天と地の迫間
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相変わらず降り続く雨で、辺りはじっとりとしている。 街灯が僅かに周りを照らし、その水浸しになった道が辛うじて把握できる。 霧は発生していないので、前日よりも見通しが良い。 そして今日も、少年2人が昨日と同じように対峙しているのだった。 「おそ~い!約束は遅れてくるモンなんだ?!置いてこうかと思ったよ。」 もう・・・ここには来たくなかったのに。 事故現場。56人の死者が出たらしいこの恐ろしい正邪が蠢く生々しい場所。 ヴァイオレットとパトリは、ここに、今、魔界ゲートを開こうとしていた。 パトリは今にもゲートを開き始めんばかりのノリノリな調子だが、 ヴァイオレットにとってはそれよりも、無視しがたい現状がそこにあった。 「どうして・・・」 「ん、なに、早くやろうよ、バッジの力かいほーしてん。」 「どうして・・・・・こんな。」 ヴァイオレットの声は震えていた。 「何が、アンタ帰りたくないのかよ。」 一向に協力しようとする気配のないヴァイオレットを見て、パトリが苛立ちの声を発した。 「パトリ、お前がやったのか!?」 ヴァイオレットの爆発した怒りがパトリに向けられた。 無理もない事だった。 遺族たちの心のこもった花束が置いてあったはずのところには、花だったものの残骸が飛び散って、 泥水と同化してゴミのようになっていたからだ。 「・・っつ、なんだよ、僕じゃないって。何でもかんでも悪魔のせいにすんなよ頭ワリィ~」 突然不良っぽい口調に豹変したパトリは舌打ちとともに体を逸らした。 「・・じゃあ誰がっ・・・!?」 「ゴミはゴミらしく泥水に塗れてりゃイイんじゃない~?すごく似合ってると思うなぁボク。」 笑えない明るさで髀肉気味に花束だった残骸を罵ってみる。 「これ誰がやったって言うんです!」 今にも飛びかからんばかりのヴァイオレットを見て、コイツをなんとかしないと魔界ゲートが開けられないと判断したパトリは、 とりあえず素直に説明して見せた。 「事故ったトラックの運転手のダチと他の遺族がケンカしたんだよ。 なんかトラックの馬鹿親父のせいで家族亡くしたのがムカついたんじゃないのー?」 パトリによると、事故が起こったのはそもそもトラックの運転手が酔っていたかららしい。 そしてそのトラック運転手の事故が引き金になり、何台もの車と、さらに歩行者が犠牲となった。 遺族たちからすれば、トラック運転手を恨むのは無理もないことだが、どうやらトラック運転手の友人がガラが悪い人間らしく、 この友人の態度の悪さで遺族たちの怒りが爆発し、大きなケンカに発展してしまったそうだ。 遺族の怒りの反応によってさらに激怒したその友人は、遺族たちの手向けた花を踏みつけにして蹴散らしたらしい。 あろうことか、惨事が起こったこの不幸な場で、2度めの不幸が起こってしまったのだ。 結局、ケンカは他の遺族たちに鎮圧されたが、そのケンカには多くの人が巻き込まれ、心も体も負傷するはめになってしまった。 遺族たちの心には、傷口にさらに塩を擦り込まれたような激痛が伴い、 その事件は益々深い深い心の傷となって遺族たちの心に根強く残ってしまったのであった。 「パトリ、ホントに君は、何もしてないんだな?」 普段見ることのないとても鋭い目でギッと睨みつけるヴァイオレット。 「これが人間の所業だよーー、片羽ちゃんも長いこと見てきたことじゃない。片羽ちゃん何年生きてるのさ。」 「第三周期が来てから・・今は千年ぐらい。」 「うひゃっ、短っ!片羽ちゃん案外ぼくと年齢いっしょぐらい~?」 「さぁ、そんなことどうだっていいよ。」 むっすりした顔で、花だった残骸をひとつひとつ拾い上げるヴァイオレット。 「な・・・ちょっと・・・なにしてんの?」 思いもよらぬ行動に、パトリは珍しく戸惑いの表情を見せた。 「何って・・、こんなことになったままじゃ可哀想でしょ。」 「・・・・・・・・・。」 うっわーー・・・信じられない、といった表情でパトリはヴァイオレットの方を見つめる。 パトリに言わせれば、ヴァイオレットのこういった行動は、すごく「キモい」らしい。 パトリにとってはあまりの衝撃で、彼はしばらく言葉を失った。 ヴァイオレットの方を、ものすごく嫌なもの・・ゴキブリでも見るかのような目付きで見つめてくる。 パトリはしばらく立ち竦んでいたが、やがてヴァイオレットの右手を両手で掴んだ。 「やめ!やーーめ!もうやめ!そんなキモいとこ僕の前で見せないでよああウザッ!」 見ていることが耐えられなくなったらしく、パトリはヴァイオレットを妨害し始めた。 「ちょっと・・・どいて・・離してくださいって!ぼくちゃんと元通りにお花を飾ります!」 「・・・なっ・・にコイツ、天使ぶりやがって・・」 小さい声で酷く汚く鋭い声がパトリから聞こえた。 パトリはしばらく傍観していたが、ふと、何かを思いついたように姿を消した。 ヴァイオレットはパトリの姿が見えなくなったため安心して泥に混じった花の残骸を拾い集めようとする。 ・・と、その時。 ジュワッ! と、何かが溶けて高熱により蒸発するようは激しい音が周りから・・、 そしてヴァイオレットの手元からも聞こえた。 ヴァイオレットは一瞬何が起こったのか把握できなかったが、自分の手元を見てその状況を掴んだ。 赤黒い液体となって全ての花の残骸たちが消滅してしまったのだ。 そう、こんなことをするのは・・。 「もうお前なんて待ってらんない。僕は一人でも魔界へ帰るよ。お前を生贄にしてね!」 「パトリ・・!」 パトリは予め魔界ゲートを開くために用意してあった魔法陣を起動させ始める。 「えいやっ!」 パトリが面白そうに人差し指をちょんと弾く動作をすると、その瞬間四方から鋭利なものが飛び出しヴァイオレットを捕らえた。 ヴァイオレットはその瞬間に自分の置かれた重大な状況に気付かされる。 パトリの素早い魔法でヴァイオレットには防衛の時間がまるで無かった。 黒い鋭利なものに囲まれたヴァイオレットは、もはや籠の中の鳥。どうすることも出来ない。 この鋭利なものを壊そうとしてみるが、あまりの丈夫さで、ひび一つ入れることが出来ない。 「はいほ~い、時間だよ~ん!皆さんおいで、手のなるほうへっ!」 空に渦巻くものが出来始めた。ものすごく大掛かりな何かが、出来上がろうとしている。 楽しいリズムが聞こえるが、それは悪魔にとってであって、これは断末魔の序章かもしれない。 空に大きな渦巻きが出来、辺りの色が変わり始める。 パトリは、秩序も均衡も破って、こんな大掛かりな呪文をしかける気だったのか。 ヴァイオレットは自分の軽率さを責めた。 だが時は既に遅く、周囲から悪魔たちの悍ましいゲラゲラ声が聞こえ始める。 人間界に取り残されていた悪魔という悪魔が、大勢大群になってこちらに押し寄せてくるではないか。 「さあみんな!ここを地獄に変えよう!ここに魔界を開くんだ!」 パトリが手を空に掲げ、悪魔たちは一斉にゲートに力を注いだ。 悪魔たちの笑い声とリズミカルな音が、周りを黒く、黒く染めていく―――。 ―――もう望みなんて無い。ここには。 そうここは、これから地獄になる。 生きる地獄はここから広がり、人間たちを黒く染めるだろう。 そして地獄の賛美歌が毎日毎秒大きな惨事を引き起こし、 絶望のメロディーは空を赤く濁して天界に刃物を突きつける。 神は死んだと皆は嘆き、やがては神という存在すらも忘却する。 天界は綻び、やがて崩れ始める。見掛け倒しの天界が崩れれば、 ぼくたち悪魔の刃は直接神の喉元に! グサリ、ああいなくなれ!世界はぼくたち悪魔で満ち満ちるんだ! ああ満たされる、虚無と孤独と深遠なる愛しき闇。憎しみが神の心を殺して、すべてを悪魔に換える。 もう光なんて無くなった。光が無くなり闇もなくなる。 そうぼくたちの世界。これがぼくたちの世界さ! 弱いものは死に侮辱を味わう。強いものはその虚しさと孤独で自らを殺すだろう! ああ黒き世界。黒が支配する、これがすべて。これが世界のすべてさ! 亡霊となれ、奴隷となれ!やがて自分が何者かも忘れ果て、抜け殻のように、ゴミのように! それがぼくらの成れの果て。そしてぼくらの食するエナジーさ! すべてを否定し、すべてを忘れ、這いずり回れ! あるのは絶望。あるのは死。あるのは苦痛。あるのは無限。 さあ賛美して、歌え踊れ!地獄のゲート、黒きその存在よここに現せ! 悪魔たちの楽しそうな合唱に囲まれて、事故現場には、魔界ゲートが現れ始めた。 空間が歪み、中から異質なものが飛び出してくる。 それは絶対に飛び出してはならないもの。人間界に入れてはならないものだ。 ヴァイオレットはこの物質によって何度も命を奪われかけた。 あらゆる命を死へ追いやり、殺してしまう物質。 こんなものが人間界にはみ出てくるなんて・・。 ヴァイオレットはパトリに手を貸そうとしたことをひどく後悔し、必死になって止めようとする。 「いやだ・・・。いやなんだ・・・・・。人間が、人間界が魔界のようになることだけは・・!」 ヴァイオレットの中の天使がひどく抗い始め、そして、暴れだす。 手当たり次第に攻撃をしてみるが、ヴァイオレットを覆っている柵みたいなものも、開かれていく魔界ゲートにも、 何一つ傷を負わせることが出来ない。 それもそのはず、もはや数すら定かでは無い無数の悪魔たちが一斉に魔界ゲート開闢に力を注いでいるのだから。 「ああ、やめて、やめてよ・・・!それだけはっっ・・・・!!!!」 僕は人間界に、そこまで愛着なんてものは持っていないつもりだった。 でも・・いざ、目の前の魔界ゲートが開かれるのを見て、この今ある現場がとても恐ろしくなった。 それとともに、今まで出会ってきた大勢の人間、今まで関わってきた、その生命の生き様を見届けてきた大勢の人間たちの顔が、 次々と浮かんできて頭から離れない。 僕はここで、おばちゃんが買い物袋を下げていそいそと家路に就くところや、 公園で子供が遊んでいて、母親や、たまに父親も迎えに来るところ、 サラリーマンが酒に酔ってラーメン屋で愚痴をこぼしているところ、 人間界の、あらゆる場面を見てきたんだ。 面白かったり、悲しかったり、馬鹿馬鹿しかったり、不思議だったり、 でも僕はきっと、人間たちによりそって、人間界とともに生きてきたんだ。 人間の善い所業と悪い所業を記録するための監視役、そんな役目を任じられた時、最初僕はなんの興味も感じなかった。 あるお婆さんは、これまで悪いことをいっぱいしてきた人で、30代ぐらいになって、命を絶とうとした。 自分の人生が嫌になったんだ。好きで悪いことばっかりしてきたワケじゃないけど、 何故かそうせざるを得ない環境にいて、でもそんな自分の人生を振り返ると、後悔の念ばかりが過ぎって仕方がない。 だからあるとき、自分の中の罪の意識に囚われて、それから逃げたくなった。 でも、逃げても逃げても、救われなくて、逃げ出せない。永遠に救われないんだ、自分は。そう彼女は思ったんだ。 そう思った瞬間、人生が絶望に変化して、周りの景色が、未来が真っ暗になった。 でも、彼女はひとつひとつ、道を新たな方向に紡いでいった。僕はそれを悉に書き留めてきたんだ。 善い事を一つして、でも悪いことを10つもしてしまった。 でも今度は善いことを2つして、悪いことは7つに減った。 また今度は、善いことは出来ずに、でも悪いことは13もしてしまった。 そんなことの繰り返し。亀の歩みのごとく、彼女の進歩もゆっくりで、でも彼女にはどこかに、確かな意志があったんだ。 もうこれ以上、悪いことをする人生は嫌だと。 自分の中の絶望と闘いながら、彼女は確実に自分の意志で、人生の行き先を変えたんだ。 奈落行きの彼女の人生の道が、0.1度変わり、また次は0.00003度変わり、ほんの僅かな、根気のいることだった。 彼女の意志の強さがそこで試されたのかな。 最初は後退することの方が圧倒的に多くて、その度に絶望と悲しみに打ちひしがれていたのを僕はよく見ていたよ。 「もうダメだ、私は根っからの悪人だから、どうしようもないじゃないか」 そう言って、よく周りの人間に八つ当たりしていたね。 でも意志は変わらなかったんだね。 君はあれから50年という壮大な月日をかけて、みんなから愛されるお婆さんになったじゃないか。 僕はそれをよおく知っているよ。 お葬式をしてくれる親族がいなかったのに、周りの知り合いが、血の繋がっていない他人なのに、 みんなでお金を出し合って、盛大なお葬式をあげてくれたじゃない。あれが君の生き方の最終結末なんだ。 君は泥水を飲みながら清い水に変えていったんだよ。 僕はその苦悶と喜びの日々をすぐ近くでずっと見ていたんだ。 人間はとってもすごいんだ。美しくて、根気があって、とても強い。僕なんかよりずっと強い。 僕はそんな凄い人間たちが、魔界に飲み込まれるなんて嫌だ。絶対に嫌だ。 もう間に合わなくなる。僕は護る。人間界を、僕の天使の力で、どうか護らせて。 ―――その時だった、ヴァイオレットの周りの鋭利な黒い柵が光り始め、そして・・ 「ウアァァァァァッァアアアアアアアアアッッッッ!!!!!!!」 ヴァイオレットの絶叫とともに、彼の力が搾り取られ始めた。 柵は彼のあらゆる部分から、エネルギーというエネルギーを吸い取り尽くし、魔界ゲートに注いだ。 なんだよこれ・・・こんなのって・・・ある? ものすごい勢いで力が無くなってく・・・・。反抗する余裕も隙も無いよ・・・。 僕は人間界を守りたいのに・・・そんなことも出来ないなんて・・・・なんて・・・グズなんだろう。ウウウッ・・! 僕の意志なんて、・・・さいしょから、どうやったって叶わないものなの? もうぼく・・・・なんで生きてるのか・・・・わかんないや。 いったいぼくって・・・何だったんだよ。 僕の意志すら・・・・・貫けないの? 薄れ行く意識の中でヴァイオレットは、ぶつけることの叶わない無念と怒りを・・自分に対してぶつけた。 馬鹿・・・・ばか・・・・・、・・・・ぼくの馬鹿・・・・。もうダメ・・・だ。・・・・・。 何もかもが・・・・もう・・・・・・・。たすけたかった・・・・・・・。 ・・・・・・・・・。・・・・・たすけ・・・・・たかった・・・。 まもって・・・・みたかった・・・、最後に・・。最期に。 ・・・・最期にぼくの意志を・・・・・・。 ・ ・ ・ ・ ・ |
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