[7]うばわれたもの。(page10)
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数名の天使が、多くの天使に介護されながら、天界城へ辿り着く。
その中にイコンの姿はなかった。
天界に、天使側が惨敗したことが伝えられた。
多くのその場にいた天使が落胆の色を見せた。
しかしその裏で、1人だけ、イコンの作戦の成功を伝えた天使がいた。
大天使アスタネイトは冷静な表情のままそれらを聞き、何事もなかったかのように、報告を済ませた天使たちを帰した。
「やはりあの囮では上級悪魔は出てこなかったそうだ。」
「・・・・・・・。アスタネイトは最初から懐疑的だったね。」
「そうは言ってもだな・・!」
上級天使たちのひみつの会議が、天界城で行われていた。
ダンテやローザのような中級天使は聞く機会さえない、ひみつの会議。
上級天使たちは今回の惨事に揉めているのだろうか。
それとも、期待通りの結果だと納得しているのだろうか。
いずれにせよ、命からがら帰還した天使たちの多くはもう、戦いに参加することは当分困難になってしまった。
任務は成功だったのか、それとも失敗だったのか。
ひとつ確実なことは、生き残った天使たちにあの戦いは、
沢山の身体的傷と、深い心理的な傷を全員に負わせたということだろう。
時は流転し変化を及ぼす。時の概念があいまいな天界ですらもそれは起こっていた。
かつてあった、あたたかな空間。
半天使ヴァイオレットが多くの苦痛と雪辱を味わいながらもしがみついていたかった温かい空間は、
今やどこにも存在しなくなっていた。
ダンテは未だ天界に戻らず、イコンの姿も見えない。
ヴァイオレットを保護してくれていたルーミネイトも未だ行方不明であり、
ヴァイオレットが慕っていた天使の中でかつてのように天界で暮らしているのはローザぐらいのものだった。
時は何もかもを変えてしまう。ある瞬間、そこに居場所があったとしても、
もう時を経ると、そんな場所はそこにはすっかり無くなっているのかもしれない。
そして、また別のどこかへ誘われる。そして万物は流転し、変化していく。
時はその状態を永遠に変えながら、次へ、また次へと向かう。
新たな場所が、どんな場所だとしても。新たな変化がどれほど受け入れ難いものだとしても、時はいつでも進んでいく。
幸か不幸か、半天使ヴァイオレットも、もはや天界にはいない。
そして半天使ヴァイオレットが天界を去った後、悲劇が起き、ルーミネイトが姿を消した。
そして今回の惨事でダンテとイコンの所在がわからなくなった。
もし半天使ヴァイオレットが彼の微かな願い通り、未だに天界に居られたとしても、もはや彼を庇ってくれるルーミネイトはいない。
やさしい言葉をかけてくれるイコンもいない。
どちらにせよ彼は、天界にいられなくなっていたかもしれない。
そうなる前に、スムーズに次の居場所へ誘われる。それが時の流れの導きというものなのかもしれない。
多くの天使が沢山の争いの傷を癒していた、そんな頃・・。
外部から来た天使たちも今回の惨事を憂いていた。
「この天界では、まだ、天使と悪魔の争いがあるのですね。」
治癒魔法をかけながら、歌天使りんごが、同じく治癒魔法を施すローザに語りかけた。
すこし驚いたように、ローザはりんごの方を見た。
「ほかの天界では争いはないの?」
りんごは冷静に答える。
「光と闇が統合された地では、もはやこれほどの惨事は起こり得ません。
ですがまだレベルが低いと、小さな闇がいつでもそこにあり、
ともすればその闇が広がって小さな魔界となる危険性はあります。」
「そう・・・。」
ローザはその言葉を聞いて、すっと横に向き直った。
横顔は少しばかり残念そうに見えた。
「あきらめないで。ここも、いずれはそうなります。」
ローザがその言葉でふとりんごの方を見ると、りんごの目は見開いていて、そこからはとても強い意志が感じられる。
ローザは力無く微笑んだ。りんごはその弱々しさを保護するかのように、この天界の外からも、沢山の助けがあることを力強く語った。
「それにしても・・・傷が、ぜんぜん、塞がらないわ・・。」
ローザは傷ついた天使に向き直り、真剣な面持ちで言葉をこぼす。
「悪魔の攻撃は残酷です。傷が簡単には塞がらずに、放っておいても徐々に命を奪うようになっているのです。
彼ら、天使自身が生きることを選択し、悪魔の呪いに打ち勝たなくては。」
りんごは、これらの治らない傷が呪いとなって天使たちの心の傷を痛めつけて拡大させ、
存在するためのエネルギーをどんどん奪っているのだと伝えた。
その時のローザの目は宝石みたいに可憐で、か弱いながらも、とても強い決意を宿していた。
白くか細く弱々しいが、どこか奥底で強い意志の感じられるローザ。
そして、強い意志と屈強な精神を前面に感じられるのに、どこかで脆さを持ったりんご。
いつも器用に立ち回り、沢山の人と交流するローザ、
不器用でいつも一人でおり、言葉数も少なめなりんご。
水のようなしなやかなローザと、固い岩のようなりんご。
彼女たちはある意味対照的で、お互い不思議な存在に思えた。ふだんなら、あまり言葉を交わす機会もないような。
とてもぎこちない。けれど嫌いではない。不思議な感覚。
ただ、そんな2人に共通しているものがある。
そう、それは願い。
天界に少しでも早く、平和が訪れますように。
それは人間界にも、魔界にも。言えることだった。
天界の住人のほぼすべてが願っているであろうこと。
人間たちの多くが願って止まないであろうこと。
ーーーーーそれこそが、平和。そして、幸せ。
もう、奪われるのも、奪うのも、そんな世界はうんざりだ。戦って、殺されるのも、殺すのも、もうまっぴらごめんだ。
もううんざりなんだ。早く、そんな世界とはおさらばしたい。
もうどうでもいい。恨みはどこかへ流そう。それでこの殺しあいの世界から脱出できるのなら。
もううんざりなんだ。早く救われたい。こんな苦しい世界はごめんだ。
沢山の人間が、腹の底でこう呟いた。
ヴァイオレットも、苦しみの末、何度もそう、呟いた。
もう苦しくて、仕方がなかった。
逃れたかった。こんな世界はいやだった。
争いなんて、生きながらの地獄じゃないか。
腸が煮えくり返るような憎しみ、憤り。絶望。苦しみ。悲しみ。
いったいあと何度経験すれば、この争いの連鎖は終わるんだろう。
この苦しみの世界から抜け出せるんだ。
もううんざりだ。ぼくは、楽になりたい。
たくさんの心の声に折り重なるように、ヴァイオレットは世界の片隅で叫んでいた。
ーーーー夜明けはきっと近い。もう飽きたと、ウンザリだと感じられているのなら。その世界が、心底嫌いになれたのなら。
もうそこに戻る必要なんてない。君は、違う世界で生きられる切符を手に入れようとしているんだ。
強い意志のもと、その切符を自分のものにして。
沢山の悪魔に引きずりおろされても、自分の意志の力で這い上がって来られるように、
悪魔たちが囁いても、耳を傾けなくてすむように、
暴力を受けても、それを憎まなくてすむように、
それが、争いと阿鼻叫喚の世界から抜け出せる、たったひとつの方法。
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