艶のない髪。 ・・・でも、不思議と、 どこにも怪我らしきものは見当たらない。 その姿勢の悪そうな男は、 ぺこっと首を曲げて、 体を妙な感じにくねらせて頭を下げた。 「や・・・・・あぁ、ぶつけちゃって・・すみません。」 変な人、変質者っぽい、そんな代名詞が ぴったりそのまま当てはまるような、そんな男。 美人や、整ったものとは対称的な、 どこか異様さを放つ人間。 「ヒョヒョヒョ・・・・・、 お二人さんは、どちらさんで?」 ピクッと反応するN、しかし黙っている。 いかにも関わり合いになりたくないといった風。 仕方が無いので僕が質問する。 「あなたは、僕達が見えるんですか?」 「へ・・? 見えますがね。 何か可笑しいですかね?」 「いえ・・なら、極楽地獄って、知ってますか?」 「ああ、それがどうかしたんでしょか?」 ・・・・やっぱり、知っているんだ。 「極楽地獄っていえば、永遠の地のことですかね。 伝説的存在、お伽話ってやつですかな。」 「え・・?何のことですか??」 ・・予測していた答えとは違っていた。 伝説? お伽話‥? 「世界に存在する全てのものが最期に行き着く終焉の地・・ 文化によっては永遠の楽園とかもいいますか。 ・・でも今更そんな事を聞いて来る人もいるのですかね。」 逆に不思議そうに男に見つめ返されてしまった。 僕達が知らないだけで、 実は当たり前になっている事なんだろうか? Nは相変わらずしかめっ面でいた。 少し首をかしげて、こちらに目配せする。 ちょっと来い、という合図のようだ。 とりあえず僕は、Nのところに寄っていく。 「・・ねぇ、あの人なんかおかしくない?」 「へ・・変な人ですよね・・、 あ、天使が人間を変な人だなんて言っちゃいけないかも・・。」 「あたしは人間界に長く居た天使にも聞いて回ったのよ? でも極楽地獄なんて誰も知らなかったわ!」 「うーん、最近流行りだしたものなのかも・・」 「なんか変よー、あの人! 天使も見えてるみたいだし!」 「極楽地獄のサイトに書き込みしたからなんじゃ・・」 「どうだか・・・、だってアイツが言ってた極楽地獄は、 サイトじゃなくて、お伽話の方でしょ?」 「え、ええ・・・でも・・・・・・・・・あっ」 ふと振り返ると、あの怪しい男の人の姿は無かった。 「ああっ・・・!」 何か重要なことを知っていたかもしれない。 第一他の人とはどこか様子が違っていたし。 「・・・あの男の調査は、あんたがよろしく!」 「・・・えっ!?」 「あいつなんか関わりたくないわ。キモいし。」 「そ・・・そんな・・。僕・・」 「さ、あの男を見つけて、根掘り葉掘り情報を引き出すのよ! 何か良い情報がつかめたら、あたしに連絡ちょうだいね。」 「う・・・・・はい・・・・・。」 結局Nさんにまた押し通されてしまった。 ―――もう日が暮れてしまっている。 ・・あんなに激しかった雨が、 嘘のように降り止んで、 空は晴れ渡っていた。 あのおどろおどろしい渦をまいた雲、雷。 すべてが消えていた。 夕時の静けさが一気に戻った。 「うっ・・・!」 魔界に行ったせいで、僕の肉体は傷んでいた。 天使と悪魔が体内に両立するということ、 それはお互いが、お互いを傷つけあうということ・・。 とりあえず天界に帰り、 傷を癒してもらう必要がありそうだ。 ・・・それに、 ・・それに悪魔の血の威力が より濃くなっている自分が恐ろしい。 僕が天界で過ごせるようになるために、多くの天使たちが、 毎回浄化と回復魔法を施してくれる。 時にそれは、非常に激痛を伴うこともあった。 多くの天使たちに迷惑をかけた。 でもそれで、そうしてようやく、 僕は天使という役目を全うできる。 ようやく天使としていられる。 天界でふつうの天使と同じように過ごすことが出来る。 中途半端な僕というものは、 どこで生きるにしても、 非常に迷惑がかかる、 そんな厄介な生き物なんだ。 ―――ふわりと舞い上がる無数の羽・・否、光の粒。 僕は天界に戻ってきた。 住み慣れた地。 よく耳にする音。 いつも通り。 そう、これが安穏。 僕にとってのふるさと。 賑やかな喧騒の音、 天使の歌声、踊り舞う光たち。 フワッと、体が軽くなる。 そこはとても、心地のよい場所。 ・・天使たちの僕を見る目以外は。 カラン、コロン、カラン、 リズムのいい楽器の音。 降り注ぐ光の量が、人間界とも、魔界とも、まるで違う。 目が眩むほどの光。 でもそれは眩しさではない、心地良く包み込まれるような光。 中央に位置する豪奢な建造物。 天界の本部。 その高さは計り知れない。 僕は、その城の半分すらも知らない。 だって上の方は、上級天使だらけ。 上級天使しか主に入れない。 僕は中級天使ですらない。 下級天使なんだ、 僕がグズなのがいけないのか、 それとも半天使を昇格させるとマズいからなのか、 ローザ先輩とダンテは中級天使なのに。 ・・・確かにローザ先輩もダンテも、 僕よりずっと出来は良いけど・・。 でも、下にいるからこそ、 自由で、 上にいる天使よりずっとずっと見えるものがある ・・って、ローザ先輩は以前言っていた。 「おい!どこをほっつき歩いてたんだ全く!!」 怒鳴り声。しかもすごく聞き覚えのある。 「聞こえないのか、耳がないのか!? ローザの所にもいないし、モカのところでもない。 どこで油を売っていたんだ、 ルーミネイト様をお待たせする気か!」 ダンテ、僕の弟、僕より年下・・のはずなのに、 彼のほうが偉そう。 「ルーミネイト様が・・僕を呼んでるんですか?」 「ああ。。そうだ・・・・が!ちょっと待て。 お前魔界にでも行っていたんじゃないか!?! すごく臭うぞ!そんな体で 本部へ行かせるわけにはいかない・・!」 「なんですか・・行けとか、行くなとか、どっちなんですか・・」 「とにかく待て、・・・・ちっ、しょうがない、 ルーミネイト様をお待たせするワケにもいかんからな、 俺が浄化してやるから来い・・! ・・ああまったく、どうしてこうなるんだ・・・!!!」 一人でイライラしたり、慌てたり、忙しいなぁ、ダンテは・・。 「・・・よし、ここでいいだろ、じっとしてろよ? 1マイクロメートルでも動いたら灰にしてやる。」 「何ですかその脅し・・・。 マイクロメートルってどんなに小さいんですか・・ 第一、天使が脅しなんてよく無いと思います」 「その正論は天使と人間を相手にした時だけ通じるんだ。 悪魔相手なら問題ない、いいから喋るなよ。」 ・・・言いたいことだけ言って僕には喋るなだなんてちょっと卑怯。 ―――ダンテが手をかざすと、 光の、図形のようなものが僕を取り囲んだ。 幻想的、それでいて、力の威力がすごい・・・、 さすがダンテ・・。 こんなに魔法を展開させるのが素早いなんて・・、 しかもこんな広範囲に・・。 魔法のエネルギーが僕の魂に、 体全体にはたらきかける。 流れこむ。 ・・・・浄化。 浄化という名の、悪魔を殺す方法。 僕の中の悪魔の血が悲鳴を上げる。 ‥アア・・・! 止めろ・・・! ・・止めろ止めろ止めろぉおおおお・・・!!!! 次第に強くなる反発力・・・。 悪魔の必死の反抗を、 ダンテの力が食い止める。 鎮めてゆく・・。 ウァァアアアアアアアアアア・・・・・・!!!! 消される、僕の想い。 消滅させられる、僕という存在。 悲しみ・・・・。 ・・・悲しい。消されてゆくんだ、こうやって、何度も。 そして天界に支配されてゆくんだ。 自由は掻き消され、僕の中は、 天界で、 天使の力で満たされる。 悪魔の自由は、もうそこには無い。 「・・・・大丈夫か・・?」 ダンテが、少し変な顔をして僕の顔を覗き込む。 へんな、顔。ダンテがそんな顔するなんて。 僕のことを心配するなんて。 ふと、頬を伝う、冷たいもの・・・、 涙。 僕は泣いていたのか。 これが、悪魔の遺した 最期の嘆きの涙。 個という存在を抹消させられる 痛み、悲しみ、叫び・・。 ダンテは黙って僕の方を見つめていた。 眉間にシワを寄せてはいるが、 それはいつもの、怒った顔でも、不機嫌な顔でもない・・。 彼の目は見開いて、こちらを見ている。 その瞳の奥は、どこか寂しげで、心配そう・・。 透明感がある瞳。 「おい・・・大丈夫なのか?」 再び聞き返してきた。 なんだ、僕のことがよほど心配なのだろうか? それとも自分の魔法で 僕をどうにかしてしまったんじゃないかと 心配しているのだろうか。 「・・・・たぶん。」 「・・・・・はぁ、まあいい。 急いで本部に行ってくるといい。」 いつもの勢いのあるきつい言葉は彼からは発せられない。 ダンテはしばらく僕の様子を観察してから、 すっと横を向き、 仕事があるからと帰って行ってしまった。 ダンテが僕に向ける殺意にも似た憎悪、 そしてさっきのようなほんの僅かに見える優しさ・・、 破壊と、苛立ちと、拒絶、そしてそれとは対称的な、 穏やかな、表情。 彼が僕に向ける二つの顔。 優しさと、憎しみ。 僕は、ダンテのことを、 まだまだ知らないのでは、と感じた。 「ルーミネイト様、 ヴァイオレットヴィンセントヴァーチェス、 ここに参りました。」 ゴーンッ、 部屋の入口の監視天使が、音を立てて杖をつき、 その重厚なる音が空間に広がる。 その音に呼応するかのように、 スーッと、入り口が開いた。 僕はルーミネイト様の執務室に招き入れられる。 下がほんの僅かに透けて見える、つるつるの床。 光を発する壁の装飾。 手入れの行き届いた机、椅子、 そしてその上にある整然と並んだ書類たち。 命の宿りを感じさせる、温かいランプ。 真っ白な机に溶け込むような白い肌、 そして長く棚引く金の髪。 僕らのボスであり司令官、上級天使のルーミネイト様。 その場にいるだけで、 彼・・彼女・・?に吸い込まれてしまいそう。 どんな動乱の時も、彼の周りだけは、 常にそよ風が漂い、そっと柔らかいその髪をなで、 小鳥がさえずっている、 ルーミネイト様にはそんな、圧倒的なオーラがあった。 これが上級天使の風格ってやつかもしれない。 「やぁ、よく来てくれたね、」 ルーミネイト様が囁く、これはいつもの挨拶の言葉。 「君に、ひとつ、言い忘れていたことがあるんだ。」 「・・・・なんでしょう・・。」 視線を落とすルーミネイト、 白い柔らかい手のひらが、くるっと上を向いた。 「君は、しばらく 人間界にとどまって欲しい。 君に使いを送るまで、天界に帰ってきてはいけないよ。」 「えっ・・!?そんな、突然どうして・・!?」 「色々と、大変なんだ。 みんな君が原因だと思っているみたいだね。」 原因・・?僕が・・・?? 一体何の・・?! 「人間界に君が住まうところを用意しておいた、 きっと不自由は無いと思うよ。 それじゃあ行っておいで。」 ルーミネイトがピッと目配せをした。 菱形の模様が立体的に形成されていく。 ルーミネイト様の 青い、青い、蒼穹の瞳・・が 僕の方を見ている。 目で呪文を唱えている。 「待ってくださいどうして僕・・・!」 最期に見えた、にっこりと微笑む ルーミネイト様の穏やかな顔。 そう、なにもかも、僕にはわからないままだった・・・・・・。 ただ同時に、始まりの予感が、僕の奥で音を立てていた。 《to be continued...》 |
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