title:『

2つが1つにもどる時


文字数:42691文字(42648)
行数:4064行・段落:1322
原稿用紙:107枚分(400文字詰)
1章:VV   ★2章:帆翔   ★3章:産声   ★4章:迫間   ★5章:緩歩   ★6章:墜地   ★7章:うばう   ★8章:狂想   ★9章:二つは一つ   ☆→writing

2つが1つにもどる時:第九部

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2つが1つにもどる時 《もくじ》
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最初会ったときは、砂塵の一粒にすぎない、
取るに足らない存在だと思った。


何をしても愚図で、何も出来ない。

誰よりも弱くて、誰よりも目立たない。

誰もアイツのことを記憶の片隅にすら留めていなかった。


アイツはすぐイジケて、すぐに諦めた。
ほんとうにくだらなくて、世界は何故、こんなやつを生んだのか、と思ったくらいだ。

何をやらせても凡人より劣っていた。

それを誰よりもわかっている本人の性格も
それ相応にくだらなかった。

うじうじして、他人の足を引っ張る存在。

すぐに愚痴を言って、誰からも煙たがられる存在。

誰もアイツの友達になろうなんて奴はいなかった。



ーーあるときだった。
天界で大きな事件が起こった。

誰も知らない間にとある天界のゲートが魔界とつながって
悪魔たちが進入し、奴らの小細工のせいで
天界が大波乱に見舞われた。


悪魔たちは巧妙に計画を練っていたらしく、
奴らの策略に嵌まり、
天使たちは見事に疑心暗鬼に陥った。


だがどうして、悪魔たちが天界に入って来られたのか?


・・・・その時初めて、アイツの名が出た。

誰もアイツのことなど知らなかった。

だが目撃者がいた。

アイツの名は、ヴァイオレットと言った。


ーーー半天使、だった。


誰からも意識にすら上らない、取るに足らない存在だった半天使ヴァイオレットという存在は、
あの事件から一気に、一躍有名になった。




目撃者は1人の天使だった、皆が、天使である目撃者の言うことを、何の疑いもなく信じた。

半天使がこの天界にいたからこうなった。


ー天使たちの半天使排斥運動が一気に勃発した。



天界にいたほかの半天使はこの状況に耐え切れず天界と魔界の狭間にある冥界へ逃げていった。


半天使ヴァイオレットは殺されるかもしれなかった。


というより、半天使の処刑計画は順調に進められた。


だが、たった1人の天使がそれに反対した。



半天使の弟であるダンテ?・・・いいや、


半天使とは何の縁もゆかりもなかった、

ルーミネイトという天使だ。




ルーミネイトは人間界を守護するイダーラ(部門)のローザに目を付け、
彼女に半天使の保護を命じた。


彼女は命令通り、半天使に近づき、彼の様子を密かにルーミネイトに逐一報告した。



紆余曲折の末、何とか半天使の処刑計画は中止された。


だがそれははじまりだった。


この事件をきっかけに、半天使ヴァイオレットの存在は天使たちの記憶に深く刻まれることとなり、

彼は表へ出られなくなった。


彼は軟禁状態で長い長い時を過ごすこととなった。

熱りが冷めた頃、ルーミネイトが彼の様子を窺うと、彼の顔は猜疑心と、恐怖心で満ちていた。

半天使を外へ出す名目として、ルーミネイトは半天使らしい役目を命じた。
それが、魔界と天界を行き来する任務だった。


そして天使たちの不信感を拭うため、
ローザは半天使の監視役として、ヴァイオレットの近くにいることとなった。



何も知らない半天使は、穏やかで太陽のようなローザの存在に、さぞかし心を奪われたことだろう。



これまで自分を、ひとつの存在として見てくれる天使なんていなかったから。


ふつうの天使として、いや半天使として、ふつうに接してくれる天使なんていなかったから。


半天使の心に一筋の光が射した。

半天使に、決意が生まれた。


半天使は、この天界で生きようと、そう決めた。


そして半天使は天界に利用されていった。


危険な任務は全部半天使に投げつけられた。

天界で起こった問題の原因も全部半天使のせいにされた。

それでも半天使は笑って耐えた。


アイツは、耐える、そのことだけはすごかった。

耐えて、耐えて、どんなことをされても、笑って耐えていた。


でもそれは、ローザという光があったからこそだった。


浄化に伴う激痛。死の危険が伴う任務の数々。
半ば使い捨てのように扱われる日々。
無実の罪をかけられる日々。


でもいつもそこには、ローザがいた。





・・・・・あるとき、


アイツは知ってしまったんだ。


ローザが、ルーミネイトに命じられて、ヴァイオレットに近づいたことを。


その瞬間、アイツの中にあった、心の糸が、プツンと、引き千切られた。


そうして、アイツは姿を消した。



次に見たとき、アイツは半天使では無くなっていた。

猛獣のように悪魔化した奴は、そこら中の天使を喰いちぎって、引き裂いた。
どんな言葉を持ってしても形状しがたい、あまりに惨すぎる光景だった。


そして奴は、・・我に返った。

自分のしでかしたことを思い知った、
その罪を、その両目で、目の当たりにした。


その瞬間、奴は嘆き悲しみ、苦しみ、深い深い闇へと堕ちていった。


一旦は人間として人間界に追放し、記憶も封じ、力も封じた、そのつもりだった。

だがあの時の深い苦しみと絶望と罪の意識は、奴を魔王へと覚醒させた。


奴は誰よりも苦しんでいた。

自分の過去、ローザの裏切り、そして自分のしでかした罪の重さに。



―――奴は魔王となって、また罪を増やした。
だがもう奴に正気など残っていなかった。



新たな魔界が生まれる、誰もがそう思った。

・・・・なのに、









原初の魔王が昇天した。


あの魔王が・・・・・。



あの、あまりに膨大な光のエネルギーが魔界全土を取り囲み、悪魔をたくさん掻っ攫って昇天させた。

あの時と逆の現象だ。

ヴァイオレットは助かった。


彼は原初の魔王の光を元に、闇を自力で自分の中に収め込んだ。

常人に出来るようなことではない。

そんなことをするには、強い、強い意志が必要だ。





―――――その時、神界はお祝いムードでした。

世界は光に包まれていました。

でも、未だ地球は、深い闇にはまり込んだままでした。

闇が最後の抵抗を始めたのです。


そこからは一進一退を繰り返しました。


そろそろ思い出さねばなりません。


あなたが、”なぜ ”うまれてきたのかを・・。








・・・・・ここは、・・・どこだろう?
くらい、くらい、くるしい。

い、いやだァァァアアアアアアアアア!!!!!!!!!!
殺される、殺される、殺される、殺してやる殺してやる殺してやるコロシテヤルゥゥゥゥッゥウウウウウウ!!!!!!!!!!


こ・・・殺される・・・こわいよ・・・殺されちゃう。
もうぼくをいじめないで・・・殺さないで。

痛いんだ、・・・どうしようもないくらい、心が、体が、すべてが痛いんだ!!!!!!!!!



瞼を開けると、
暗がりの中、木目がこっちを向いてあざ笑っていた。

ぼくはまた、全身を掻き毟って暴れていたのか・・・。


もうこんなこと、終わりにしたいのに・・・。

どうして、どうして、
振り解いても振り解いても、

闇がぼくを執拗に狙ってくる。

どこまでもどこまでもどこまでも、追いかけてくる。


過去を、きおくを、ぼくがぼくであることを!!
ぜんぶ消してしまいたい!!!!!!!!

すべて忘れて、まっさらな自分になりたい!!!!!


自分のしてきた罪を消したい。
自分がされてきた血のこびり付くような暴力と裏切りの数々を消してしまいたい!!!!!

自分を、・・この世から消滅させてやりたい!!!!!




苦しみが収まるまで、今日もヴァイオレットは、殴り続けた、傷つけつづけた。
痛みが、彼の心の叫びを、阻害してくれる。

体を切り刻んでいる限り、心の痛みを、感じなくてすむんだ。

そこら中を殴り続けている限り、ぼくは過去と向き合わなくてすむんだ・・!!!!



だから、正気にもどったとき、どんなに体全身が痛みを訴えようとも、どうしてもやってしまう。

殴って殴って、殴って、殺して殺して殺して・・・。


なんで、ぼく、まだいきてるのかな・・・。




そこに光なんてなかったんだ。

誰も助けてはくれなかった。


味方だと思っていたヒトは本当は味方じゃなくて、
ただの裏切り者だった。

ほんとはきっと、みんなそうだったんだ。

なにか、魂胆があってぼくに近づいた。

そうだよ、だって、そうじゃなきゃ、今までだれも相手になんてしてくれなかったじゃないか。


利用価値が、あった、・・・だから、クズにでも声を掛けたんだ。



・・・ローザ先輩に・・・会いたいな・・・。



記憶が混乱していたヴァイオレットに、少しずつ、
残酷な記憶が蘇ってきていた。



なのに、重要な事実だけが、抜け落ちていた。
ローザが上からの命令によってヴァイオレットに近づいた事実を、
彼は頑なに否定し続けていた。

みんな、裏切り者だ。でも、ローザ先輩だけは、ちがう。

彼の必死の抵抗で、彼の中の事実は捻じ曲げられた。


彼が本気でそう思っていたのか、
或いは、そう思い込むことでもしないと、また魔王になるのではないかと怯えているのか、誰にもわからない。




ヴァイオレットは小屋の中で、来る日も来る日も過去と対峙していた。
狂気と、混乱と、苦しみと、・・・・。
体はいつも悲鳴を上げていた。
生きているのが不思議なくらいだった。
毎日毎日藻掻き続け、そこら中のものを、自分の体を、心を、毎秒毎秒八つ裂きにしていた。
そんなある日、あることが起こった。


ーーーーぼくは、気づくと黒い門の前にいた。
奥にはぼんやりと2つの漆黒の塔が見える。

自分の姿が見えない。
蜷局を巻いてムンクの叫びのような渦たちが黒い門の中を縦横無尽に行き来している。

笑い声のような、でもただの風の音のような、低いそれは、ぼくの耳を惑わした。

笑っているような、泣いているような、喜んでいるような、囁いているような、そのどれにも聞こえる音の数々。


すべての喜怒哀楽が、そこには詰まっていて、
すべての過去が、そこに凝縮されていて、

ぼくはその扉の前に、立っている。


事実は、ほんとうに、事実だったのか。

ぼくが感じたことは、本当に、正しいことだったのか。


変なものがぼくを取り囲んだかと思うと門が開いていて、
ぼくは塔の中に誘われた。



ふるいふるい、それは古い、記憶の数々だった。

もう昔すぎて、とっくに忘れ去られた、その記憶たち。

ぼくはたくさん、傷ついていた。

誰かに否定された。拒絶された。

ちいさな、傷、でも、大きな、原始の記憶。


「お前なんかが、生まれてきたせいで俺は・・・!」







古い映像がそこに映し出される。

でもあの時とはちがう。
ぼくは第三者の視点でそれを見せられていた。


ぼくは案外かわいそうで、でも案外、そんなにかわいそうでもなかった。

あの時ダンテはとても傷ついていたし、
でもダンテのことが許せなかった。


でも今こうしてみると、みんな一生懸命、その瞬間を生きてる。

ぼくはたくさん傷ついたけど、誰がわるいとか、そういうことじゃなかった。




ぼくは、この記憶の中にある、ダンテをゆるそう。


・・・そう思った。


視界がぼやけて、気づくとまた、あの天井の木目がぼくをあざ笑っていた。


「やあこんにちは。」


この日のぼくは、どこか余裕があった。
ぼくは数週間ぶりに、狂乱状態から解放されていた。
そして少しだけ、薄暮の外の光を浴びることが出来た。



・・・しかしそれも束の間、次の日からは苦しみと暗黒の日々が戻っていた。
前の不思議な体験は何だったのだろうと、いやその出来事すら思い出せなくなっていた。
―そんな、時だった。


またあの塔の中に誘われた。
仲間外れにされた時の記憶だ。
みんなは楽しそうにしているのに、いつもいつも
ぼくだけはくるなと言われた。

1度や2度じゃない、何百、何千、何億。

いや、むしろ、生まれてきてから今までのずっとといっても過言じゃない。

なにが気に入らなかったんだろう。

なんで彼らはそんなことをいうんだろう。


でも、今のぼくに、こんな古い記憶は必要なのかな?


来るな!!!!!


すごく感情の奥を抉られるその言葉が、だんだん小さくなって、消えていく・・・。



・・・・くるな・・・。



お前は必要ない、くるな・・・・・。


くるな・・・・・・・。


くるな・・・・・・・・・・・。



お前のいるべき場所は、ここではない・・・・・。


くるな・・・・・・・・・・・。



く・・・・・る・・・・な・・・・・・









・・・・いるべき、場所?

ぼくの、居場所?

ぼくの、在るべき、姿?




あそこは、ぼくの、いるべき場所だったのかな?




ぼくの、いるべき場所は、どこなのかな?



ぼくは、なんのために、うまれてきたのかな・・?




”たすけて・・!”



そのとき、べつの空間から誰かの声がした。



・・・右半分は天使の羽、でも・・・・。

その女の子は半天使だった。


彼女の綺麗な薄桃の衣服には沢山の足形が入っていた。
沢山蹴られたんだ。

ぼくはそっと、彼女に近づいた。


「ぼくと生き直そう、半天使がいじめられない世界がどこかにあるよ。」

ぼくは咄嗟にそう言って、彼女を見つめていた。

「そんなものどこにあるっていうの!!!!」

彼女は顔を豹変させて、鬼のように叫んだ。

あまりの気迫に、ぼくは後ずさりしてしまった、けど・・。

「あるよ、どこかに、なかったら、ぼくたちで作ればいいんだよ。」

彼女は俯いたままぼくの方を一切見なかった。
きゅっと膝を抱えたその両手には、沢山の傷跡が生々しく残っていた。





ぼくと同じように。




・・・・ぼくと、同じ・・。
・・・ぼくの、役割?


半天使としての、ぼくの・・・・・。


使命?




気づくと視界が歪んでまたあの木目と対面していた。

でも今日はそれで終わりではなかった。

意識が虚ろだったぼくの目の前には、見たこともない少女がいたのだ。



ガラスのようなライトブルーの瞳、向日葵色に輝く繊細な金の髪。

無垢な眼差し、木造の小屋の中で、そこだけ違う、異質なにおい。



少女はうっすら微笑んだかと思うとこう呟いた。
「おめでとうございます。天界に戻れますね。」


ぼくはきょとん、とした。

なにを言ってるのか皆目検討もつかない。


ぼくが天界に戻るだなんて、ぼくは魔王になりかけて大勢の天使を・・・・・。


そう言おうと視線を再び上げた時、少女の姿は霧のように消えていた。




それはぼくの願望が見せたただの幻想だったのかもしれない。

なのに、その時からだ。




ぼくは一層、外の様子が気になって仕方がなくなっていった。


見つかれば、殺される。

なのに・・・、あの言葉が、頭から離れない。

ぼくは慎重に、だが頻繁に、外の様子を伺うようになった。

以前覗いた時は目の前に天使がいたが、今はもういない。

今日も・・・・、誰もいない。・・・・いない。



今日も・・・やはり、なにもない。


小屋から外の世界に出ようとは思えなかったが、

ここまで外の様子を伺っても誰もいないことに、
ぼくはかえって不信感を抱き始めた。

だがぼくにはどうすることも出来ない、
この小屋から出てしまえば、ぼくは生きることを完全に放棄したのと同じ・・・



だからせめて、覗くことしか出来ない。


なるべく誰にも見つからないように、ゆっくり、そっと。


「天界が襲撃されたーーーーーー!!!!」

顔を道に出した瞬間だった。

鬼気迫る声が、ぼくの耳を劈く(つんざく)。

とっさに顔を引っ込めたぼくは、あることに気づく。



顔を引っ込めた瞬間、その声は全く聞こえなくなったのだ。
もう一度、ゆっくりと、顔を外へ………、

「どこだ!?誰の仕業だ!?」

・・・やはり、なぜかはわからないが、
この小屋の入り口の生け垣を越えた瞬間、あの声が聞こえる。



声の主を辿っていくと、遠くの空に天使2人の姿が見えた。

2人とも動転していて、こちらに気づく気配はない。

ぼくは少しだけ、2人の会話を盗み聞きしてみることにした。



「永凍宮の深部がやられた!」
「えっ・・!?それって・・・」

永凍宮とは様々なものを封じる場所。

そしてその深部がやられたということは・・・、


”・・・・ローザ先輩が危ない!!”


ぼくは咄嗟にそう思ってしまった、
その瞬間、思わず身を乗り出して・・・・
そのまま前へ転倒した。


「誰だっっ!!?」
小屋の外へ完全に身を乗り出してしまったぼくは、
その場にいた天使に存在を気づかれてしまった。


「あっ・・・・・・」


声にならないくらい小さな声と大きな後悔がぼくの全身に過ったが、時はすでに遅かった。


「この気配!!とうとう見つけた!!あの大悪魔ヴァイオレットだ!!捕まえて天界へ引きずり出せ。」

そのときたった2人だと思っていた天使は、あれよあれよという間に、何人にも増えていた。

近くをパトロールしていた天使、緊急信号で駆けつけた天使。

ぼくは足がガクついて、どこかへ逃げることもままならなかった。

とんでもないことをしてしまったことは、自分でもわかっていた。
ぼくのちょっとした好奇心がとんでもないことを引き起こしてしまったことも・・。



全身が緊張と恐怖でこわばって、頭は真っ白だった。

ぼくが処刑されるかもしれないことに気づいたのは、
自分の身柄が特殊で強力な封印によって拘束されただいぶ後だった。


ぼくは、大勢の天使に囲まれ、天界へ向かっていた。


ふつうの人間ならば昇天し楽園へむかうはずの経路なのに、
ぼくは、いまから、死を、受け入れなくてはならなかった。



ーーーーさようなら、ぼく、ぼく・・・・ぼく・・・。



ぼくに施された封印は大天使製の特殊で強力なもので、
いまのぼくでは、到底、外せる見込みはなかった。
ぼくはその執拗なまでの警戒態勢と目の前にある強固な拘束具によって
自分の"強制的な死"がそこまで迫ってきていることを自覚し始める。


なんで・・・・なんでだろう。


なんで・・・・・。


いつ死んでもいいと思っていたし、


いやむしろ、


”毎日”、死にたいと思っていたはずなのに


”毎日”だれかぼくを殺して楽にしてくれないかと願っていたはずなのに・・・・



いざ殺されるとなると、


なんでこう・・・・・


どうして涙が出てくるんだろう・・・・。


どうしてこんなにくやしくてやりきれないんだろう。




身動きが一切取れない状態で、ヴァイオレットは牢獄へと投獄された。


天界は肉体の身であるヴァイオレットが直接入ることは出来ず、いくつかの手続きを経て冥界に留まった後、
最終的に天界で処罰を待つことになる。



ヴァイオレットはただただ無言で、自分の残りの命の灯火を見つめていた。

抵抗する気力も今の彼にはないらしく、ただ彼に押し寄せる無念と後悔の感情は止むことがなかった。



天界で、見せしめの、恥さらしにされて、みんなの前で、処刑される。



昔モカが無実の罪をふっかけられて、処刑されそうになったとき、モカの親がこう言ってきた。


「モカは無実なんです、いっそあなたが代わりに・・・」




そこまで言いかけて、モカの親は口を噤んだ。

でも、あれではっきりとわかった。

ぼくの命の重さは、モカに比べると、ずっと軽いんだってこと。


モカの親だからじゃない。天界にいる天使すべてがそう思っていることを、ぼくは確信してしまった。




―――――ぼくって、そういう、存在なんだ。

――――ほかのすべての天使にとって。



だから今、ここで恥をさらしながら処刑されようと、
そんなのどうだっていいことのはず。


ぼくはもともとそういう扱いで、そういう存在。



たとえ・・・・、たとえローザが目の前にいたとしてもぼくは・・・・。



・・・・ぼくは・・・・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。










なんでこんなにくやしいのかな・・・!!!!



なんでこんなに惨めなんだろう!!!!


やるせない、やるせないよ!


ぼくはこんなところで死にたくはなかった!!!

ぼくだってやりたいことがあったんだ!

ふつうの天使として扱ってほしかった!

ぼくにはぼくの命の尊厳があって、それを尊んでほしかった!

ぼくだっていろいろやりたいことがあったんだ!

笑ってみたかった!恋してみたかった!愛してみたかった!

誰かに必要だって、言ってほしかった!!!!!

どこかに居場所がほしかった。


どうしてぼくは、こんな人生なんだ!


ぼくだって、ぼくにだって、半天使としての、尊厳があるんだ。

生きる権利があるんだ。


ぼくは自由にぼくのことを愛して、しゃべって、行動していいはずなんだ!



ぼくはぼくのことを尊重していいはずなんだ!!


たとえ、全てがぼくのことを蔑ろにしたとしても。


ぼくはぼくであり続けたいんだ!


ぼくはぼくで、これからもぼくとして生きるんだ・・!!!




・・・・・生きたかった。












ーーーー言葉にならない心の叫びは、静かに彼の中でこだまする。




しかしその叫びが誰かに聞き入れられることはなかった。


「ヴァイオレットを連れ出しなさい。」


突然、冷たい衛兵の声がした。



複数の天使がぼくを取り囲み、ぼくの四肢を強引に鷲掴みにした。



とっさにぼくは睨んだけど、何の意味もない。


ぼくは天使の墓場の横にある処刑場へと連れていかれた。

天界には似つかわしくない物々しい灰色の建造物。
厳重な封印と魔法が施され、中央のサークルに入ると力が完全に奪われる。



天使の墓場はかつて天使と悪魔が戦って、天使が大量に死んだ場所。
天界ではもっとも縁起の悪い場所だ。

今でも沢山の羽が堆く積もっている。



天使はその力で悪魔を滅することは出来ても、
天使を滅することは出来ないので、こういう時にだけ都合よく、悪魔の力を借りるのだ。


そう、ぼくと同じ、半天使の存在を。


半天使はこういう時にだけ、都合よく利用される存在。



誰もやりたがらない仕事、目を背けたくなるような任務。

それらは全部、半天使に押しつけられる。




どこから連れてきたとも知れぬ半天使たちに囲まれて、

同じく半天使のぼくは、今まさに殺されようとしている。


物理的に殺すわけじゃない。
ぼくたちみたいに元々肉体を持たない存在は、精神エネルギーみたいなものを限りなくゼロにさせて、自己消滅を狙うんだ。


そしてそれをするためには、光ならば闇、闇ならば光と、
相反するエネルギーで相手のエネルギーを消滅させるのが手っとり早い。


天使にはぼくの半分しか殺れない。

でも半天使ならば・・・・。



慈悲の欠片も感じられない冷徹で強引な誘導によって、
ぼくは無理矢理中央サークルに押し出された。




半天使たちがぼくにトドメを刺すために、ぼくの周りを取り囲んだ。

そして、ぼくに向かって・・・。








・・・・・・・さようなら。ぼく。



・・・・・・さようなら、かわいそうな、ぼく。




これで、やっと、救われる。








ーーーーそう、救われるんだ。







さようなら。












































その音は全てを現実へと引き戻した。


暗いくらい現実が、ぼくの目の前に、








・・・まだ広がっている。


なにが起こったのだろう?
ぼくは今度こそどの世界からも消えられたんじゃないの?




顔を上げると周りの半天使がぼくの後ろを見ている。
その視線に誘われて振り返ると。



・・・・・・。



見覚えのある姿だった。


「もう止めにしよう。」


聞き覚えのある声だった。


それは目の前に立っていた。



「ルーミネイト様!!!!」


皆が口々に驚愕の声を漏らす。


「オブリビオンは解かれた。もはや彼を処刑することは出来ない。」



ーーーーオブリ・・・・ビオン・・・?



半天使たちも衛兵たちも困惑している。

ぼくもただ呆然とするしかなかった。。


「ヴァイオレット、少し、いいかな?」


ルーミネイトが手を翳すと、
ぼくの周りにあたたかな光が集まってきて、
ぼくの拘束具がゆっくりと解かれていく。


「なにをなさっているのです!!ルーミネイト様!!
こやつは大勢の天使を殺し魔王にまでなりかけた大罪人ですぞ!!?」


一人の衛兵が声を荒げたが、ルーミネイトは表情ひとつ変えず、ヴァイオレットの封印を解こうとしている。



速度の違う幾重にも織りなす八方形の図形がぼくの周りを取り囲む。
久々に感じる暖かい受容の光に包まれて、拘束具は消滅した。

ぼくの封印は解除されたのだ。


「さあ、行こう。」


衛兵が止めるのも聞かず、
ぼくはルーミネイト様に連れられて、ゴハの迷路を抜けた先にある、見たこともない領域までたどり着いた。


そこには黄金を含んだ急峻な崖みたいなのが連なっていて、
所々、神界からのエネルギーが吹き出ていた。


「・・・ルーミネイト様、いったい・・・」


ヴァイオレットが不安に耐えきれず、言葉を漏らしたその時。


今まで感じたことのないものだった。

それは、あたたかかった。

懐かしいような、涙がこぼれてくるような、そのやさしい赤い光。


それでいてなにか強大なものを感じて、ぼくは思わず肩を竦めた。

ぼくは自分の足下をずっと見ていた。

今までの癖なんだ。何かが、誰かが近づいて来たら、
相手の拒絶の目を見ないために、とっさに下を向いてしまう。
今回もぼくはそうしていた。

いつも通り。



・・・なのに。



「ヴァイオレット。」



名前を呼ばれて、思わず見上げてしまったんだ。

その姿を。

・・・・そしたら・・。




「・・・・・・え・・?」


そこにいたのは見たこともない天使だった。

赤い光。紫のウェーブした髪。
光が溢れ出しそうな太陽に似た優しい瞳。

「あなたは・・・?」



そうぼくが言うと、その天使は少し悲しい目をした。


「・・・無理もないですね。私はずっと、永凍宮の中にいましたから。」

「いずれオブリビオンが完全に解放されたら思い出すよ。」

横でルーミネイトがオブリビオンの名を口にした。




状況を全く飲み込めていないぼくに、目の前の赤い天使が言葉を続けた。


「わたくしはアスタナと申します。わたくしのために、貴方を巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。」

ヴァイオレットは、困惑しながら彼女の言葉を聞いた。

「わたくしたちを助けていただけませんか?」


ーーーーぼくが?たすける?誰かを?



「わたくしは先ほどまで封じられていた身、力が戻るのに時間がかかります、そして・・・・」

アスタナと名乗った女性はルーミネイトの方を見る。

「私もここに来るまでに大層力を使ってしまってね。もうあまり力が残っていないんだ。」

ルーミネイトが静かにそう告げる。


「ヴァイオレット、あなたは・・・。」

アスタナと名乗った女性が何か言いかけて、すぐに押し黙ってしまう。


ぼくは戸惑いながらアスタナを見上げた。


ぼくの視線に促されて、アスタナは重い口を開く。


「あなたはいずれ、自分のことを思い出すでしょう。
オブリビオン解放の影響が天界全体に及んだとき、あなたは・・・。」





アスタナはそこまで言って、再び口を噤んだ。

ぼくがいくら見ても、それ以上は答えてはくれなかった。




ーーーーーぼくのこと。ぼくが生まれてきたことの、意味。






幾重にも折り重なる黄金の波紋が時折粒子となり空を舞う。
静謐さが漂う神秘的なその場所で、2人の天使に見守られながら、
ヴァイオレットは静かに自らの存在に思いを馳せた。




・・・・・一方、ヴァイオレットが存在するより遙か地下深く、
闇の底の底、そのまた底の地獄という場所で、

それは起こっていた。





「俺が?・・・おれが、何だって・・・・???」



湿気を含み澱んだ部屋。枯茶色の空間にラッパに似た奇妙な柱がいくつも壁に埋まっている。
その部屋の中央で、金髪の青い瞳を有した天使が頭を抱えて錯乱していた。
辺りには、まき散らされ、壊された装飾品の数々・・・。


そして狼狽する天使の横で、冷たく悪魔が立っていた。
紺桔梗のネグリジェらしきものを纏った悪魔ネボラが、ダンテを誘拐しここまで連れてきたのだ。


「もう思い出しても良い頃よ。せっかくルーミネイトのことを聞き出すために連れてきたんだから、役に立ちなさい。」

ネボラが声をかけるが、ダンテの耳には入っていないらしい。
ダンテは相変わらず頭を掻き毟って図体を小刻みに上下に動かしていた。


「・・・哀れだこと。自分のしでかしたことでしょ?
天使って脆い生き物なのね。クスクス。」


横で悪魔が冷たく笑う。


ダンテは一通り暴れた後、疲れ果てて動かなくなった。
徐々に意識が遠のいていく・・・。



ーーーーーーーだ・・・ん・・て・・・・。


ーーーーーーーーーだん・・・て。


・・・・・・・・・ダンテ。



声の主を見ると、金色の髪の少年が、満面の笑みでこちらを見ていた。


いつも通りの光景。いつも通り、やさしい・・兄。


「ほら、ダンテのために、たくさんの霊結晶を集めてきたよ。半日もかかっちゃったけど、ダンテが気に入ればいいなと思って。」

目の前の「兄」は照れくさそうだった。

俺は・・・・黙ってそれを受け取った。


「ふふ、ダンテ、明日もキミが欲しいもの、言ってごらん。ぼくはなんだって見つけて来てあげるから!」

とてもうれしそうに、そして照れくさそうに、一点の曇りもない笑顔で、兄は今日も笑っていた。

背中には見たこともないほどの、美しい羽。

どんな鳥でさえ叶わぬほどの、澄んだ声。

慈愛に満ちた瞳。そして、黄金色の・・・、髪の毛。



なにもかも、俺はこの兄に、劣っていた。


俺は兄の陰で生きてきた。


たった一つで良い、俺が誇れるものを、兄が持っていない何かを、俺は手に入れたかった。



俺がどんな無理難題を言おうとも、兄は喜んで、それに従ってくれた。

兄はそれが愛なのだと、信じて疑わなかった。

一点の曇りもない兄には、俺の心に巣くう闇など、わかりはしないのだろう。


どんな言葉をかけても、光に満ちたプラスの言葉で返される。
どんなに俺の闇を見せても、彼は暖かい言葉をかけ続けた。


それが俺にとってどれだけ痛々しいことだったか・・・、

おまえにはわからないだろ?


俺は知って欲しかった。理解して欲しかった。

だが、おまえは・・・・。

ただの光しか知らないおまえは、

俺の影など、理解出来るはずもなかった。

兄よりも見劣りする見窄らしい小さな羽、くすんだ瞳。

そしてなによりこの・・・・兄を恨めしく思う、この不完全で、不安定な、心。


俺は自分自身が醜いことが後ろめたかった。
隠したかった。どこかに埋めてしまいたかった。
兄の隣で存在していることが恥ずかしかった。

完全なる光の兄には、理解出来まい。

おまえは最初から完全で、完璧なのだから。




ーーーーーー俺はずっとそう信じていた。




だがある時、知ってしまったんだ。

俺は大天使に呼び出された。





「なあ、ダンテよ、アレをどう思う?」
その大天使は冷たい視線を遠くで微笑んでいる兄にやった。

「え・・・どうって・・・その。」

「何かがおかしい。まるで悪魔が化けて、
わざと天使の皮でも被っているようじゃないか?」



ははは・・! そんなバカな。
兄はいつでも完璧で、兄から発せられる光は見紛うことなき・・・・。


見まごうことなき・・・・・。


・・・・もし、


・・・・・万一、


兄に欠点があるとすれば・・・・・??



兄に何か弱みがあるとすれば・・・・・・?




・・・・それは・・・・・。


それを知れば俺も・・・・・・。



「なあ、ダンテよ、ひとつ、頼みがあるんだが・・・。」
















ーーーーー俺はその、囁きに手を貸した。


兄を、兄を・・・・・。





突き落としたんだ。





奈落の底へ。







・・・・・・。そう、俺が、殺ったんだ。





「ダンテ・・・ダンテのためなら・・・」

「ダンテ、君の笑顔が大好きだよ。」

「ダンテ・・・・」







・・そうだったんだ、


・・・・・思い出した。



うまれつき大天使だった兄を、

ああしたのは、


「俺」だった・・・!!!!!






それを思い出した瞬間、
あまりにも強烈な自己嫌悪がダンテの全身を駆け巡る。
そのあまりの嫌悪で己を殺さんばかりだ。


俺は美しい羽を持ち、澄んだ瞳で、光の天使としてふさわしい・・・・


ふさわしい・・・・・



存在ではなかったのか!!!!!!



なぜなんだ。なぜ俺は・・・!!!あんなことを!!!!!



悪魔は、半天使なのは、クズなのは、


この世に必要なかったのは、本当は、



「俺」だったのか・・・・・!!!!!!!



何をしても劣っていた鼻つまみもののグズ半天使とは、

俺、俺のことなのか・・・・・!?




ダンテは両拳を強く握りしめ、腕がヘし曲がりそうなほど激烈に地面を何度も何度も叩く。


拳からは天使の銀の血が滴り落ちる。


「ダハーカ!あの天使、程度が低すぎて楽しくないわ。」

横でトドメを刺すような言葉をつぶやく悪魔ネボラ。

しかしダハーカは黙ってそれを見ていた。


「ダハーカ様、こちらの軍勢が、圧されています。もうあまり持ちません・・!!」

急に駆けつけた悪魔の一人がそう叫んだ。

緊迫するその悪魔とは裏腹に、ダハーカは黙って目を閉じたままだ。


「このまま敵の猛攻が続けば、我々は・・・。」

悪魔がそう言いかけて、ネボラが顔をけ飛ばす。

「気の抜けたこと言わないでくれる?殺すわよ。」


ダハーカは誰かと戦っているらしい、そして、戦況はとても劣勢。

そしてそこに、ダンテが捕らわれているようだった。

ダンテは錯乱し、皮肉にもヴァイオレットと同じように、たくさん自分を傷つけ、暴れまわっていた。







「魔界へ行ってきてはくれないか?」

半天使ヴァイオレットはふいにルーミネイトにそう言われた。

困惑するヴァイオレット。

アスタナもルーミネイトと同じような目つきでヴァイオレットを見つめた。

「な・・・なんで・・・ぼくが・・・。」


正直イヤだ。どうしてぼくだけが、毎回辛い目に。

また騙されるんだ。騙されて、利用されて、そして。


利用価値がなくなれば、ボロ雑巾のように捨てられる・・・。


ルーミネイトだってぼくを利用した。

ローザを近づけて、ぼくを監視した。

そしてぼくに、魔界への過酷な任務をたくさん言いつけた。

それはきっと、厄介者のぼくに死んで欲しいってことだったんだ。


命辛々生き残って天界に戻ってきたぼくを、心底残念に思っただろう。


ぼくにまた、ああいうことをやらせる気なんだ。


ヴァイオレットのこわばった顔と猜疑心に満ちた表情から来る、
強い不信感と恐怖はアスタナにもルーミネイトにもすぐに伝わった。

そして突然、アスタナは跪いた。



背の高いアスアナの視線が、一気にヴァイオレットより低くなる。


ヴァイオレットは驚きのあまり、後ずさる。



「あなたに過酷な運命を強いてきたこと、
そしてこれからも、それをお願いしなければならぬこと、
ほんとうにすみません。」


アスタナは頭を下げた。

「私が精一杯貴方を守ります。だからどうか、お願いできませんか・・?」


なんか・・・こういう丁寧な感じ、ちょっと、ごんべえを思い出すなぁ・・・。


ぼくなんかに頭を下げる人なんて、ごんべえと、このヒトくらいしかぼくは知らない。


ごんべえ・・・。ごんべえに、会いたい・・・・。


「・・・良いですよ。」


それは無意識だった。ヴァイオレットはいつの間にか、その言葉を発していた。

ごんべえを思い出した瞬間、頑なな何かが溶けて、何もかもを許してしまったんだ。


それでまた、ひどい苦痛と、裏切りに遭うかもしれない。
また繰り返すかもしれないにも関わらず・・。



ぼくはまた、あの魔界へ向かうことになった。
半天使として。


天界が騒がしい中ぼくは今の天界の状況を把握する間もなく、魔界へと飛ばされた。

何が何やらぼくにはもうわからない。

なぜだか死刑を免れて、なぜだか今、魔界にいるのだから・・。


半天使は魔界を見渡した。
だがいつもと様子が違う。
誰も半天使のことを殺しに来ない、詰りに来ない。

半分天使のヴァイオレットが降り立ったというのに・・。
いや、今の彼は果たして半天使なのだろうか?
罪を犯し、肉体に封じられ、それでも恨みが消えず、
魔王になりかけて、なんとかそれを封じ込めた。
そこから天使に見つかって、天界で処罰される為に肉体を変化させて。

ぼくはもとの半天使のままでいられてるのかな・・・?

ヴァイオレットは・・・・羽を開こうとした。
だがやはり・・・、羽はそこにはなかった。


やっぱりそうなんだ・・・ぼくは・・・。
ぼくは半天使ですら無くなって・・・。


ただ、アスタナとルーミネイトの強い強い加護のお陰で、魔界にいても何ともないし、
2天使の強大な魔法の力によって、今のヴァイオレットでも授けられた天使の力が尽きない範囲では魔法が使えるようだった。


ーーーそれにしてもヘンだな。
ぼく、こんなに何の力もないのに。
なぜアスタナさんとルーミネイト様が直接魔界へ行かないんだろう・・。

やっぱりぼくは利用されて・・・。


――そう思った瞬間だった。


ドォーーーーーン,,,,
遠くで何かを破壊する音が聞こえた。

音の方を見ると、そこだけ空間が歪んで、周囲には多くの破壊された跡と数えきれない残骸が広がっていた。
それは、悪魔たちが大規模な戦争をしている音だった。
ここからそこそこ距離がある場所に、辺り一面悪魔たちの戦場があった。
悪魔同士が殺り合うのは日常茶飯事でも、
これだけの規模で徒党を組むことなんて滅多にない。
上級悪魔たちがわんさかいるうえ、行動や隊列が組織だっていて、背後に大物悪魔の存在がいることが安易に想像できた。



「・・・弱ったな・・。」


アスタナとルーミネイトに頼まれた魔界での仕事というのは以下のようなものだ。

まず手渡されたオルボ石の示す方向へ行き、そこに陣を作る。
そこで魔界のアウスという、人間界で言う新月の日の夜中0時みたいな特別な時間帯に儀式を行う。

それだけ言えば簡単に聞こえるが、
儀式の間、悪魔たちの妨害に遭ってはならないため、
念入りに守護魔法を敷かねばならないし、
大がかりな儀式なので、時間も体力も消耗する。

そのうえ一番厄介なことが、今、判明した。

「儀式を行う場所って・・・あの戦地のど真ん中なんじゃ・・・・。」

ヴァイオレットのイヤな予感は的中した。
オルボ石は間違いなく、戦場の中心地を指していた。



「ど・・・どうすんだよ・・・もう・・・・」


臆病風が突然、ヴァイオレットの背中を襲う。
何もなかったことにして、一旦引き返そうかと考えた。


だが・・・、

「おい・・!キサマ・・・!!」

「ひっっっ!!?」

ヴァイオレットは恐ろしさのあまり、素早く声の主と距離を取る。

「・・・ああ?・・・・羽がない、このニオイ。」

その悪魔はヴァイオレットのニオイを嗅ぎ、何か合点がいったような素振りを見せて、こう言った。

「ついてこい!奴らに見つかるなよ!!」

ヴァイオレットは状況が飲み込めず、戸惑っていると・・
悪魔たちの集団がこちらにやって来るではないか。

そしてその中にいた一匹の悪魔の姿が、ヴァイオレットの視線を捉えて離さなかった。

「・・・ジルメリ・・ア??」


ヴァイオレットは小さな声で、しかし大きな驚愕とともに言葉を発したが、相手はこちらに見向きもしない。

「よし、迎えが来たな。本陣に戻るとするか!」

さっきの悪魔がヴァイオレットについて来いという合図をして、向こうからやってきた悪魔たちの集団となにやら話をしている。
そして、その中にはジルメリアも・・・。


ヴァイオレットは声をかける勇気が出ずに、じっとジルメリアの方を見ているしかなかった。

ーーーーだってパトリはジルメリアが死んだって、・・・悪魔に殺されたって・・・。

やっぱりパトリはぼくを貶めるためにうそを・・・。


「あの・・・!」

焦る想いがヴァイオレットから少し大きめの声を発せさせた。

その必死さで、周りの悪魔が一斉にヴァイオレットの方を見る。

突然視線を一気に浴びたヴァイオレットは緊張のあまり続く言葉が出ない。

ジルメリアと思しき人物も、ヴァイオレットの方を見ている。

なのに何故だろう、この冷たい視線は。

以前のジルメリアもそれほど暖かい視線をくれたわけではなかったが、今のジルメリアの視線に、ヴァイオレットはどこか違和感を覚えた。


「あの・・・ジルメリア・・・」

押し迫る恐怖と違和感に耐えきれず、ヴァイオレットは再び言葉を発した。

悪魔たちは妙な顔をしてから、お互いを見合わせている。

「・・・ジルメリア?そんな奴・・・いたか?」
「・・・だれかと勘違いしてるんでしょ。」

悪魔たちは少しバカにしたように笑ってこちらを見ている。
ぐっと何か、小さな怒りのようなものがヴァイオレットの奥底に生まれて、そしてそれをヴァイオレットはいつものように無視した。

―――しかしどうしたものか。
ジルメリア・・・他人のそら似にしては、あまりに瓜二つだし、
それに、ぼくの目指そうとしている場所は、戦地のど真ん中。

ヴァイオレットは少し悩んでから、とりあえず彼らについていくことにしてみた。
ジルメリアに似た悪魔がいなければ、絶対に今すぐ逃げ出していたことだろう。


悪魔たちの集団は、ゲラゲラと何かを喋りながら戦地へ向かっていた。
時折ヴァイオレットがついてきているか確認をしながら。

始終だらけていて、ヒトを小馬鹿にしている、そんな集団だった。

だが、次の瞬間、

だらけていた悪魔たちが各々に瞬時に散らばった。
それはまるで忍者のような素早さだった。

そして悪魔たちがさっきまでいた場所が破壊された。
誰かが彼らに向かって攻撃を放ったのだ。

なんという危機意識の高さだろう、なんという・・切り替えの早さだろう。
これがないと、きっと魔界では生きていけない。
どんなにだらけた悪魔であっても。
・・・きっとそういうことなのだ。



さっきまでダラダラとしていた悪魔たちはまるで別人のような顔つきと身のこなしで、
次々と襲い来る敵の悪魔たちを倒していく・・。

ヴァイオレットはただ呆然とそれを眺めているしかなかった。


しかし、ビシャッ!っと、背後で怒鳴り声が飛ばされた。

ヴァイオレットが加勢もせずぼーっと突っ立っていたことに、反感の声が飛んだのだ。

むっとしたが、逆らう勇気すら持たないヴァイオレットは、しぶしぶ加勢するふりをした。

・・・なぜこんなことを・・・、ぼくはアイツらの仲間ですらないのに。
それに、ぼくを戦地に連れていってどうするつもりなのかすら聞いてない。


ヴァイオレットの中で、小さな不満が、ちょっとずつだが募っていった。

しかしその小さな軋轢を、ヴァイオレットは解消する勇気を持たない。

ヴァイオレットは集団の最後尾を、とぼとぼとついてくしかなかった。

集団の悪魔たちとの心の距離感がそのまま、実際の距離へと反映される。
悪魔たちがそれに気付き、時折荒っぽくヴァイオレットを蹴り飛ばした。

それが余計に、ヴァイオレットの不信感に繋がると言うことを、悪魔たちは理解してやっているのだろうか。



本陣に到着するまでに、何体もの悪魔と戦ったが、
ヴァイオレットと同行している悪魔たちの集団は敵側の悪魔たちと激戦を繰り広げながらも、それに勝利していった。

そして、その度に、ヴァイオレットの無能さを非難され続けた。

「コイツ、ほんとに俺たちの探してるヤツだろうな?」
「ペッ!マジ使えネェ~~~~!!!!」

ヴァイオレットと同行していた悪魔たちは本人に聞こえるように、ワザと大きな声で嫌みを言った。



ヴァイオレットと悪魔たちの、お互いに対する不信感が募っていく。

ヴァイオレットと同行している悪魔たちの集団は、どうやら精鋭部隊のようで、多勢に無勢な状況下で襲撃を受けても、連勝を重ねていった。

そして、目の前には、戦いの最前線と思しき軍勢が、大乱闘を繰り広げていた。


「ひぇ・・・・。」
ヴァイオレットは思わず小さく声を漏らす。

それもそのはず、ヴァイオレットが儀式を行おうとしている場所は、
ヴァイオレットどころか悪魔が何匹より集まっても到底、儀式など行えそうもない場所だったからだ。


ヴァイオレットはしばらく惚けてその場に突っ立っていたが、
同行していた悪魔の集団が、特殊な任務で前線に向かうというので、思わずジルメリアに瓜二つの彼女の顔を見てしまう。

彼女は怪訝そうな顔をしたので、何か取り繕う言葉を探す。
「あの・・・ええと、・・・・」
「・・・なに?」
冷たく彼女は急かした。

「あ・・・いや・・・その。」
「わたし、行くけど。」
ヴァイオレットのまごついた態度に付き合ってられないといったように、さっと背中を向けた。
彼女の態度に慌てたヴァイオレットは必死で叫んだ。

「ぼくの知ってる悪魔に似てるんです。すごく・・。ジルメリアって悪魔に・・!」
ヴァイオレットの切迫した声を受けて、彼女は少しだけ振り向いた。

「わたしオッジ。あなたの知ってるジルなんとかじゃないわ。」
「でも・・・すごく・・・」
「じゃあね。」
ヴァイオレットが何か言いかけている途中で、オッジと名乗った悪魔はさっさと行ってしまう。
慌てて追いかけようとしたが、彼女の態度に取り付く島はなさそうで、もどかしさを抱えながらも、
去りゆく彼女の背中を見つめることしか出来なかった。

何か腑に落ちないやりきれない感情を噛み締めながら突っ立っていると、
ふと、何か背中に生暖かいものを感じ、そして声がした。

「あの子が気になるのかい」

振り返ると赤い髪をした半獣のような姿の悪魔がいた。

「ジルメリアは"神"によって抹消されたんだい。アタシの目の前でな。」

ジルメリアの名を聞いて、ヴァイオレットは思わず目の色を変えた。

「あの子は"真実"を探すのが大好きな子だった。だから・・・ヤツの目に留まっちまったでな。」

・・・・ヤツ・・・?・・・・神?

ヴァイオレットにはこの悪魔が一体何の事を言っているのか皆目検討もつかなかった。

「アタシも呪いをかけられて、もう長くはない。あの勇猛な悪魔のお蔭で命は助けてもらったがな。」

「ジルメリアは天使によって殺されたんじゃないんですか!?あのオッジとかいう悪魔はジルメリアじゃないんですか!?」

気づけばヴァイオレットは身を乗り出して両手の拳を握りしめながら目の前の悪魔に迫っていた。

「・・・・天使か・・・。まあそれも間違いじゃあないでな。
だけどね、その天使は誰の使いだったかが重要だよ。」

赤い獣の悪魔は目をほっそりさせてそう言った。

「誰の・・・使い・・・か?」

「そう、誰の使いか、・・・・。」

悪魔はそのままヴァイオレットを見つめて黙してしまった。

"神"によって抹消されたって・・・・一体・・・。
天界の上層部のことをまるで知らないヴァイオレットには、
神とか上級天使とか天使の精鋭部隊からは縁遠かった。

天界の秩序、権力、命令指揮系統。その真実が、構造が一体どうなっているかなど、彼には知る由もない。

困惑するヴァイオレットの様子を見かねて、悪魔はこう加えた。

「アレはジルメリアの残り香さ。ジルメリアとは別物だけどね。」
「残り香・・・?」
悪魔は飛び去っていったオッジの方を見てそう言った。

「悪魔も天使も、生死を旅するときに一部が分離してべつのものになることがある。
ジルメリアは消滅の際、ヤツの一部のエネルギーが他の力と融合して、あのオッジという悪魔が生まれた。・・よくあることだいね。」

「・・・じゃあ、あれは・・・・ジルメリアじゃないんですね・・・ほんとに。」

なんとも言えぬほどの悲しそうな目をして、ヴァイオレットはオッジの飛び去った方を見つめていた。

「たとえ消えてもエネルギーはどこかで残る、誰かの命の源となるでな。
ジルメリアとて同じよ、誰かの命となって、ああやって生き続けとるでよ。」

「・・・・・・・・・・・・。」

半獣の悪魔が労いの言葉をかけて去っていった後も、 ヴァイオレットはやりきれない思いで独り虚空を眺め続けているしかなかった。

ジルメリアはヴァイオレットにとって、数少ない自分のことを出せる悪魔だった。
彼女は悪魔特有の冷たさを持ってはいたが、ヴァイオレットに関心を寄せてくれる彼女が、ヴァイオレットにとっては貴重な存在だった。
彼女にたくさんのことを教えてもらった。
彼女のお蔭でたくさんのことに気づけた。
彼女がたくさんの世の中の有り様を見せてくれた。
ときに彼女のその直言居士な言葉に深く傷ついたこともあった。
だけど、間違いなく彼女は、ヴァイオレットにとって心の灯火だったんだ。


「見つけた。・・・探したわよ。」

唐突に、あらぬところから声がしたので、ヴァイオレットは驚きのあまり、一瞬息が止まる。
気づけばさっきとは別の悪魔が妙な緊張感を纏ってぼくの方へやって来ていた。
そこには、魔界の日没を思わせるような青くうねった髪を持つ悪魔ネボラがいた。
少女の姿をした悪魔ネボラはいつものネグリジェのような服を着て立っていた。

「遅かったわ。もう何もかも。」



「・・・何も、かも?」
ネボラの言う不吉なことばに、ヴァイオレットは違和感を覚えた。

「そうよ、ついてきなさい。」

ヴァイオレットは困惑しながらも、ネボラに言われるがまま、彼女についていく。

何匹もの慌ただしく動き回る悪魔を避けながら、左手にある手前から3つ目の、古びた建物に案内された。

魔界自体、ある意味でゴミ捨て場のようなところでもあったが、
案内された建物は、まさにそんな、ゴミ捨て場を象徴するような、汚らしく、淀んだ建物だった。

廃墟のような出で立ち、異臭とともに、妙な煙があちこちから出ている。
まるで腐り果てて原型を留めなくなった果物のようで、腐った果物からは妙な液体が出ている。
まさにそのような雰囲気の建物だった。

居心地の悪い通路を通り過ぎ、案内された先に、信じ難い光景が飛び込んできた。

「な・・・・なにが・・!?」

そこには、撒き散らされた天使の銀の血、原型を留めなくなった部屋、破壊し尽くされたオブジェの破片、掻き毟って抜け落ちた羽だったものの残骸・・・・。

その中央には・・・既に動かなくなった物体が、無惨な形でそこにあった。

そして、それはよく見覚えのある物体だった。

「ダ・・・ンテ??・・・ダンテじゃないの!?」

錯乱を覚えた甲高い悲鳴にも似た声をあげながら、
慌てふためいて、ヴァイオレットはその物体に近づく。
目の前のわけのわからない状態に、意識がついていかなかった。


「なにが・・・どうして!?なんでこんなっっっ!!!!????」

それは悲しみと悲鳴が入り交じった上擦り声だった。

ヴァイオレットはひどく混乱しながら、その物体に触れてみたり、辺りにまき散らされた天使の血を眺めたりしていた。

「しっかり、・・・しっかり!!しっかりしてくださいダンテッッ!!!

ダンテはぼくより強くて、気高くて、いつも、いつもぼくより・・・ぼくより・・・!!!!


なんでこんなことに?なんでっ・・どうして・・・!!」



錯乱しながら動かなくなった物体を揺するヴァイオレット。


思えばダンテからはヒドい扱いを受け続けてきた。
疎まれ続け、いなくなってくれればいいとも言われた。

それなのに何故、なぜ、なぜ・・・?


なぜこんなに気が動転しているんだ。


ぼくはどうしてこんな悲痛さを覚えているんだっ・・・!



そこには両手で力一杯顔を鷲掴みにして苦しみ嘆いているヴァイオレットの姿があった。


「自分の罪に耐えられなかったの。」

横で一部始終を見ていた悪魔ネボラがぼそりと呟いた。


その一言で錯乱気味だったヴァイオレットは少し我に返る。

「もうオブリビオン解放はそこまで来ているのに、なぜあなたは思い出さないの?」

思い・・・・出さない・・・?
ぼくが何かを忘れている・・・・??

その瞬間だった、天から何かが一滴垂れてヴァイオレットに落ちるように、映像がヴァイオレットの中に浮かぶ。



「・・・・これは・・・・・」



それは遠い過去の記憶だった。

ダンテはいつも暗い顔をしていた。
トッヘルは心配そうにぼくたちを見ていた。

ぼくは、ダンテを励ましたくて、勇気づけたくて、ダンテにも光輝いてほしくて、いっぱい、たくさんのことをしてみた。

ダンテが少しでも元気になれればいいと思って。

でも・・・・。

ある時ダンテに頼まれた。

悪魔にダンテの大切なものを、奪われたと。

ホドンローグ、あの結晶は、昔ぼくがダンテにあげたもの。

とっても珍しいものだから、ダンテに見せたらダンテが欲しがって、ぼくは迷い無くダンテにあげたんだ。

でもあれは、とても強い力を秘めているから、
先日天界のゲートが不安定になったとき、あのホドンローグを奪われてしまったという話だった。

悪魔は天界の光に耐えられず、ホドンローグを奪った後すぐに退散したそうだ。

昔の天界ゲートは今と違って色々なところと繋がっていたし、
冥界近くへ行くと、そんなこともあるだろう。

ぼくは躊躇わず答えた、

「心配しないで、ダンテの為だったら、何だってするから!
元気を出して、すぐにでも、ダンテの宝物を見つけてくるから。」


それはぼくのさいごの光だった。
魔界に行って、ぼくの光は消し去られた。
魔界がこんなにも恐ろしいところだとは思ってもみなかった。
幾度と無くなぶり殺しにされる苦痛も耐え難いものだったけど、それ以上に・・・・。

悪魔は言った。

あのとき、天界と魔界の空間が繋がったことは無かった。
天界にわざわざ出向いてホドンローグを盗った悪魔などいない・・・。
お前は天使のくせに、濡れ衣を俺たちに着せて、殺す気なのかと。







ぼくは殺す気なんてなかった。ただ、ダンテのたからものを・・・返してほしかっただけなんだ。
でも・・・。


ぼくは悪魔の策略に嵌ってしまった。


気がつけば、ぼくは悪魔たちと終わりのない泥沼の戦いに身を投じていて、そして・・・。

修羅と成り果てて、殺し合いの挙げ句、

その身を消される、はずだった。



「なにをしているの?」


それは低く平静を保った声だった。
魔界に蔓延る混乱と錯乱が、一気に鎮静化されるような。

ぼくはふと、我に返った。

そこには、落ち着いた目つきの悪魔が立っていた。


「ここに、なにをしにきたの?」


その一言で、魔界の狂気で我を失っていた自分の意識が戻ってきた。

「ナニヲ・・・シニ?アクマヲ・・・殺しに。」


いや・・ちがう。ちがう、もっと大切なことが。


「恨みを・・・晴らしに。」


ちがう、ちがう・・・・。
そんなんじゃ・・・・なかった。


「命を弄んで、消すのって、ほんと、面白い、ですよね?ふふ。」

このときのぼくの精一杯のマトモな言葉がコレだった。

その悪魔は黙ってこちらを見つめていた。


「憎いじゃないですか、信じてた天使に裏切られて、ぼくはこのザマですよ!
こんな汚れた姿で、羽も半分もがれて、どうやって天界へ帰れって言うんですか!?」


少女の外見をした悪魔は少し考えて、こう呟いた。

「本当に憎いのは裏切った天使?それとも簡単に汚れてしまったあなた自身の弱さ?」

とっさにぼくは、その少女の首を絞めようとした。
無抵抗な悪魔一匹殺すなんて、今のぼくには容易い。


でも、ふと、その少女の目を見てしまったんだ。

まるですべてを見透かされているような、恐ろしい目をしていた。
ぼくはいつでもこの少女を殺せるというのに、どうしてあんな目を!

ぼくは一瞬、恐怖を覚えて、彼女を地面に放り投げた。


「天使であったぼくが、なんの加護もなしに、ここまでどうやって生きて来られたと思います?」

ぼくは自分の左足で少女の図体を蹴りあげて弄んでいた。

「ぼくが弱いから?・・・違う。ぼくが弱かったら、とうの昔に悪魔どもに八つ裂きにされていた。」

なのに少女は無抵抗のまま、ただぼくの方を見ていた。
ぼくは逆にそれが恐ろしかった。

「・・・ぼくは!」

彼女を見てると恐怖がどこからか滲み出てくる!
それを紛らわすために叫んだり、弄んだりしてみるのに、
何かが、もどかしい。

ぼくが彼女を弄ぶのをやめると、彼女はむっくり立ち上がった。

そして、嘲笑の表情を浮かべて、ぼくにこう言った。

「あなたは弱くてちっぽけな自分が、一番こわいのね。」

その表情は、すべてを見透かしていて、その口元は、ぼくをあざ笑っているかのようだった。

ーーーこわかった。

そして、憤りを感じた。


ぼくはこの女にとどめを刺そうと思った。

「あなたは天使じゃなかった。封印されし半天使の血。だから今まで魔界で生きて来られたのよ。」

思わずぼくは手をゆるめてしまう。
するっと、彼女はぼくの懐から抜け出し、
瞬時にぼくを後ろから捕らえた。
彼女が初めて反撃に出たことにぼくは不意を突かれて、
身動きが取れなくなる。

「弱くて、情けなくて、ちっぽけなあなた。
・・殺せるものなら殺してみれば?」


「うぐっ・・・!!!ガガアアアアア!!!」

獣のように藻掻いてみるものの、彼女の力の方が上だった。
今まで無力に見えていたこの悪魔、実は強い悪魔だったのかもと気づいてはみたが、もう時は既に遅い。


「ほら、その証拠に、あなたの背中には・・・」



ーーーーそのときは気づかなかった。
ぼくの羽に何が在ったかだなんて・・・・・・。



その後、だいぶ経って、天使たちが魔界に来た際、ぼくは天界に連れ戻された。
この一部始終は上級天使アスタネイトの耳にも入り、一部の上級天使たちの間で大スキャンダルとして扱われた。
そして、彼らの決定でダンテとともに、記憶を・・・・。

抹消された。

ぼくは生まれながらの半天使として生きることになった。


ダンテ・・・、君がぼくを突き落としたことは許さない。


だけど、勝手に、罪の意識から逃れることも、許さない。

君はそんな簡単に、ぼくを地獄へ落とした事実を、罪の意識もろとも、葬り去るつもりなの?




・・・・そんなこと、ぼくが、ゆるさない。



過去の記憶が戻ったぼくは、動かなくなったダンテを起こそうとしていた。
何度も、何度も、ルーミネイトとアスタナから貰ったこの力を使って。

「無駄なことはやめたら?その力、使いきったらあなたは無力になるんじゃない?」

既に横にいた悪魔には感づかれていた。
そう、この力がなくなればオルボ石が指し示す場で儀式を行うことも・・。


でも、ぼくにとって重要なのは・・・・。


「・・・・起きろよダンテ。なに、勝手に死んでるんだ!
お前がぼくを、突き落としたんじゃないか!
なにが忌まわしい存在だ!
なにが弱くてみすぼらしいだ、ぼくのせいで上級天使に昇格できないだって!?

いいかげんにしろよ!!」


ぼくはダンテに癒しの力を注ぎ込んでいた。
でもそれなのに、ぼくは、ダンテのことを、殴っていた。

腹が立つ。許せない。ダンテのしたことは許せない。

でも、こうして勝手に、独りで逝ってしまうことは、もっと許せない。


ヴァイオレットは何度も何度も、根気強く、癒やしの魔法をダンテにかけ続けていた。



だが突然それは鳴り響いた。

「前線の中央祭壇を、奪取したぞ!」

・・・中央祭壇・・?


その言葉に我に返ったヴァイオレットだったが、何かを思案する間もなく・・。

「そこの半天使を祭壇へ連れていけーー!!」

ヴァイオレットはダンテと引き離された。
そして・・・。

幾重にも折り重なった複雑な文様、そこだけ魔界らしからぬ異世界を思わせる地場。
宇宙の混沌を彷彿させる深みのある異質な地面。
今ぼくは、オルボ石が示す、祭壇に立っていた。
そして、アウスの時は、まもなく、訪れようとしていた。

ダンテのところへ戻りたくても、周りの大勢の悪魔たちがぼくを見張っていて、ぼくには自由が無かった。

もしかしたら、ルーミネイトとアスタナにハメられたのかもしれない。

選択の自由を与えられていたようで、実はぼくは・・・。

逃げるチャンスも、これが何の儀式であるかも、ぼくにはなにも伝えられていないのだから。

それなのに、ぼくはここで、儀式をしなきゃいけない。

なんでぼくはいつもこう・・・。

見張られて、強いられて、自由が与えられていないんだ。

―――その時、魔界の空気が変わり始めた。

アウスの時間が訪れたのだ。

「おい半天使、始めろ!」

偉そうな罵声。上から目線。反吐が出る。

・・・・今からお前を殺して刺し違えたって!




一瞬そう思ったが、やめようと思った。

奇妙なのは空気だけじゃない、この祭壇には何かある。

妙なことをすると、その力が何億倍にも増幅される、そんな気がした。

ぼくは淡々と儀式を始めた。

念入りに仕込んでおいた魔法。円形の陣。魔界や天界の晶石。
細かな呪文に、エネルギーの変化、祭壇の持つ調べに合わせてこちらも発するエネルギーを同調させていく。

こういうのは歌天使の仕事なのに・・・。


と、一瞬雑念が浮かびそうになってそれを追いやる。

儀式が失敗すると、ほかでもないぼくにすべてのエネルギーがかかってくる。

悪いエネルギーも良いエネルギーも、すべてだ。

そう、こういうのはいつでも命がけ。


だから、集中しないと・・・。


それからどのくらいの時が流れたかだなんて、ぼくには想像もつかなかったけど、
ただただ蓄積される疲労感が、時間の経過を示している。
ぼくは気づけば、一つ目の調べを唱え終えた。

もう大分疲れが来ていた。でも不思議と、周りの悪魔たちの邪念や罵声が聞こえて来ない。

儀式に集中しやすくなった。


それからまただいぶ長い時が流れて、
二つ目も、終えた、声が、少し、枯れ始めていた。
・・・まだ、あと一つ、残ってる。

体の感覚が麻痺してきた・・・。

でも、倒れるわけにはいかない・・・。

あと一つの調べで、儀式は完成するのだから・・。

ぼくが重くなった口を無理やり開いて三つ目の調べを唱え始めたときだった。

突如としてぼくの頭上にトパーズのような大きな光の固まりが現れて、
ぼくめがけてそれは落ちてきた!

ぼくは今逃げたとしても、逃げなかったとしても、!

(無事ではいられない・・・・!!!!)

どうすることも出来ず、ただ呪文を唱え続けるしかなかった。

その光の塊はぼく目がけて落ちた。
祭壇も何もかも見えなくなって、ぼくはそれでもただひたすらに、呪文を唱えた。

誰かの声が聞こえた気がしたけど、集中していてよくわからなかった。

朦朧としていたせいか、微かに、ルーミネイト様とアスタナさんの姿が見えた気がした。
ぼくを守ってくれたの・・・かな?それとも・・・。

死んだか、死んでないのか、あの世か、どこにいるのか、もうなにもわからなくても、ぼくはただひたすら、どこまでも儀式を続行した。

そして・・・。



目を開けたとき、ぼくは妙な歓声に包まれていた。

光の渦が、魔界を覆っていた。妙な光景だった。

でもその光は天界の光とも違う、奇妙で穏やかな光だった。

その奇妙な光の渦に吸い込まれるように、大勢の悪魔がどこかへ飛んでいく。

光に向かって悪魔が飛んでいくだなんて、本当に不思議な光景で、
ぼくは夢の中にいるのかもしれないと、思ったくらいだ。




天を仰いで惚けているぼくに、突然声が飛んできた。

「あんがとな。」

その悪魔はそう言って、ほかの悪魔と同じように、光に吸い込まれていった。

いったい、あの先に何が・・・。

「ならぬ!」
ぴしゃりと、その言葉がぼくを我に返らせた。

「え・・?な、なにが・・?」

「あの中に入ると元に戻って来られなくなるぞ!」
セイウチと蓑虫を掛け合わせたような姿の悪魔が、そこに立っていた。

「え、じゃ、じゃあなんでみんなあの中へ・・?」


「それは・・。お前はまだ何も、思い出せていないのだな!?」

・・・また言われた、どういう、、ことなんだ?


思い出せたなら、すべての意味が、わかるっていうのか?


何がどうなって・・・どうしてぼくだけ。

その時だった、ふとダンテの姿が頭を過った。

そうだった、もうぼくは悪魔たちに監視されていない、ダンテのところへ行かなくては・・!


・・・このときぼくは何も知らなかったんだ。
あの光の先で、何が行われていたのかも、ぼくが中央祭壇で、何を解放してしまったのかも。

ぼくの、「無知」が、後に地獄を生むことになるだなんて。
ぼくは何も、知らなかったから・・・。




それから急いでフラフラの体を引きずりながら引き返した。
祭壇まで連れてこられたときの記憶を手繰りながら。
ぼくはダンテのところに向かっていたはず・・。だったんだ。

なのに。・・・なのに。



突然空間が歪んだ。
ぼくは何かに捕らえられたかのように、その空間に引きずり込まれた。

―――――白い白い、大地。

眩しくて、ぼくは視界がぼやけていたが、虚ろな意識がはっきりとするにつれ、ぼくの意識は現実に引き戻された。

そこには夥しいほどの死体があった。

みんないた。


見知った顔が、そこにはあった。

みんな躯(むくろ)となっていた。

・・・なんだここは、夢?

そう思い、死体に触れてみる、生々しい感触。そしてまだ少し、あたたかい。


こ・・・れって・・・??


鼻を突く臭い、おぞましい地面。

たくさんの、死体。


目眩がしてきた。これは夢だって、誰か、助けて・・。


「なにを言ってるんだ。これは、あなたが殺した天使や悪魔たちじゃないか。」

声が、した、どこからか。声の主を探して、慌てて辺りを見渡した。


いた。誰かが遠くに。いる。

でもどこかで見たような・・・。


「ぼくが殺した?ぼくは誰も殺してない・・。」

「そんなことないよ、じゃあこれは一体誰がやったの?」

遠くにいた少年が少し近寄って辺りに散らばった死体を指さした、

「それは・・・」

「キミは錯乱して何も覚えてませんでしたって言うのかな?今回も?もう何人も、殺してるじゃない?」


「や、やめて・・・」


なにかとても黒いものを思い出しそうになった、こわい、制御しきれない、黒くておぞましいもの。


「そう、それだよそれ!その力を持ってして、その手で、みんなを殺したんだろ?」



自分の手には、誰かの血が、ついていた。


ちがうちがう。違う!!


殺すって・・・何?それは・・・


「どうしたら、罪を、償えるの?」

ぼくは苦しみから逃れるために、そう聞いた。
少年は冷たい眼差しをぼくに向けた。

「それはキミが、これから決めることじゃないの?」

突き放された気がした。でも、その通りな、気もした。


―――ぼくが決める。生き方を。


ぼくがどんな存在として生きるかは、ぼくが決める。

ぼくが・・・。





ぼくはずっと苦しんできた。
見る人すべてがぼくのことを差別の対象として扱い、
ぼくが来るとみんな逃げていった。
ぼくが来ると石を投げられ、
ぼくが来ると不穏なことが起き、
ぼくが来るといつも誰かが不幸になる。
ぼくが来るとみんな恐怖で顔が歪んだ。

自分はきっとこの世に存在しないほうが良いのだと、ずっとそう思い続けていた。

でもいくらそう思っても、自分で自分を無きものにする勇気は出なかった。
耐えることだけが、ぼくが出来る、唯一で最善の方法だと信じていた。

―――――だけど、それには限界があった。
ぼくは、もう、耐えられなかった、誰かに侮辱的なことをされることも、誰かが恐怖のあまり、お前さえいなくなれば!と言われることも、
ぼくはもう微塵も耐えたくなくなった。

そして次に来たぼくへの暴力に、ぼくは何千倍もの暴力で返してしまった。
それでもぼくが耐え続けてきた暴力に比べれば、塵ほどの大きさもない。
そこから何かがぷつっと切れて、ぼくの中に燃えたぎる黒い炎が止まらなくなった。
たくさんたくさん、殺したいと思った。ぼくが殺られてきたのと同じ方法で。
―――――もういっそ殺してくれ!と泣き叫んでも殺してやらないくらいの、残虐な方法で。
ぼくはよく知ってる。どうすれば絶望するのか、どうすればいっそ殺してくれと、死んだほうがずっとマシだと思うのか。
簡単だよ。自分がされてきたことと同じことを人にやればいいだけなんだから。




たくさんの苦しみの末、ヴァイオレットは多くの人を傷つけた。
そしてそれは、彼自身をも深く深く傷つけた。
彼はどんどん深い闇へ堕ちていき、より多くを破滅に追いやった。

たくさんの人を苦しませた。たくさんの人の悲鳴を聞いた。たくさんの人から愛や希望を毟り取った。
"だってそれはなによりぼくがずっとされてきたことだから。
ぼくが世の中に返して、何がわるいっていうの?"

彼はずっとそう言いながら、ずっとどこかで苦しんできた。
ずっとずっと、葛藤してきた、自分が許せなかった。
自分自身も、自分自身をそこまでにした自分の人生そのものも、ゆるせるものではなかった。
―――――過去が、ゆるせなかった・・・。生きてきた人生の出来事すべてが、ゆるせなかった・・・・。

でも・・・・。
ヴァイオレットは纏わりつくようにべっとりとこびり付いて離れない苦しみを、無理やり振り解くように、ある決意をした。
・・葛藤からの解放。
ぼくの本当の『願い』。




――――――ぼくがなりたいものは。




ヴァイオレットはゆっくりと息を吸い込んだ。
自分の心を確かめるように目を閉じて、それから、
ゆっくりと目を開いて目の前の少年を見た。



「・・この人たちを、生き返らせたい。」



突飛なことを言ったぼくを、そいつは笑った。
「え?あはは!バカな。生き返らせて、また殺すの?いつものように?」

「ちがうんだ、ぼくは、今度こそ、違うぼくになる。
もうぼくは、すべてを許すよ。

沢山の罪を犯してきたことも、沢山ひどいことをされてきたことも、ぜんぶ、許してく。」

相手は、哀れんだ目でこちらを見てきた。

「・・・いつまで続くかな、それ・・。」

「罪も、これからずっと、命が尽き果てるまで、永遠をかけてつぐなうよ、そして、ぼくは、ぼくのなりたい存在になっていく。」

「なぜ、そんなことを・・。今までのキミじゃないみたいだ。」

「ありがとう、キミは、今までのぼく、でしょ?
ぼくはダンテを助けたいんだ。きっとまだ助かる!
もう、自分で自分を苦しめる生き方なんて、やめにしたい。
ダンテを助けて見せる。」


「・・・・キミは、」

相手が何かを言いかけた、その目は、不思議そうにぼくのことを見ていた。

「ぼく、ダンテを助けに行ってくる。」

はっきりと、そう意図した瞬間、ぼくはもとの魔界に戻っていた。



汚濁した大地、有害なスモッグが漂う空間に松の葉のように尖った植物のようなものが辺りを覆っている。

強引に悪魔たちに取り囲まれて中央祭壇まで連れて行かれたものだから、引き返す道が、こちらであっているのか今一つ自信が持てない。

でも、急がなきゃ・・・!!

まだ手遅れじゃない!手遅れでなるものか!!ぼくはあのままダンテと永遠の別れなんて、絶対に、絶対に認めない。



ヴァイオレットは力の限り走った、もう何もかもを捨て去って、ダンテの元へ急いでいた。

そのはずだった・・・。

なのに。

「あれ・・・なぜ、ぼくは・・・・」


ヴァイオレットは目の前の光景を疑った。

だってそこは・・・


「ぼく、・・・・
飛んで・・・・る!?」


気づけば宙に浮いている自分の姿がそこにあったのだ。

「なぜ・・?一体何が?」

自分の体を確かめて、初めて、ある違和感に気づく。

そう、背中の辺り。

なんだこれ、何かが・・・!


背中に何かのエネルギーを感じた。

「ぼく、・・・・まさか!」


急いで辺りに姿を映せるようなものを探した。

自分の背中を確かめたかった。

でも周辺には何も見当たらない・・。

・・・・・・・。

「・・そうだ、ダンテのいた部屋の手前に、鏡のようなものがいくつも置いてあった!」

ヴァイオレットは先を急いだ。
背中が、時々、疼くのを感じた。

ーーーなんだろう、妙な気分だ。
今まで感じたことのない、不思議な、気分。

なんなんだろう、この感じ。

ちょっと自由になったような、不思議な気分だ。

今まで居たことのない世界に誘われたような、そんな開放的な、気分。


ヴァイオレットがその妙な気分に酔いしれていると、背中で感じていたエネルギーが先ほどより大きくなっているのに気がついた。

「・・・あれ・?まさか・・・羽が、成長して・・・」


しかし、妙に気分が良いのも、ここまでだった。



ヴァイオレットは先ほど本陣だった場所にある、ダンテがいた建物を発見出来た。

ダンテはまだ、ここにいるだろうか・・?

本陣はすっかり蛻の殻になっており、悪魔もほとんど見かけない。

たまに部外者の悪魔が見物に来たり、何かを盗みに来たりしている程度のものだ。

・・・・そうだ、悪魔!

ダンテがまだあそこにいるなら、悪魔の餌食になってしまう!!

ヴァイオレットは慌てて建物の中へと入った。

やはり独特の異臭がして、淀んでいて、あまり居心地の良い場所ではない。


いくつもの部屋を通り過ぎ、ダンテのいた部屋へ急いだ。
散らばった置物、羽の断片、あの部屋にしかなかった独特の異臭。
・・・ここだ。

「・・・いた!ダンテ・・・・!!!!」

木っ端微塵に砕け散ったわけのわからない残骸の中央には。
ダンテだった物体が、先ほど見た時よりさらにヒドくなって捨て置かれていた。

どんどんと「物」のようになっていくダンテを見て、ヴァイオレットは心底ゾッとした。

「助かる・・・助かります。ダンテ!ぼくはダンテを助けます・・・!」
増大していく不安と恐怖を振り切るように、ヴァイオレットはそう自分に言い聞かせた。



幸いにもルーミネイトとアスタナから貰った天使の力がまだ少し残っていた。
もしそれが尽きれば、天使の純粋な治癒魔法が使えなくなってしまう。

どうしても、残りの天使の力をすべて使ってでも!

ダンテを生き返らせないと!

そして・・・めいっぱい、殴ってやる!


ヴァイオレットは、少し涙ぐみながら、力の限り治癒魔法を使った。

なるべく邪念が入らないよう、精一杯の、聖なる祈りを込めた。

ぼくが天使でいた頃の、ダンテの暗い顔。
いつもぼくになにかを訴えていた。
ぼくはそれを満たしてあげられなかった・・。

ぼくが半天使として天界に連れ戻された時、ダンテは大層怯えていた。
あのままダンテは、堕天してしまうと、誰もが思った。

ダンテは元々格の高い天使だったから、堕天されると天界にとっても大打撃。

だからぼくたちは、記憶を封じられた。

ぼくは半天使として再び目覚め、ダンテはもともとの純天使として目覚めた。

ぼくはずっと、生まれながらの半天使として生きた。
ダンテも・・・生まれながらの・・・・・



その時だった、ふいに思考をダンテとぼくの親について巡らせ始めたとき・・・。

鮮烈な映像が、ぼくの頭に飛来した。

「あれは・・・・・!!!」


その映像には、一人の女性の姿が・・・・


ハッッ・・・・!


赤い光、紫のウェーブがかった髪。

彼女は・・・!!


「あのアスタナって人は、ぼくの・・・・!」


そのときだった、ダンテにかけていたはずの治癒魔法が妙な渦を描いてヴァイオレットを取り囲んだ。

「え・・・!?一体、なにが・・!!??」

その渦は円を描くようにいくつも折り重なりあいながらどんどんどんどん大きくなっていく。


「ぼく、治癒魔法・・・・を、失敗させた・・・!!?」


その力の増大は止まらなかった。
エネルギーはヴァイオレットのコントロールを離れ、どこまでもどこまでも大きくなっていく。

「ど・・・どうしよ!ダンテを助けるはずの、さいごの、天使の力だったのに・・・!」

その力はオーロラのような色合いで、ぐんぐん渦を描いて昇っていく、天井を破壊し空間を破壊し、そして・・・

「ぼくが妙なことを考えたせいだ・・・!!!
どうしよう!エネルギーが暴走してる・・!
ダンテを、ダンテを守らなきゃ・・・!!」


その渦は魔界の天まで届いたかと思うと、ヴァイオレット目掛けて一直線に墜ちてきた!

とっさに身一つでダンテを庇った。
ヴァイオレットはダンテに多い被さるように、精一杯手足を伸ばした。
たとえそれが形だけのものだったとしても、
もう今のヴァイオレットにはそれしかできなかった。

ダンテのことは生き返らせられなかったけど、でもせめて・・・。


ダンテのことを守って消えたい。




ものすごい力がヴァイオレットに直撃した。


すべての意識が掻き消えた。

痛みさえも感じなかった。

ヴァイオレットはそのまま、ダンテの上に突っ伏したまま動かなくなった。




・・・・・ようやくじゃな。

少し経ったあとで、とある悪魔がその現場に現れた。
セイウチと蓑虫を掛け合わせたような、あの悪魔だった。


悪魔はゆったりと地面に座り、煙草のようなものをふかして、黒い枝のようなものをを弄んでいた。





黒き 血潮 遊ぶ 荒野 離れた 滴 2つの 涙

誰かが 叫ぶ 渦巻く 炎 声は 乱れ 姿は 消える

光が 闇で アレは 楽園 誰かが 願った それは 理想

暑い 苦しい 飢餓 戦慄 あれも これも それは 幻


途切れ途切れの言葉がものすごいスピードで意識を流れていく。

まるで幾千もの意識が、集結しているかのように。

宇宙 離れた 道 出来た 戯れ 光る 双子 キミ

そこは、超高速で流れる電脳空間のようでもあり、
宇宙の最果てのようでもあった。

いうなれば、いくつものコンピューターの情報すべてが一気に流れるマザーコンピューターの中のような世界。




それは、世界そのもので、世界と一体化している、そういう感覚。

ふしぎで、果てしなく、膨大で、意識を超越した世界。

沢山の情報がどこまでもいつまでも、あっちこっちを行ったり来たりしていた。


たくさんの悲しみ、生と死。
喜び、嘆き、無念、後悔。

そのなかに、ひとつ、見覚えのあるものが。

ある存在の記憶が流れてきた。

半天使として生きた、報われず、苦しみだらけの、虚しい人生。

血反吐を吐くような憎悪と、悲しみと、後悔。

そして、許しーーーー。

さいごに半天使は許そうと思った、許したいと、願った。

その願いが最後に光となって現れた。








「この子はこういう生き方をしたのか・・。」

その半天使の無念と、願い、そしてほんの一粒の希望に、ほかの存在の願いが呼応するように集まってくる。


[意志]


それらは[意志]を持っている。

意志はほかの意志と合わさって、より強力な願いとなり、それは力となる。

半天使の残した願いが、ほかの願いと呼応して、小さな小さな光だったものは、やがて大きなひとまとまりの存在となった。

「・・・そうだ、もう一度だけ。」


マザーコンピュータは、それに最後の力を与えた。

その光は収縮し、そして、

小さな小さな、その存在となったソレはどこかへ消えていった。





ーーーーーーーー世界、そこは、いくつも折り重なり合い、
世界、そこは、いくつもの真実が存在し、
世界、それは、いくつもの分かれ道がある。


はるか昔、ティラ・イストーナ・セルミューネに一つの小さな粒が落ちてきた。

小さな小さな粒は、侮られ、踏みにじられて、軽んじられ、無視された。

それでもその小さな粒だった存在はあきらめなかった。

ちいさな粒は長きに渡り、力を付けて、ある存在に挑んだ。

しかし、卑劣な罠に嵌まり、粒は力を封じられた。

そして粒は存在ごと消されようとしたが、ある邪魔が入った。





「おもい・・・・出した。」


少年は立っていた。眩く輝く砂の上に。

「おもい・・・出しました・・・!!」


少年は震えていた。いくつもの大きな感情を、処理しきれない。


「ぼくのことを助けてくれたのは・・・。」

「ごんべえさん、あなたの正体は・・・!!」



少年は叫んだ、その瞬間・・・・。


輝く砂は消え、気がつけばじっとりとした暗い空間が辺りを覆っていた。


少年は徐に、手足を確認する。

いつもの感覚、触感、短めの四肢。

そして少年の下には・・・・。

「・・・!!!ダンテ・・!!」


少年は慌てて自分の図体を転がしながら下敷きになっていたダンテを解放してやる。


「・・・・あっ・・・!?」

屍のようだった物体が、先ほどよりも、わずかに血の気があるように感じる。

「・・・ダンテ・・・???」

そっとダンテの頬に触れてみる。まだ、体温はほとんどない。

「待っていてください、必ずダンテを、蘇らせてみせます。その為なら・・」

少年はすっと立ち上がる。そして両手を天に向けた。

「・・・・いきます!」

少年が力を溜め始めた瞬間、辺りの空気が一変する。
ものすごいエネルギーが、少年を取り囲み始めた。
その力は、ふつうのエネルギーではなかった。

密かに状況を伺っていた悪魔がぎょっとして物陰から顔を覗かせた。

それは先ほどいたセイウチと蓑虫のような悪魔だった。


この悪魔がぎょっとするのも無理はなかった。
なぜならそこに先ほどまでいた半天使は・・・。


まるで別人になったかのように、大きなエネルギーを纏っていたからだ。



半天使だったその少年は気高く右腕を掲げ、何かを叫んでいた。
それに呼応するかのように大きく偉大なエネルギーが少年に集まっていく。

少年はその膨大なエネルギーに翻弄されることもなく、
ただ身を委ねている。


その少年は、何かを信頼しきっている、微塵も疑いなどない、そんな顔をしていた。

少年は天に翳していた手をゆっくりとダンテの方へ向けた。
膨大なエネルギーがいくつもの糸のように、川の流れのように、少年からダンテへと流れていく。

何時間にも及ぶ、忍耐強いエネルギーの注入作業がこうして行われていた。

だが、

少年ははっと、異変に気づいた。

「魔界が・・!」

肌に妙な揺らぎの違和感が伝わってくる。
誰かの悲鳴に似た風音も鳴り始めた。

「・・いかなければ・・!」

少年はきゅっと上を向く。
そのあと、おずおずとこちらを窺う悪魔に視線を合わせる。

「おじさん、ダンテを、よろしくお願いします。」

悪魔はまた驚いた。
見ず知らずの、しかも悪魔に天使のことを頼むなど、
正気の沙汰ではないからだ。

悪魔は何かを言いかけたが、少年はそそくさと、羽を広げてどこかへ飛び立とうとしている。


「ま、まて、お前は、お前はさっきまでの、半天使か?」


すでに羽ばたき、空中にいた半天使は、遠くの方で微笑んだ。

「ぼくはただの、ヴァイオレットですよ・・。」

素朴にそう言い放った少年は、颯爽とどこかへ飛んでいってしまった。




そこはオルボ石の指し示す祭壇がある場所だった。

そこに妙な光の渦が出来て、大勢の悪魔がそこに吸い寄せられるかのように入っていった。


ヴァイオレットは祭壇に立っていた。


「決着を、つけないといけないみたいですね。」


少年は目を閉じて、少しだけ、何かを考えているようだった、が、

すっと再び目を開き、光の渦を見据えて、両羽をバサッと広げた。

いつの間にか2対に増えた羽は、とても大きく立派なものになっていた。

少年はそのまま、光の渦に突っ込んだ。ほかの悪魔と同じように・・・。



しばらく妙な幻覚や摩擦に襲われたかと思うと、あるときぱっと視界が開けた。


そこは一面が白だった。
ガラスのようなもので空間が覆われて、
奇妙なくらいの静謐が漂っていた。

自分の微かな呼吸の音と、静けさのあまり聞こえてくる妙な環境音だけが、耳に残る。

神聖を思わせるような、或いは冷淡を思わせるような、硬く、白く、冷たい床。
そこに映る自分自身の姿によって、常に何かを問われているようだった。

悠久の時を経てもなお、ここはこのままなのかと、ヴァイオレットは静かに思った。


カツン、と小さな音がして振り返ると、そこには先ほどまでなかった姿があった。


蒼白くぼやけた髪に、古びた布を纏った人物。



「久方ぶり。」




一つの[声]はその静寂を破った。

その声の主はガラスの建物の奥に存在していた。

ヴァイオレットは黙したまま、声の主を見つめる。



「どうして再び私の前に現れたのかな。」


声の主は薄笑いを浮かべてヴァイオレットに囁いた。
それを受けて、ヴァイオレットは重い口を開く。


「・・あなたの[意志]そして、人々の[意志]。

それがいくら相反するものだったとしても、やがて終わりは来るんです。

どんな葛藤も、苦しみも、理不尽も差別も、いつかは終わりがやってくる。

数千数万のいのちと時代、もうあなたにとっては十分満ちた時間だった。」

ヴァイオレットの言葉を受けて、相手の口元が少し歪んだ。

「ヤツがお前を守らなければ、お前はとっくに無き存在だったじゃあないか。私の世界は長きに渡り安寧そのものだよ。」


声の主は憎たらしそうな低い声を、ヴァイオレットにぶつけた。
ヴァイオレットは穏やかな表情のまま静かに口を開いた。

「ごんべえ、普段静寂な神界唯一の[意志]。


・・・・本来の世界に、戻しましょう。
サハクィエル。」


ヴァイオレットがその名を呟いた瞬間、四方から刃がヴァイオレットに向かって飛んでくる。

ヴァイオレットは攻撃を防御しながら悲しそうに声の主、サハクィエルを見つめた。

「あなたがその力でもって世界を抑圧することをやめない限り、苦しみは続いていきます。
でも、もう世界は変わる時なんです。
いくらぼくの存在を消そうとしても、また、極楽地獄から新たな存在が生まれる。
その[意志]が存在する限り。
多くの人の[願い]が消えない限り。」



―――――願い・・・それは希望。
それは最後の希望だった。このあまりに残酷な現実を変えてくれるかもしれない最後の、『希望』。
人々は何千年も、何万年も、何億年も、この見果てぬ夢を見た。
だが、幾千年間、夢を抱きながらもそれが叶えられることはなかった。
人々は無念とともにこの世を去った。
それらの願いは長い時間をかけて大きな力を生んだ。

極楽地獄、それは願いを叶える力。
極楽地獄、それは目覚めの力。
極楽地獄、それは人々の【意思】に呼応する力。

あるとき、一つの小さな粒が、地球にやってきた。
だがその粒はある存在の罠に嵌まり、敗れた。
その粒は存在を消されようとしていた。
・・・だが、邪魔が入った。

"わたくしたちで、この存在を守りましょう、来る日に備え、この存在を隠し、わたくしの『子』とするのです・・。"
"天の秩序に抗う気かアスタナよ?"
"―――いずれ、そうせねばなりません。遅いか早いか、それだけの違いです。あなたも十分おわかりでしょう、ダハーカ?"

そこには2つの存在が在った。
赤く気高い大天使アスタナと、サハクィエルの放った新たな魔王に敗れた元魔王、ダハーカ。

2つは天使と悪魔、相反する存在でありながら、交流を密にしていた。
天界にも魔界にも存在する"違和感"。
2つの存在はそれを憂いていた。
止まない戦争、法の名の下に奪われる命、絶対的権力。
そして何より、オブリビオンの存在を彼らは知っていたのだ。

そこへ一粒の異質な存在が堕ちて来た。

それは彼らの憂いに応えるかのような新しい息吹だった。
彼らはこの存在を守ろうと決意した。


そして・・・、この存在は、アスタナの『子』として育てられた。
美しく、気高い、見事なまでの大天使として。

しかし、ある事件をきっかけに状況は一変する。
この大天使は、強い光と闇の力を持つ、"ホドンローグ"のカケラを持っていた。


そしてそれを、あろうことか、弟の天使にあげてしまう。

大きな光と大きな闇、それ以来弟の天使は2つの力に翻弄され続けた。
2つの力の影響は彼の心理を不安定にし、やがて"闇"を作り出した。

ホドンローグの強大な力に翻弄され、弟はついに、兄を魔界へと突き落とすことに成功した。
なのに、兄は変わり果てた半天使の姿になって天界に帰ってきた。
それは、弟にとって恐怖以外の何物でもなかった。

そして天界で、ある疑念が生まれた。

純天使であり気高き大天使アスタナの『子』が、半天使半悪魔・・・・。それはすなわち・・・・・。

兄と弟の記憶が封印されている裏で、それは密かに執り行われた。

アスタナは半殺しにされた後、天界の奥の奥、だれも手の届かない場所へと封印された。

それは天界一のスキャンダルだった。


――――――アクマと交わった、大天使。


ヴァイオレットとダンテは再びトッヘルに育てられ、アスタナの存在は天界から消された。
そしてトッヘルには、固い固い、口封じの魔法が掛けられた。

それは二度と世に出ることのない最大の秘め事だった。
・・・なのに・・・・。
死神と名乗る少女が天界を襲撃して、それは一変した。
一部の天使が、記憶の封印を解かれたのだ。その中に大天使ルーミネイトもいた。
それらの天使は姿を消した、そして・・・。

彼らはオブリビオン解放を画策し、"天の意志"に逆らった。

彼らは壊滅の危機に何度もさらされたが、あるとき状況が好転する。
ダハーカの力添えと、神界から生まれ落ちた一粒の光によって。
彼らはパンドラの箱を再び頼ることにした。
死神レナシーを解放したのだ。
再び神界への猛攻撃が始まることを誰もが恐れたが、今度はそれは起きなかった。
彼女は静寂を保ったまま、少女のように立っていた。

"天の意思"は天界を揺るがしかねない彼女の存在を消そうとした。
しかしそれが逆に、彼女を再び目覚めさせてしまうことになる。
彼女は活動を再開し、暴走を始めた。
だが、暴走を繰り返し彼女が向かった先は・・・・・。

"永凍宮"だった。


―――――そこは天界の記憶が封じられる場所。
記憶のみならず大きな罪を犯した天使が、その存在を抹消することが出来なかった力の強い天使たちが封じられている場所。
それは天界にとって、中央の天界城を攻撃されるのに匹敵するくらいの脅威であった。

そして天界において最も厳重な場所でもあった。

レナシーはこの度も静められ、捕らえられる危機にさらされた。だが、

オブリビオン解放を画策する勢力が、彼女をサポートしたのだ。

永凍宮は深部まで破壊され、天界は大混乱に陥った。
幾千年かけて保たれてきた秩序が、法が、それらによって崩壊を始めた。

そして――――――――――。



「まずはお前の首をはねてからだな。話はそれから聞こう。」
サハクィエルは戦闘態勢で、いくつもの攻撃をヴァイオレットに放っていく。

ヴァイオレットは応戦しながら、サハクィエルに説得を試みていた。

・・・が、

ズシャッッ!!
残酷な音とともに、ヴァイオレットが大きく負傷する。



「新たな世界に心を開いてください。
新たな世界にも、キミの居場所はあります。
希望もあります。いまとは違う形で、だけど、すべての人にとって良いものがやってきます。」

ヴァイオレットの言葉を聞いているのかいないのか、
サハクィエルは熱心にヴァイオレットに攻撃を続けている。
動きが鈍ったヴァイオレットに待ってましたと言わんばかりの猛攻撃が飛んでくる。

「サハクィエル、変わることを恐れないで。」

力が増大している半天使といえど、相手の猛攻撃を躱しきることは困難だった。
時間とともに深手を負っていくヴァイオレット。
それでも力の限り、訴え続けた。

「変わることは、死ではないんです!

あなたもまた、新しい世界で生き続けることが出来る。」

その瞬間、サハクィエルが綺麗な白い羽を放ってそれが茨状になる。
それが一瞬にしてヴァイオレットを取り囲んで締め付けた。
ヴァイオレットの低く鈍い悲鳴がガラス張りの空間に木霊する。


「私は今の世界が好きなんだよ。」


感情が読みとれない妙な表情で、サハクィエルは立っていた。


「美しかっただろ?聖と闇の均衡。天界と魔界、そして人間界。 生と死、争いと平和。
二つはいつも均衡してせめぎ合っているからこそ美しい。」

サハクィエルは両手を広げて今の瞬間、世界中で起こっている映像をいくつも見せた。

「この世界は、美しいです。そしてこの世界の意志もまた。」

縛り付けられた苦しみで声が掠れながら、ヴァイオレットはそう付け加えた。

「意志?世界の?私の意志が世界の意志だよ!

お前が存在していられるのも、私が存在している[意味]も、すべては光と闇が存在しているからこそ成り立つものだよ。」

サハクィエルは低く声を荒げながら、ヴァイオレットを挑発した。

それは古いものと、新しいものがせめぎあっては行きつ戻りつしているような、まさにそれを具現化したような光景だった。
サハクィエルは今の世界を愛し、ヴァイオレットは世界の変わりたいという願望を尊重していた。

ヴァイオレットはか細い声でこう続けた。

「そんなことは・・ないんです。今の世界が変わっちゃったら、半天使としてのぼくはなくなっちゃうけど、でも、ちゃんと新しいことが待ってるんです。」

「そこに私とお前の居場所などあるかな?」

「たくさんの、歴史を見てきましたよね?サハクィエル。
幾千年もの間、多くの人間たちの、天使たちの、悪魔たちの、苦しみも悲しみも見ましたよね?

もう、変わるときが、来ているんです。あなたがどれだけ拒んだとしても。」


その時だった、空間が急激に歪んだかと思うと、気づけばそこにはたくさんの悪魔やら天使が居た。


「しまった・・・!
半天使め、お前はこれを狙って・・」


ヴァイオレットは攻撃を受けながら、密かにあることをしていた。
攻撃の合間を狙って、サハクィエルに、ある小さな魔法を何度もかけて、
サハクィエルのエネルギーが直接ヴァイオレットと繋がった瞬間、その魔法が発動するようにしていた。



サハクィエルは力の強い存在で、空間をいくつも作り出せる。
オルボ石の祭壇に出来た光の渦に入っていった悪魔や天使たちは、おそらく皆、違う空間で同時にサハクィエルと対峙していたのだろう。

意図的に天使や悪魔を同じ空間にし、互いを争わせたり、また一対一となり、じわじわ相手を弱らせたり。


「ヴァイオレット・・・。」


そこにはルーミネイトやアスタナ、そして、


「ガハハハハ!坊主やりおる!」


昔お世話になった、"元魔王"とかいうあの悪魔の姿もあった。


・・・ごんべえ、ごんべえは、この中に姿が見当たらない。
無事なのだろうか、彼に、もう一度だけ会いたかった。



複数あった空間が一つになり、光の渦に入っていった者たちが一堂に会したことで、
事態はややこしくなった。

現魔王が元魔王に猛攻撃を再開し、一部の天使と悪魔も争いを始めた。


もともと神聖で静寂だった場は一気に混乱と汚濁に満ちたものとなった。


たくさんの悲鳴や怒号が鳴り響く。もう辺りは戦争状態で、誰もそれを止められない。

その混濁した空気で、悪魔は力をつけ、天の者は力を奪われていく。

そしてヴァイオレットの中のバランスも崩壊を始めた。
記憶を思い出し力が増大したはずのヴァイオレットの中で、今まで心の奥に封じ込めてきた「魔」が疼き始めたのだ。

過去のひどい経験、悲しみ、憎しみ、苦しみ、怒り!

ローザ、それは最愛の人、でもぼくを、利用していた・・・・。
"アレ"は、ぼくを、監視対象として見ていた。

それだけじゃない、ルーミネイトも、ダンテも、アスタネイトも、皆・・・ぼくを・・・・!!

ヴァイオレットは自分を失い、復習心が心を支配していく。

「しっかり。あなたが何者か思い出して。あなたは何をしにここまで来たのですか?」


・・・声の主はアスタナだった。アスタナはほかの悪魔や天使からの攻撃からヴァイオレットを守ってくれていた。

「アスタナ・・・・。」

蹲っていたヴァイオレットは、少し正気を取り戻す。

「ぼくが、やりたかったこと、ぼくが、やらなければいけないこと・・・。」


ヴァイオレットは自分の闇を振り切るかのように、羽を広げた。

「ぼくは半天使ヴァイオレット!
光と闇の統合をしに来ました。
サハクィエル、あなたの持つ、ホドンローグを今度こそ取り返します。
そして、この長い長い光と闇の戦いに、永遠の終止符を!」



ヴァイオレットはサハクィエルめがけて突っ込んだ。
アスタナとルーミネイト、そして元魔王のダハーカも後に続く。



サハクィエルとその従者たちと正面衝突するヴァイオレットたち。

サハクィエルは強大な力を持っており、
大天使のアスタナやルーミネイト、元魔王のダハーカをもってしても、押されていた。

何度も何度もぶつかり合ううちに、ヴァイオレット側が確実に力を消耗していく。


そのうえ・・・。

「ぐあああああああっっっ・・・・!!!!」

この汚濁した空間のエネルギーにより、ヴァイオレットが変調を来していく。

まずい・・・、ぼく、どうしたら・・・。。。
記憶は戻ったっていうのにどうしてぼくはこんな不安定で・・・。

力が足りない。ちょっとしたことで、ぼくの闇が増大する。

いくら過去を許そうと思っても、何度も、何度も、何度も、

過去の絶望が、殺意が、ぼくのすべてを支配する。


殺したい・・・。


・・・・殺したいんだ!!!

すべて憎しみに変えてやる!!!!!

誰も、何も、信じられるものか!!!!!!!!


俺はずっと、ゴミのように踏みにじられながら、
ずっと独りで生きてきたんだ!!!!!!


ヴァイオレットが暴走を始めた。


ヴァイオレットに続いていたアスタナやルーミネイト、ダハーカたちは、ヴァイオレットの大妨害で、一気に体勢が崩れる。

そこをサハクィエルは見逃さなかった。


ヴァイオレットの暴走と、サハクィエルの猛攻撃がアスタナたちに炸裂する。


それでも彼らは戦った。諦めなかった。意志を見失うことはなかった。でも・・・。


それからどのくらい時が流れただろうか。

人間界のたくさんの国は、混沌の争いを未だ続けていた。
政治も、社会も、すべてが光と闇で鬩ぎ合っていた。

それはまるで、天界や魔界で行われていることと同じであった。



多くの人間が、自分の思う人生を生きた。
だが社会は未だ闇が多く被さり、真実とはほど遠い場所にあった。
その闇に惑わされ、多い隠され、多くの人間は社会に蔓延る不幸を享受した。



ーーーーーー闇は、深い。








闇はいつでもそこにあり、心の中の小さな隙間を見つけて住み着く。
そしてじわじわ広がって、拡大する。

誰かの不幸は、大勢の不幸を呼ぶ。

歯止めがかからない。その広がり方は猛烈で、過激。


一度自分を見失ってしまえば、あとは魔の虜。

自分が何をしたか、本当の意味で認識出来ている者などいない。


ただ、その時は訪れる。


自分のやってきたことの[意味]が問われる時が。





ーーーー辺りは静まり返っていた。

そこにはたくさんの、残骸があった。

それは、いつもある、争いの後の、最も残酷な光景だった。

どこかで見たことある。

この光景。

見知った人が、たくさん倒れている。

白い、白い。この地の上に・・・。


ヴァイオレットは我に返った。


そしてそこには、争いが集結した後の静寂と、たくさんの犠牲で空間すべてが覆われていた。


「こんな・・・こんなことって・・・!」


それは確かに、"あのとき"見た光景だった。

魔界でダンテを助けに向かっている途中、急に捕らわれた空間、イメージ、
あそこで確かにぼくは言った。

"ぼくはすべてを許します。"

そう、誓った、はずだった・・。でも・・・・。

結果はその光景が物語っていた。

たくさんの死体が、そこにはあった。


すべての原因は、ぼくが過去の闇に耐えきれず、暴走したせい・・・・。

そう、ぼくの、・・・・・。


ヴァイオレットはその場に倒れ込んだ。
自分と自分の闇に失望し、悲しみのあまり、涙も出ない。

そのうえこの光景は、前に見た光景と同じ。


「・・・こうなることは、・・・すべて、・・・・わかっていたことだったんだ・・・。
だからぼくは、あらかじめ今と同じ光景を・・・見た・・。」

なのにぼくは、できると思った。
そして、・・・ぼく自身に・・・・敗れた・・・・。


向こう側にいたぼくは、こうなることを心配してくれていたのに。
ぼくはそれを無視した。


・・・・・その結果が・・・・・!」



茫然自失としているヴァイオレットに、ゆっくりと誰かが近づいてくる。

そして耳元でこう囁いた。

「争いと殺戮を広げているのはおまえじゃないか。」

見上げるとそこには、天使のようににっこりと微笑む、サハクィエルの姿があった。


その言葉は、今のヴァイオレットにとって、トドメの一言だった。

ヴァイオレットは押し黙ったまましばらく動かない。
ただ両の手の拳が小刻みに震えている。
やがて、ゆっくりと顔を上げ、サハクィエルを見つめて静かにこう言った。


「ぼくを・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・ころして。」



サハクィエルはにっこりと微笑んだ。

「いいよ。でも、楽になりたくて責任を放棄するなんて、都合がいいな。
極楽地獄から遣わされた天空神とは思えない所行だ。」

それは侮辱のつもりだった。

こんなところで簡単に魔に取り込まれてしまう今の半天使など、取るに足りないと思ったからこその発言だった。

だが、その一言が、ヴァイオレットに強い意志をもたらした。


「ぼく・・・・そう。ぼくは・・・・・。」

ダンテの顔が浮かんだ。ローザの笑顔がよぎった。ごんべえの微笑みも。


「ぼくはこの混沌を終わらせて見せます!
ぼくは、極楽地獄から来た統合の半天使、アウセマーン・ルフトゥ・シーエルなんです。」


ヴァイオレットの意志に呼応するかのように、エネルギーが集まってくる。

「そして今のぼくは、アスタナの赤とダハーカの青をもらった、ヴァイオレット」

それは、まるで最後の灯火のようでもあった。

「ぼくは、半天使、ヴァイオレットなんです!」

ヴァイオレットはそう言い放つと、最後の力を振り絞って、すべてをサハクィエルに注いだ。

ヴァイオレットのことを侮っていたサハクィエルは不意を突かれる。

ヴァイオレットは命が枯れ果てる覚悟で、最後の力を、すべて賭けてサハクィエルにぶつけた。








今、人間界で、ある決着がつこうとしていた。
長年の旧態勢力、権力や格差の上に成り立つ、力で支配する人間の世界。

そして、自由とまだ見ぬ世界を愛する人間たちの革命。

それらの諍いや鬩ぎ合いは世界各地で頻繁に起こるようになっており、混乱を極めていた。




2つの勢力は行きつ戻りつを何度も何度も繰り返しながら、やがて・・・。


それは穏やかな勝利だった。

いつの世も、新しく生まれ変わりながら時代が進んでいく。
繰り返してきた歴史。争い。権力。滅亡・・。


恐怖に怯えていた旧態勢力は、少しずつ変化を受け入れ、新しい時代に身を委ねていった。
徐々に、変化の波に対する恐怖心が弱まっていったのだ。
諍いが耐えなかった時代も終わり、
時代は緩やかに、そして優しく、新しい時代へと変わりつつあった。

人々は新たな時代の幕開けに、夢と希望を抱き始めた。

それは[統合]の時代への先駆けでもあった。



人間たちの活動や意志。
地球で生きるすべての生き物たちの[意志]が、
天界や魔界や、そしてヴァイオレットたちにも、影響を与えた。



ヴァイオレットとサハクィエルは、互いに倒れ込んでいた。
二人ともしばらく動かない・・・。

だが、

サハクィエルの方が、わずかに動いた。

一方で、ヴァイオレットは動く気配すらない。

サハクィエルは、ゆっくりと、ヴァイオレットの方へやってくる。
そして・・・、

サハクィエルは最後の力を両手に込めた。

「・・・・終わりだ、半天使。」



サハクィエルはトドメの一撃をヴァイオレットに放った。
確実に殺れるよう、最大の力を込めて。





バシッッッッ!!!!!!







強い閃光が空間を支配する。



その閃光はあまりに強く、空間から放出され、世界全体を照らしたという。


人間界では怪奇現象だのオーロラだのと騒がれた出来事だった。

光はしばらく止むことをせず、7日の間続いたという。

人々はそれを不思議そうに眺めた。

新しい時代の幕開けを予感する人々、不安に胸曇らせる人々、お祭り騒ぎの人々。

そして、光は徐々に徐々に、穏やかになっていく・・・。

世界中を照らしていた光はゆっくりと収束していった・・・。

―――――そして・・・。



サハクィエルは言葉を失った。

そこに在ったのは・・・、

ヴァイオレットではなく、

自分の所持していたはずのホドンローグだったからだ。

ホドンローグはサハクィエルが「神」でいられた力の源。

もともと力の強い存在ではあったが、ホドンローグの力によって、天界と魔界、そして人間界の秩序に膨大な影響を与え、支配できていた。


ホドンローグはもはや残骸となっており、
先ほど放たれた強大な光は、ホドンローグが破壊された光だったのだ。


サハクィエルは錯乱した。今まで信じてきたもの、手に入れていたもの、満たされてきたもの、すべてをかけて守ってきたものが、一瞬にして奪われたのだ。

サハクィエルはただただ、目を見開いて、声にならない叫びを上げているかのようだった。

サハクィエルの愛するもの、悲しみ、絶望、今まで守り抜いてきたもの、その原動力・・・、
すべてがサハクィエルの中に流れ込んでくる。


「ごめんなさい・・・。」
ヴァイオレットは虫の鳴くような声でサハクィエルに囁いた。

「お兄さま、これで、任務は終わりです。」

そこにはホドンローグを運んできた、死神レナシーの姿があった。


「おまえは・・・・!!!」

サハクィエルはレナシーの存在を警戒していた。
だがサハクィエルが封じたヴァイオレットと違い、レナシーは神出鬼没でその行動を把握しきれずにいた。


「ここは貴方が望んだ二元性のセカイ。

私たちも極楽地獄から生まれ出でてここへ来る途中に、秩序によって分離したのです。」

レナシーはそっと言葉を紡いだ。

「男と女、光と闇、正と悪、もうそれも、終わりですね。」

レナシーはそっと、ヴァイオレットに近づいた。

「すみません・・、ぼくが、不甲斐なくて。」

ヴァイオレットとレナシーは、そっと、手を取り合った。

「お兄さま、ホドンローグの力を失ってセカイの均衡がとても不安定です。」

「ぼくの最後の任務だね。・・・はじめよう。」


一体と化したヴァイオレットとレナシーの間に、大きな力が生まれた。
2人の背中に、六対の輝かしい羽が見えた。
ヴァイオレットとレナシーに流れる天界、魔界、人間界、それぞれの3対の羽が、2つ合わさって、6対となった。


それは地球の隅々に行き渡り、支えを失った世界を再び安定させていく・・・。

それは新しいエネルギーだった。

見方によっては恐怖でもあり、でも一方で、希望とまだ見ぬ期待にあふれた力。


これから新しい世界で、すべてのいのちは、新しい生き方をしていくことになる。

それぞれの速度で、それぞれの思いと意志をもとに。







ダンテは魔界で目覚めた、そのはずだった。
だが、世界にもう魔界は存在しなかった。
魔界にあった「魔」は力を失い、うっすらとした昔の余韻が漂っているだけであった。
「一体なにが・・・」
ダンテが状況を把握しきれずに呆然としていると、ダンテの視界にある坊主男の姿が飛び込んできた。

「ごきげんよう~良い目覚めでしたかな?」

坊主頭の男は上機嫌そうに両肩を震わせた。
男の周りには沢山の悪魔"だった"ものたちがいた。

「・・・お前は誰だ?ここは一体・・・。」

ダンテが不審の目を男に向けると、男はにっこり笑ってこう答えた。

「ごんべえと申します。あの方が、そう名付けてくれたので。」

そして男は、こんな歌を聞かせてくれた。
―――――それは今までになかったこの世界で語り継がれている新しい伝承歌。


極楽地獄より来たりし半天使、その身を2つに割き、
ひとつが偽神と相対す。

偽神の罠にはまった半天使、その身を封じられるも、命辛々魔界に落ち延びる。

強大な力を持った偽神、半天使にトドメを刺すべくその者を狙う。

赤き大天使と青き元魔王、その者を助けるべく、大きな力をその者に施し、それは天へと送られる。

偽神から隠された半天使、大天使として忘却のもと、穏やかな時を過ごす。

しかしその者、偽神の戦いで手に入れしホドンローグの欠片を弟に授ける。

ホドンローグが宿せし強大な光と闇の力、弟の心は蝕まれる。

その者、弟によって魔界に送られ、半天使の力が目覚め始める。

世の侮蔑と偏見、耐えに耐えし半天使。
多くの闇の力をその身に宿す。

やがてその力を以て世界を闇に覆う。

初代魔王の昇華の力、それによりて半天使、自我を取り戻す。

もう一つの半天使、死神レナシーと呼ばれし者、時同じくし、天界に封じられし記憶の塊、オブリビオンを解放す。


記憶の解放、すべてのものの目覚めとなりて、偽神への扉を開く。


2つの半天使、最期に再会し、ひとつとなった。

破壊されたホドンローグ、世界を新たな力で包み込む。

長い戦い、幾億年の歴史。


人の意志が、力を与えた。

すべての[意志]で、世界は動いた。

新しきものが世界に溢れだす。






闇が消え去ったその世界で、人々は笑っていた。

たくさんの世界を賛美する喜びを見て、六対の羽を持つものはひっそりと微笑んだ。



それは過去、それは現在、それは未来、 ――――――極楽地獄の伝承、ある一つのものがたり。



[THE END]








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