[7]うばわれたもの。(page3)
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あわてて叫んで地面に突っ伏した。
天使の羽の音かと思った。錯乱して地面に顔を叩きつけていた。顔と両手は泥だらけになっていた。
ふたたびしん、としたのでおそるおそる上を見上げてみる。
・・・・梅の木にウグイスが止まっている。
・・・鳥、ただの鳥だ・・・。鳥に化けた天使じゃない。
ぼくはまた、命拾いした状態みたいだ。
ゆっくりゆっくり、老人のような頼りなくガタついた足取りで、小屋の奥の畑へと向かう。
畑の一部に小さな実がなりかけていた。でもまだ食べられそうにない。
ただの骨折り損になってしまったようだ。
再び小屋に戻って食べられそうなものを探す。
どれも中途半端にかじりついた跡がある干物や果物たち。
餓死しかけて無意識のうちにむさぼったのだろう。
それにしても・・汚い。
いつかじったのかさえわからないこれを、食べるほかないらしい。
ぼくは何日も起きあがれず、そのへんのものを貪り食い、またうずくまったままになる。そんな生活が続いた。
やがて食料も尽きてきた頃、焦燥感にかられ再び畑を見に行ってみることにした。
ほんの数メートル先の畑に行くことさえ、身が八つ裂きになる覚悟が居る。ごんべえがいないから尚更だ。
守ってくれるものが、何もない。こんなに、恐ろしいことはなかった。
ぼくはもうダメかもしれないと、絶望感に支配されて、自分自身を殺してしまおうと思ったことは数え切れない。
でも、いざ、自分の体に手をかけようとすると、自分のこの手は、足は、首は、これらひとつひとつが、
ごんべえが生かしてくれたものなんだと、そういう時に限ってその感覚がよぎるんだ。
それにしては、自分の体を傷つけすぎてしまっているけど。
手足も、古傷やアザでいっぱいだ。
恐怖で、無我夢中で隣にまとわりついている悪魔をふりほどくのに必死だった。
そして戦い疲れて意識を失うんだ。意識を失って夢の中でも、また悪魔や天使がぼくを襲ってくる。
もううんざりだ。
生きていても夢の中でも、悪夢には違いなかった。
でも稀にそれらから解放されて、ほんの一筋の幻想の光が見えた気がした時があった。
ルーミネイト様や、ごんべえや、ローザやダンテが浮かんできた。ほんの一瞬だったけど。ぼくはその一瞬の1%のお陰で、
99%の地獄を生き延びられたのかも知れない。
何日も食べないこともあった。するとふつうは栄養不足で体が鉛のように重くて引きずるのがやっとなのに、
たまに、夢を見た後、不思議な気持ちで目覚めると、
体は干からびて擦り切れた紙切れのようにカラカラでボロボロなのに、なぜか力が湧いてくる、そんな時がほんとうに稀にあったりした。
まるで、餓死状態を通り越して、なにか別の・・・超人にでもなった気分。
栄養は抜けきって体中カラカラなのに、なんだか神聖なものに覆われて、体中がきれいに浄化されて、
心で体のエネルギーを補ってるような、すごく不思議な感じだった。
そんな時は、やっと奇跡的に動けるようになったから、畑に実っているわずかな食料をとってきて、ゆっくりゆっくり味わって食べた。
ゆっくり、ものすごくゆっくり食べると、久しぶりに食べても吐きにくいし、それに体にじわじわ来るんだ。
ほんの少しの食料なのに、体が満足してくれる。
だから絶対に飲み込まずに、じっくりじっくり口の中で何時間もかけて食べるんだ。
でも良いことばかりじゃない。
畑の食料を当てにしてたら、何も実ってないこともかなりあったし、
それどころか、虫に食べられて腐ってたこともあって・・・ぼくは命からがらなのに、虫を殺してやろうかと思ってしまったりした。
そして仕方なく食べたその辺の葉っぱや草の一部に毒があったらしく、
その夜、一晩中腹痛に襲われて苦しんだことも何度かあったけど、それ以来、もうさすがに懲りて、
本当にどうしようもない時以外は、なるべくわけのわからない草や葉っぱは食べたらダメだと思った。
やがて、餓死しかける頻度が、徐々に減っていった気がした。
気がしたって言うのは、最近減ってきてるかもと思った瞬間、
ひどい地獄を見て餓死しかけることが多いから、ぼくとしては気が抜けなかった。
でもだいぶ経って自分を見てみると、やっぱり餓死しかける回数は、ちゃんと減ってる気がする。
ある時、小屋の壁をぼーっとみていたら、何かメモのようなものが貼ってあることに気づいた。
・・・ごんべえの書き置きかもしれない!
急に飛び起きて、それを見に行くと、なにやら畑に植えた植物の栽培法がかかれてあるらしかった。
その後も、たまに、ごんべえのメモが見つかることがあった。
中には、もっと早く知っていれば、というような情報も・・。
毒草の代表と食べられる植物に関して書かれてあったメモがそのひとつだ。
丁寧なことに、そんなにうまくない植物のスケッチまで添えてある。
毒草の代表例の中に、ぼくがかつて食べてしまった植物もでっかく書かれてあった。
もっとこれを早く見つけてさえいれば、ぼくは一晩中腹や胃を押さえて苦しい思いをせずにすんだのだ。
そんなものがあるとは夢にも思っていなかったから、探すこともしなかった。すぐそこにあったのに。
壁のメモも、見ようと思えば見られるくらい身近なところにあった。
この机の上にあったメモも。どうしてぼくは今まで気づかなかったんだろう。
探すことも、見ることも、ぼくはあれだけの年月をここで過ごしていながら、本当に何もしていなかったんだ。
ある時、ふと、小屋や畑がある敷地の外には何があるのか気になった。
ふと外の方に目をやろうとするぼくがいた。でも咄嗟にそれを抑止した。
いや、やめておこう、今よりももっと酷い目にでもあったら、ぼくはそれこそ耐えられない。
そう思って、気にはなりつつ、目をずっとそらしていた。
たまらなく怖かった。一歩外に出た瞬間、天使に見つかって殺されるかもしれない。
そうやって気になる度何度も、自分を抑止して引き返した。
だがある時、恐怖が和らいだ瞬間があった。
黄色いきれいな蝶が光に照らされて目映いばかりに光輝いていた。
それはぼくを誘うかのように、敷地の外の方へ行って消えた。
全部ぼくの思いこみだったかもしれない。
蝶なんてその辺にいくらでもいるし、消えたっていうのも、単にぼくがぼーっとしていて見失っただけ。
蝶は単にそちらの方に密の香りがしたから行っただけで、
見失ったのは、どこかの花の中に入って花びらでその姿が覆い隠されてしまっただけかもしれなかった。
でもぼくは、それがチャンスだと勝手に思ってしまった。
ほんの少しの好奇心と沢山の不安とで、ついに、敷地の外を覗いてみた。
ぼくは・・・・それを見た瞬間青ざめた。
何体もの天使がすぐそこに迫ってきていたなんて。
ぼくは本当に何も知らなかった。
心臓がドキドキしてる。恐怖とかそんなものではなかった。
なにか、とんでもないことが起こってしまった。
どう対処していいのかわからない。
ぼくは殺されるのか、どうすればいいのか、しばらく考えた。
手先はふるえ、まともな考えは浮かばない。
足先はふわついていて、感覚が感じられない。
逃げようか・・・自首しようか・・・・どうすれば逃げられるだろう。
ただの人間のなり損ないのぼくが、天使から逃げる?
そんなのどうやって・・・・・。
ばくばくばくばく・・・高鳴る心臓の鼓動の中で、考えに考えた。
でもやがて、その生殺し状態に耐えられなくなって、再び様子を見に行ってみることにした。
こういう時のぼくは何故だかいつもより積極的に行動できるもんだ。
そこに・・・天使の姿はなかった。全身の力が抜けた。その場にへたりこんだ。
やはり外に出るべきでは無かったんだ。天使はすぐそこまで迫ってきていた。
大体、あれだけの罪を犯しておきながら、今までの長い期間、
1人の天使にも出会わなかったなんて、そっちの方が奇跡だったんだ。
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