[8]狂想ドデカフォニー(page10)
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嫌な音が聞こえた。
ロープのどこか一部が切れたらしい。
ヴァイオレットを背負った状態のローザでは、楔があってもロープ無しでは楔に足を置いておくことは困難だ。
ダンテは慌ててロープを掴んでみる。
「・・・早く降りろ!ロープが完全に切れる前に!」
ダンテが叫ぶが、ローザはただでさえ華奢な体でヴァイオレットを背負っているため思うように身動きがとれない。
「大変だ、兵士の大軍が北門を包囲して、一部がこっちに迫って来た!!」
ずっと兵士を見張っていたソッテが張りつめた声で叫ぶ。
「・・まずい!あんな大軍と応戦する力は残ってないぞ!?」
「飛び込もう!それしかないでしょ!」
ソッテが慌てて城郭から下を見下ろす。
そこには高さ40メートルもの絶壁の城壁と、淀んだ水があった。
「・・・直接この高さから飛び込んだら死ぬぞ!?」
ダンテがソッテを止めようとする。
・・・その時。
ドボン。
大きな水の音がして、見ればローザとヴァイオレットの姿は消えていた。
「・・・よし、お前が先に行け。」
ダンテは冷静に、目を見開いてソッテに言った。
ソッテは何か言おうとしたが、城壁を伝ってこっちへ迫ってきた兵士の雄叫びを聞いて、すぐさまロープに飛び移った。
「・・・そう、それでいいんだ。俺は、俺には責任がある。」
ダンテは半ば諦めたように呟いた。
兵士たちの声がとてつもない勢いで迫り、ダンテの背中を圧迫する。
もうダンテが無事に降りられるだけの時間は残されてはいなかった。
ダンテには兵士に殺られるか、死を覚悟で水の中に飛び込むかの選択肢しか残されていない。
兵士たちがダンテの1メートル以内に躙り寄った。
どうせ捕まり、拷問されるくらいなら・・。
・・・・ダンテは最後の誇りを懸けて、戦闘態勢を取った。
その時だった。
下の方から声がする。
見るとりんごとソッテが布を広げてダンテを受け止めようとしてくれていた。
この高さから飛び降りれば、布だけでは衝撃を吸収しきれないが、
その布の下には水があった。
ダンテは瞬時に右側にいたちょっと臆病そうな兵士に切りかかり、兵士たちに隙が出たのを見計らって、切れかけのロープをすべりおりるようにして伝い、布へ飛び込んだ。
アルベがすかさず、手裏剣のようなものを投げてロープを引きちぎった。
兵士たちが降りて来られないようにするためだ。
その間にりんごとソッテは堀に落ちたダンテを引き上げた。
ヴァイオレットは再びりんごが背負い、6人の天使は近くの森へと逃げ込んだ。
一部始終を見られている以上、追っ手が来るのは時間の問題だ。
兵士たちは戦闘のプロで、こっちは重傷人や戦闘に向かない天使もいる。
その上相手は数で圧倒的に勝っている。
普通に逃げればまず追いつかれてしまう。
だが幸いにも逃げ込んだ森は非常に入り組んでおり、ダンテたちも方角を見失うほどだった。
そして早朝のためか、霧が発生してどこがどこだかわからない。
とても濃い緑の匂いがする。
そこが深い森だということが匂いでわかる。
ダンテたちは、ある程度歩いたところで大きな木を見つけ、その根っこが隠れながら休むのに丁度良いというのを発見した。
だがやはり6人が入れるスペースでは無さそうなため、力を消耗仕切ったアルベとローザとヴァイオレットがそこで休むことになった。
残りの3人は別の岩陰に隠れた。
木々に囲まれて鳥の声が木霊する。
瑞々しい草の香り。
湿気を含んだ風。
今日は雨模様になりそうだ。
りんごはその辺に生えている草を手元にあった植物図鑑と照らしあわせている。
ソッテは岩をソファ代わりにし、上体を伸ばしてもたれかかり休んでいる。
ダンテは片膝に肘を乗せて何かを考えている。
一方木の根にいるローザはすやすやと寝てしまっていた。
ヴァイオレットは意識があるのかどうかさえわからない。
一応生きてはいるようだ。
アルベはその辺の虫を嫌そうに払っていた。
しばらく時が流れて、声が聞こえてきた。
複数の、男の声。緊張感のある張った声。
間違いなく兵士たちだ。
一向に緊張が走る。
アルベは寝ていたローザを起こした。
声は数十分ほど続いたが、しばらくして聞こえなくなった。
ダンテはあたりが静かになったのを見て、すぐに動こうとする。
が、それをソッテが止めた。
アルベとローザは疲労のあまり寝てしまっているし。
りんごの顔もとても窶れていた。
なによりこの迷路のような森を下手に歩き回って、先ほどの兵士たちに出くわしでもしたら元も子もない。
単独で突っ走り、とかく焦りがちなダンテを、いつもこうして周りの誰かが宥めて、沈めてくれていた。
そうあのイコンのように。
天使であっても、この世界においては、ひとりでは何の力も持たないただの人間同然なのだ。
しばらくの間、大人しく木の根のところにいたアルベだったが、木の根はどうもじめじめして虫も多く暗く居心地が悪いらしく、ダンテたちの方に来てもうひと休みしていた。
ローザとりんごは熟睡している。
ソッテもうとうとしている。
皆の睡魔にやられて、ダンテも強烈な眠気に襲われ微睡み始めた。
・・・そのとき。
ガサッと近くで音がした。
ダンテは慌てて臨戦態勢に入り、ソッテも遅れて構える。
しばらく沈黙が続いた。
・・・ガサッ!
再び音がして、草むらからシカのような動物が姿を見せた。
あまりの図体の大きさに、ダンテとソッテは一瞬怯んだ。
ダンテは動物を追い払おうと、攻撃するふりをしてみせた。
その動物はあっさりダンテの動作をかわし、ダンテに猛突進してきた!
慌てたダンテは手持ちの剣で防御しようとするが、動物が素早すぎて追いつかない。
動物はダンテめがけて突進し、ダンテに直撃・・・!!
・・・したかと思うと、ひらりと体をくねらし、ダンテを避けて森の奥へと駆けて行ってしまった。
・・・・近くにいたソッテは呆然としていた。
いまが何時かはわからないが、こんな深い森ならば、夜になれば多くの獣と遭遇しかねない。
兵士から逃げられても、動物にやられてしまっては意味がない。
危機感を募らせたダンテは、現在唯一起きているソッテに見張りを任せ、その辺の地形と方角を調べてみることにした。
念のため、左手に松明を持ち、右の腰には剣を準備してある。
湿気が多いため、通常なら火を起こすのは困難なのだが、
小さな種火を作るくらいならダンテお得意の攻撃魔法を利用できるので、火に関しては困らない。
ただの人間ならばとっくに命を落としていたであろう局面を、天使の力で何度も救ってもらっている。
ふつうの人間に生まれ落ちていたならば、この世界はどれほど過酷であっただろうか。
ダンテはふとそんなことを考えながら、森の地形を調べる。
雨模様のせいで、方角や時刻がいまひとつ掴めない。
あの数十メートルはありそうな高い木に上れば何かわかるかもしれないが・・・・・
「・・・もう高いところはうんざりだ。」
塔から城郭へ飛び降り、城郭から堀へ飛び降り、2度も命辛々高低差を生き延びた今のダンテにとって、
高いあの木を登ろうという気は微塵も起きなかった。
しばらく歩き回っていたが、木の実や小さな川の場所は把握出来たものの、方角の特定には至らなかった。
これ以上深く入り込むと仲間のところへ帰って来られなくなりそうだと感じたダンテは、ローザたちのいる場所へ引き返した。
木の根へ戻ると一番始めに熟睡していたローザがすっかり目を覚ましており、顔色もだいぶ良さそうだ。
正直、城郭から降りる際のローザはとても苦しい表情を滲ませていて、
これ以上魔法を使うと倒れてしまうのではないかという危機感があった。
木の根でヴァイオレットとともにいたローザだったが、アルベたちに呼ばれ、別の岩陰の方へと行ってしまった。
ダンテが木の根に残されたヴァイオレットの方を見ると、
相変わらず生きているのか死んでいるのかよくわからない様子だ。
その変わり果てた姿を見る度に、毎回心臓の奥までナイフを突き刺されたような心地がする。
こうなったのはヴァイオレットのせいだと言い聞かせながらも、ダンテは良心の呵責に耐えかねていた。
腫れ上がり爛れた皮膚、濁った眼球、健康な体では決してしないようなおかしな動作。
そのどれもが彼の受けた過酷な拷問を物語っていた。
そんなときふと、治癒の羽のことを思い出した。
・・これを使えば、この醜い化け物のような姿になってしまったヴァイオレットを元に戻せるのではないか。
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